artに関するreinaのブックマーク (5)

  • shibazukeparipariのミニチュア

    shibazukeparipariのミニチュア ご覧いただき ありがとうございます このサイトは移転しました ブックマークされている方は お手数ですが変更をお願いいたします このページは自動的に移動します しばらくたっても変わらない場合はこちらをクリックしてください 新 ホームページアドレス http://shibazukeparipari.com/ モバイル shibazukeparipariのミニチュア

    shibazukeparipariのミニチュア
  • Beyond the Art Vol.14 食とアートって、もう離婚したんじゃなかったっけ? 菊地 成孔 | 文化庁メディア芸術プラザ

    菊地 成孔(きくち なるよし) 1963年6月14日、千葉県出身。音楽家、文筆家、音楽講師。アバンギャルド・ジャズからクラブシーンを熱狂させるダンス・ミュージックまでをカバーする鬼才。1984年プロデビュー後、山下洋輔グループなどを経て、「デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン」「スパンクハッピー」といったプロジェクトを立ちあげるも、2004年にジャズ回帰宣言をし、ソロ・アルバム『デギュスタシオン・ア・ジャズ』、『南米のエリザベス・テイラー』 を発表。2008年現在は「菊地成孔ダブ・セクステット」、「菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール」で活動中。音楽講師としては私塾「ペンギン音楽大学」を主宰するほか、映画美学校でも教鞭を執り、さらに、2005年まで東京大学教養学部の非常勤講師を務め、2006年からは国立音楽大学非常勤講師、2007年からは東京藝術大学講師、2008年からは慶応

    reina
    reina 2009/01/25
  • 'We're All Gonna Die - 100 meters of existence'

    This image is 100 meters long (100 m x 78 cm). There are 178 people in the picture, all shot in the course of 20 days from the same spot on a railroad bridge on Warschauer Strasse in Berlin in the summer 2007. Only few of the people on the photograph seemed to know I was taking their picture

    reina
    reina 2009/01/25
    死に向かって歩く人たち。人類みな兄弟。
  • 「博士に行ったら就職難」どころか「大学進学=貧乏覚悟」の芸術系 - ohnosakiko’s blog

    「院に進む人が少なくなってね、TA(ティーチング・アシスタント)のバイトやる子もなかなかいないんですよ」 昨日大学の研究室で、来年度から同じ科目をクラス別で担当することになっている教授が言っていた。芸術大学でも院進学者が減っており、学部で出てさっさと就職したいという学生が増えている。もともとデザイン学部はその傾向があったが、それが全体的になっているようだ。 以前長らく予備校講師をしていた関係で知ったのだが、芸術系の大学ではもう20年以上前から、どの学部や科も女子が多くなっている(たぶん文学部などもそうではないかと思う)。東京芸大は昔から男子が多かったが、今は男女比逆転しているかもしれない。仕事で行っている地方の私立芸大など、ほとんど女子大である。 「大学出たら自活していかないと」というプレッシャーが女子より強い男子は、芸術大学などに進むこと自体、自分で自分の首を締めるようなものだと考えるの

    「博士に行ったら就職難」どころか「大学進学=貧乏覚悟」の芸術系 - ohnosakiko’s blog
    reina
    reina 2009/01/25
    そうして才能のある人たちが貧しさに負けていくのを見るのがとても悲しい。逆に、貧しい自分に耽溺して、社会や一般的な幸せを得ている人に対して呪詛を吐くようになる人もいるし。パトロン制度復活希望。
  • ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point

    斎藤環『アーティストは境界線上で踊る』(みすず書房)刊行記念のトークショー、 斎藤環×岡崎乾二郎 「アートに“身体”は必要か」 を熟読した(掲載は『みすず(no.563)』2008年8月号)。 これを私は、美術批評であると同時に、ひきこもり臨床論として読んだ。 岡崎乾二郎の議論は、斎藤環の「発想のあり方」へのあからさまな批判なのだが、斎藤は最後までそれに気づいていないように見える。 私はこの対談を、ひきこもりや就労支援の関係者にこそ読んでほしい。 誰かの努力や存在が社会的に排除され、誰かがぬくぬくと「内側」にいることになっている*1。 そこに批評を口にするときの態度の違いは、そのまま支援案のちがいになる。 排除された努力や存在を受け止めるときに(あるいは無視するときに)、どんな発想が必要なのか。 作品であり、労働過程である私たちは、単に全面受容されるべきではない。 では、どんな厳しさが必要

    ひきこもり臨床論としての美術批評 - Freezing Point
    reina
    reina 2009/01/09
    岡崎乾二郎の、「芸術」に対する真摯さが伝わる。アートが社会的文脈で捻じ曲げられることを嫌うこんな人物にとって、斎藤環の安易な試みは相当許しがたいのじゃないかな。
  • 1