小学生のころ、両親が商売をやっていて大阪市内に住んでいました。 大阪市にはいい思い出と忘れたい記憶とが売るほどあります。 家族4人、六畳一間で暮らしていたこともありました。 学校では精一杯見栄をはり、「ええとこの子」に見せようとしていましたが、家に帰れば寝床は弟といっしょに押入れのなかです。 親の商売がうまくいっているかどうかくらいは子ども心にもわかるから、母親の「清美、あんたは勉強せなあかん!」という言葉を切実に受け止めていました。塾に行くお金がなくて、教科書を丸暗記して臨んだ中学受験。抽選で落ちたときには、悔しくて絶望して環状線で泣き続けました。 でも大阪のまちは優しかった。 私たち姉弟を実の子どものようにかわいがってくれた近所のおっちゃんおばちゃんたち。みんな生活厳しいのに、しんどさを笑いに変えて日々を生き抜いていく力を教えてくれました。 私はその複雑で、優しくて、おもろい大阪がやっ