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2016年5月2日のブックマーク (2件)

  • みなもと太郎 さいとう・たかをの偉大な功績を語る

    『風雲児たち』などでお馴染みの漫画家みなもと太郎先生がTBSラジオ『タマフル』に出演。漫画家さいとう・たかを先生が日漫画界に起こした革命と、あまり知られていないその偉大な功績について話していました。 只今「サタラボ」今回は「さいとう・たかを特集 by みなもと太郞」歴史漫画の大傑作『風雲児たち』などで知られる、漫画家・みなもと太郎先生がさいとう先生について語ってくれます! #utamaru #tbsradio #radiko pic.twitter.com/xN0fHYFTwb — tamafle954 (@tamafuru954) 2016年4月30日 (宇多丸)ここからが、日の編でございます。漫画家さいとう・たかをさんがいかに日漫画界に革命を起こしたのか? 革命ですよ、みなさん。解説していただきます。レジェンドが、伝説的存在が伝説的存在を語る特集となっております。それでは、

    みなもと太郎 さいとう・たかをの偉大な功績を語る
  • 「こんな小説は書けない」と村上龍を打ちのめした傑作短編集(村上 龍) @gendai_biz

    文/村上龍 このエッセイのために、久しぶりに各短編を読んでみた。だが、今読み返すと、何かが違う気がした。何なのか、最初わからなかった。南紀州の無頼の男と流れ者の女の性行為が執拗に描かれる、という風に評されている。 だが「南紀州」ではなく「近畿・紀伊半島南部地方」と記すと印象が違ってくる。「無頼の男」だと、どことなくかっこいいが、「低学歴の肉体労働者」「貧困層」などと表現すると、インパクトがなくなる。 「流れ者の女」だと、訳ありの艶っぽい女が目に浮かぶが、「無職・住所不定でセックス依存症の女」と記すと、精神が不安定で貧相な女を想起してしまう。さらに「性行為」ではなく、今風に「エッチ」だと、『水の女』の衝撃は完全に違うものに変質する。 違和感の正体は、中上健次が描き出した世界はもう存在しないということだった。ただし、だから作品として価値が薄れるということではもちろんないし、また、消滅した世界だ

    「こんな小説は書けない」と村上龍を打ちのめした傑作短編集(村上 龍) @gendai_biz