豊臣秀吉が安土桃山時代(16世紀末)に築いた公邸・聚楽第跡で、新たな外堀や天守閣の位置が「表面波探査」でわかった。 秀吉時代の聚楽第を描いた「諸国古城之図」には外堀はなく、譲り受けた甥の豊臣秀次が掘らせたとみられるという。[中日新聞] ※新発見以外の歴史ニュースは「歴史タイムッス」でどうぞ。
クシャーナ朝時代(1~3世紀)に作られた僧院跡「カラ・テペ遺跡」で、僧房の壁や多数の土器片が発見された。 また、僧院の規模が従来確認されていた以上に大きかったことや、土器片に希少なバクトリア文字が記されていたことなどもわかったという。[中外日報]
南樺太・豊原(サハリン州ユジノサハリンスク)の雑貨商・久保山ハルが、1947年3月にソ連軍に抑留された長男・久保山茂の解放を訴え出た嘆願書などがロシア国立軍事古文書館で発見された。 「女子供三人で日常生活にすら不自由がちなところ、私は老衰のため身の自由もきかず、困窮いたしております」「内地引き揚げの命令がありましても、この有り様では到底、引き揚げはできません。茂を一日も早く御放免下さい」などと便箋2枚につづっているという。[読売新聞]
三内丸山遺跡にある縄文時代前期末(約5000年前)の直線状の溝状遺構が、全長約25mだったことがわかった。 また、溝状遺構の北東側では新たに縄文中期初め(約4800年前)の大型竪穴住居跡が見つかったという。[東奥日報・Yahoo!ニュース]
米大リーグで歴代2位の4191安打を誇るタイ・カッブの野球カード7枚が発見された。 印刷されたのは1909~1911年で、これまで15枚程度しか確認されておらず、合計で100万ドル(約1億1000万円)超の価値になるという。だという。[AP=共同通信・朝日新聞]
東京大空襲犠牲者の遺骨が納められている慰霊堂で身元の確認に使われている名簿に誤りがあることがわかった。 これまで調べただけで、4人に1人の割合で名前に間違いがある可能性があるという。[NHK]
金井東裏遺跡で発見された鎧(よろい)を身に付けた古墳時代の男性が、伊那谷以西で生まれ育った可能性のあることがわかった。 どこの水で育ったかを調べた結果だという。[中日新聞]
拾石(じゅっこく)遺跡で発見された須恵器土器の底部に「厨(くりや)」の墨書文字のあるものが見つかった。 厨は郡の役所を意味する郡家(ぐうけ。郡衙)を形成する調理場施設で、近辺が1300年前の高麗郡建郡時の郡家だった可能性が出てきたという。[毎日新聞]
作家・三島由紀夫が、かつて所属した劇団「文学座」創設者の一人・獅子文六に宛てた葉書が市内で発見された。 昭和三十八年(1963)の文学座分裂騒動後に書かれたもので、新作の戯曲に言及したものだという。[神戸新聞]
石田三成の居城として知られる佐和山城本丸跡で新たな発掘成果があった。 27日午前10時から現地説明会があるという。[彦根市]
ハッピーバレー地区で戦中の不発弾8発が発見された。 見つかったのは日本軍の50mm迫撃砲弾2個と手りゅう弾6個で、警察が処理したという。[AFP]
ひばりケ丘で江戸時代末期~明治時代初期に銅銭を鋳造したとみられる遺構が発見された。 当時の代表的貨幣・寛永通宝を原料に、約25倍の価値があった薩摩藩の琉球通宝を偽造した可能性があるという。[熊本日日新聞]
鉄器生産工人集団の族長だった忍海(おしみ)氏の氏寺とされている8世紀前半の寺院跡「地光寺(じこうじ)西遺跡」で、中心伽藍(がらん)の北と西を区画する塀跡が発見された。 同遺跡では、これまでの調査で塔とみられるの正方形(11×11m)の基壇(きだん)跡が見つかっているという。[産経新聞]
斎宮跡の東側で平安時代初め頃南北方向の区画道路や、文字や記号の刻まれた土器などが発見された。 13日午前10時から現地説明会があるという。[斎宮歴史博物館]
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