12月3日付のニューヨークタイムズに、右翼的潮流による「朝日・植村バッシング」に関する記事が大きく掲載された。 下記URLで閲覧が可能である。 http://www.nytimes.com/2014/12/03/world/asia/japanese-right-attacks-newspaper-on-the-left-emboldening-war-revisionists.html?_r=0 見出しは、「歴史修正主義者を勢いづかせている、日本の右翼の左派新聞に対する攻撃」と訳して大きくはまちがつていないだろう。単に、植村隆・北星学園大学講師に対する卑劣な脅迫についての現象面の報道にとどまるものではなく、背後の構造をとらえての右翼的な潮流への批判となっている。匿名の右翼だけでなく、安倍晋三首相や読売新聞が名指しで批判の対象となっていることに注目しなければならない。 残念ながら、日本のメ
ジャストシステムは日本語ワープロソフト一太郎の新バージョン「一太郎2015」を発表した。発売は2015年2月6日。 今回の目玉は「一太郎dash 30th」だろう。一太郎dashは、1989年に発売された一太郎Ver.4のサブセット版で、機能が少ないかわりに軽快な動作を売りにしていた。 「一太郎dash 30th」は、起動するとブラウン管を模した枠内に黒背景白文字で画面表示され、ESCキー押下でメニューを呼び出すという「MS-DOS時代の一太郎の雰囲気を再現」する一方、単なるジョークソフトではなく、校正支援機能やEPUB出力などの最新一太郎の機能を有した実用性も兼ね備えており、「起動にかかる時間を最大60%短縮」「必要ディスク容量は一太郎2014に比べて約1/7」といった実用性もアピールしている。また、インストールCDも、5インチフロッピーディスクを模したケースに封入されている。ただし、付
サッカー元日本代表FWでJ1のベガルタ仙台に所属する柳沢敦選手(37)が、今シーズンかぎりで現役を引退することになった。 Bonn, GERMANY: Japanese forward Atsushi Yanagisawa (L) heads a ball to teammate Naohiro Takahara during an afternoon training session at the Sports Park North stadium in the FIFA World Cup training camp in Bonn, 09 June 2006. Japan will compete with Australia, Brazil and Croatia in the Group-F. AFP PHOTO / TOSHIFUMI KITAMURA (Photo credi
アラン・スミシー(英: Alan Smithee)は、アメリカ映画で1968年から1999年にかけて使われていた架空の映画監督の名前である。使用停止の年は、公式には2000年となっている[1]。 アメリカで、映画制作中に映画監督が何らかの理由で降板してポストが空席になったり、何らかの問題で自らの監督作品として責任を負いたくない場合にクレジットされる偽名である。使用には厳密な規定があり、映画監督からの訴えを受け付けた全米監督協会(Directors Guild of America; DGA)による審査・認定のもとに使用されていた。 ハリウッドや独立系などアメリカの映画監督は全米監督協会という労働組合を組織している。映画製作を左右する実権を握る映画会社や映画プロデューサーに比べると映画監督は立場が弱く、全米監督協会を結成してメジャー映画スタジオと対抗することで、映画監督の待遇改善や「映画の作
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平川克美氏の『グローバリズムという病』を読みました。株式会社をはじめとしたビジネスの論理だけで生き方を考えることに警鐘を鳴らしていて、快哉を叫びました。地域を捨て、文化を捨て、母語を捨て、様々な差異を捨てて「グローバル」なるものに溶け込むことがそんなにいいことなのかと。 グローバリズムという病 でも正直に言うと、かつて自分が中国語を学び、留学を志したのは、家族や地域を捨て、自分の文化や母語から脱却しようとする試みだったと思います。まさにグローバルに溶け込みたいと思っていたんです。でも、外から自分のルーツを見つめ直して、考え方が180度変わりました。 だから留学のように海外に身を置いて言葉を学ぶのはとても貴重な体験になると思います。でも、それは母語でこの世界、あるいは森羅万象を切り取ることが出来るようになってからの方がいいんじゃないかとも思います。例えば昨今「(グローバル化という)バスに乗り
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