(英エコノミスト誌 2010年11月20日号) 日本は歴史上存在したどの国よりも速いペースで高齢化しており、経済と社会に多大な影響を与えている。では、なぜ日本は適応するための手をほとんど打っていないのか――。 (英エコノミスト誌、ヘンリー・トリックス東京支局長) 日本の未来を垣間見たければ、夕張市を訪問するのがいいだろう。かつては炭鉱都市として栄え、4年前に360億円の負債を抱えて盛大に破綻した北海道の街だ。 夕張は静かな場所で、鉄道路線の終着駅がある谷に位置している。炭鉱が稼働していた40年前、夕張市には12万人が暮らしていた。しかし炭鉱が閉山してから長い年月が経過し、現在は1万1000人が残るのみ。その半数近くが65歳以上である。 市役所はまるで遺体安置所のようで、照明はほとんど灯っていない。過去4年間で市役所の職員は半減し、給料は3分の1削減され、今では職員が自ら床のモップ掛けをしな
NexusOneで毎日ウハウハしている俺様がやって来ましたよ!現在のAndroid対iPhoneがかつてのWindows対Macになるというのはよく言われる比喩である。かつて栄華を誇っていたMachintoshがどのベンダーでも自由にOSを搭載できるマイクロソフトの戦略に敗れ去ったことになぞらえて(そこッ!「右クリックがなかったから」などと言わないように!)、クローズドなiPhoneはオープンなAndroidに(少なくともどのベンダーでもOSを採用できるという意味で)負けるだろうというものだ。そんな恐ろしいシナリオはアップルファンにとって快くないため、あの手この手でそのシナリオを否定しようとするエントリが登場する。 Perlハッカーとしてだけでなく、アップルファンとしても名高い@dankogai氏も例外ではなく、次のようなエントリを投稿されている。 話の展開にかなり怪しくなっているので脊髄
⇒「暴力装置」の起源と系譜 - 名無しさんの弁明 おつかれ様でした。 異論はないですよ。実は、ヴェーバーは「暴力の独占」は述べたけど、「暴力装置」という用語はこの文脈では使っていなかった。だから、「暴力装置」は厳密にはヴェーバーに由来する用語ではないです。 ただ、社会学の慣例としてヴェーバーの「暴力の独占」が「暴力装置」と理解されてきたので、では、そういうことで整合的に説明しましょうかということでした。 そして整合的に説明するとたぶん私の解になると思う。少なからぬ人が罵声を投げかけてきたけど、理詰めで考えてごらん、そうなるから。 とはいえ。 「暴力の独占」を前提に「暴力装置」をきちんと理解すると、暴力装置とは国家である、ただそれだけ、という帰結しかない、ということ。 ただどこかに、ヴェーバーの「暴力の独占」と、流布されている「暴力装置」を繋ぐリンクがあるはずで、調べていたけど、よくわからな
結論からいうと私にはわからないんですけどね。Grimm の Deutsches Woerterbuch 第1版にも出てなかったし。 でも Gewaltapparat がヴェーバーと関係ないってのはないとおもうな。暴力装置のほうは知らないけど。 おそらくこの「暴力装置」という言葉は福田歓一の影響であろうと思われる。上にみたようにヴェーバーの独占について述べた箇所には装置という意味合いは含まれていない。このようにして、「暴力装置」という神山茂夫の用語は、左派、右派含め広まっていき、そして今や社会学用語集や政治学の教科書にまで掲載されるようになった、というわけである。 http://d.hatena.ne.jp/catisgood/20101121/1290326392 百歩譲って日本語としてそうなのかもしれませんが、Google Books に収録されてない論文などいくらもあるでしょう(苦笑)
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く