ブックマーク / reki.hatenablog.com (4)

  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

    中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    rci
    rci 2020/11/17
    フムスおいしいです。ファラフェルおいしいです。
  • ネクタイの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    なぜここまでネクタイは広がったのか クールビズが結構浸透してきて、特にかしこまった場ではない普通のビジネスの場ではノーネクタイでもあまり失礼でないという風潮になってきました。やっぱ皆あまりネクタイが好きじゃなかったんだなあと思います。 息苦しいし、つけるの面倒だし、ないにこしたことないんですよね当。 日人のネクタイ離れはどんどん進んでいってるわけですが、なぜここまでネクタイが広まったのか、単に「みんなやってるから」以外の理由がある気がします。見た目のかっこよさもあるし、防寒という実用的な面もあるのでは? ということで今回はネクタイの歴史です。 1. 古代の「ネクタイ」 厳密には我々が言う所のネクタイとは違いますが、「首に巻く布」のファッションは古代世界にも存在しました。 最古の「ネクタイ」は、秦の始皇帝の墓を護衛する兵馬俑に埋められた、陶器の兵士が身につけているものです。 この「ネクタ

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    rci
    rci 2019/02/26
    ネクタイは減ってきたけど、ストールやスカーフが流行ってきてる。「首に何か巻く」自体はすたれなさそう。
  • ドネルケバブの歴史 - ドネルケバブは誰が発明したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    早い、安い、美味い、三拍子揃ったパーフェクトなファストフード ドネルケバブは東京の街中ではかなり一般的なファストフードになりました。 地方でも、お祭りやイベントの屋台でかなり見るのでべたことある人も多いと思います。ドネルケバブ屋から漂ってくる肉とスパイスの香りを嗅ぐと、たまらなく腹が減ってくるものです。 今やドネルケバブは世界中でも当たり前にべられるファストフードになり、トルコが世界に誇る料理ですが、誰がどのように発明したのかはややこしい議論があります。 1. ドネルケバブの特徴 そもそもドネルケバブとは何か。 google先生の解説によると 「スライスされたスパイシーなラム肉をピタパンに挟んだトルコ料理」 となっています。 重要なのは「ピタパンで挟んだ」というところです。 トルコ料理では「〇〇ケバブ」というのがたくさんありますが、ナイフとフォークを使って椅子に座ってべるのが普通。ド

    ドネルケバブの歴史 - ドネルケバブは誰が発明したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    rci 2018/12/25
    なお、kebap =ロースト なので、ドネルケバブは「回転焼き」の意。さらに、şiş=串 なので、シシケバブは「串焼き」であります。
  • トレビゾンド帝国の歴史 - 黒海にあったビザンツの亡命帝国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    家崩壊後も生き延びたビザンツ帝国の亡命政権 トレビゾンド帝国は現在のトルコ共和国の一都市トラブゾンに13世紀から15世紀にあった国。 ビザンツ帝国を追われたコムノネス王家が流れ着き、同じキリスト教国のジョージア(グルジア)の支援を受けて成立し、イスラム教国を含む周辺国と協調しながら約250年間も生きながらえました。家ビザンツ帝国はオスマントルコに1453年に滅ぼされますが、トレビゾンド帝国はその後も数年生きながらえました。 今回はかなりマイナーなビザンツ帝国の亡命政権トレビゾンド帝国の歴史のまとめです。 お話は同じキリスト教徒がビザンツ帝国を攻めた第4回十字軍から始まります。 1.  第4回十字軍によるビザンツ帝国の中断 グダグダな第4回十字軍 1187年、エルサレム王国はアイユーブ朝のサラディンに敗れ、エルサレムの街は約200年ぶりにイスラム教徒の手に奪還されました。 これを取り戻さ

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    rci 2018/12/11
    マイナーなのにこんなにブクマされとる
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