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文章に関するrocketboy_miyaのブックマーク (29)

  • 古賀及子に学ぶ! おもしろい日記の書き方  |  無駄づくりの学校 - 藤原麻里菜のウェブ

    今回は、日記の達人である古賀さんに日記の書き方について教えてもらいました。 無駄かもしれない、けど作ろう。自己表現の無駄づくり学校〜。 『とにかく何かを作ろう』をテーマにモノづくりのノウハウをティーチしていく最先端の学校です! 今日はゲストにきてくれております、古賀及子さんです。 古賀さん(以下、敬称略)「よろしくお願いしま〜す」 古賀さんは今日も元気です。今日は日記の書き方ということで、日記の達人の古賀さんにお話をお伺いしたいとおもいます。 古賀「おまかせあれ!」 古賀及子(こが・ちかこ) 2004年よりwebメディアの「デイリーポータルZ」にライターとして参加。 2005年より、同編集部所属。編集の傍、ライターとしての活動も続け、代表記事は『納豆を一万回混ぜる』『決めようぜ最高のプログラム言語を綱引きで』『アイドルの話はプロレスの話に翻訳できるか~文化にも通訳が必要だ~』など。個人の活

    古賀及子に学ぶ! おもしろい日記の書き方  |  無駄づくりの学校 - 藤原麻里菜のウェブ
  • 校正なんて賎業だろ

    (追記) 「俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている」の末尾に句点なし。「一番最後」は口語的表現でOKなのかな。 ありがとう、助かる。 どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。 句点イレル。そういや同じ現場だった校正者もよくやらかしてたな。元気してるだろうか。 「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。 “?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。 だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方

    校正なんて賎業だろ
  • 「落語を覚えること」と「文章を書くこと」の間にある「意外と深い関係」についてご存知ですか…?(堀井 憲一郎) @gendai_biz

    英語より落語を覚えた 高校一年の初夏、一学期の終わりに成績表に書かれた教師の寸評をよく覚えている。 「落語を覚えるのと、英単語を覚えるのと、どちらが大変なのだろう」 わりといい時代で、いい高校で、いい先生だったから、指導色がうすく、なにやら詩のようであった。 担任は英語の教師である。 わたしは落語研究会にいた。サッカー部にもいたのだが、落研のほうが目立っていたのだろう。クラブ活動と勉学の両立について何か言ってるようであり、英語教師として英語にも力入れるようにそれとなく諭しているようであった。 どっちとも取れる。 こういう言葉は心に残る。 落語より英単語を憶えたほうが良いとおもう、とストレートに言われたら、すぐさま忘れている。 言葉の力はそういうものらしい。 高校に入って、まだ15歳だったこのころ、たしかにどんどん落語を憶えていった。 中学三年のときに笑福亭仁鶴の落語が大ブームになって、それ

    「落語を覚えること」と「文章を書くこと」の間にある「意外と深い関係」についてご存知ですか…?(堀井 憲一郎) @gendai_biz
  • 1カ月で900本の記事を編集し、40本の原稿を書く男の文章作成術 コツさえ掴めば文章は量産できる

    「文章を書くこと」の苦手意識をなくすにはどうすればいいのか。ネットニュース編集者として、1カ月で900の記事を編集し、40の原稿を書いている中川淳一郎さんは「いくつかのコツやポイントをおさえておけば、それっぽい文章は比較的簡単につくることができる」と説く。その極意とは──。 カネを稼ぐには文章を書く必要がある ホワイトカラーの労働者にとって、「文書/文章をつくる」ことは仕事の基要件のひとつである。正直、これらを生み出す業務によって収入の5割は成り立っているのではなかろうか。 いや、「5割」の根拠は明確なものではないのだが、「いつでも、わかりやすい書類をアウトプットできる」ことは、ビジネスパーソンにとってかなり大きな強みになるのは間違いない。「説得力のあるプレゼン技術」「卓越したコミュニケーション能力」「相場を読み切る力」「いま現在のはやりを見極める審美眼」「奇想天外なアイデア」なども

    1カ月で900本の記事を編集し、40本の原稿を書く男の文章作成術 コツさえ掴めば文章は量産できる
  • 最近文章が書けなくなった - phaの日記

    正確にいうと、書く意欲が湧かなくなった。 僕は、ネットとかにあれやこれやの思ったことを書き続けていれば人生はなんとか進んでいくだろう、と思って今までやってきた人間なので、書けなくなるのは困る。これからどんなふうにやっていけばいいんだろう。 なぜ書けなくなったのだろうか。いろいろ思い当たることはある。 ・大体書きたいことは書いてしまった ・長く書き続けてきたので自分の書くことに飽きてきた(会社をやめてブログを熱心に書き始めてから15年、最初にを出してから10年) ・シェアハウスをやめて一人暮らしになったのでいろんな情報にさらされる度合いが減った(最近はテレビとかよく見ていて普通になった) ・ネット全体の雰囲気が自分に合わなくなってきた ・40代になっていろいろエネルギーが減ってきた かつての自分は、ツイッターに断片を書き散らす→そういうのがある程度まとまったらブログに書く→もっとまとまった

    最近文章が書けなくなった - phaの日記
  • 樹の恵本舗 株式会社中村|足リラシート・樹の恵

    東京生まれの日人。 現在、TBSラジオ「ジェーン・スー 生活は踊る」のMCを務める人気コラムニストで作詞家、プロデューサーのジェーン・スーが、毎日を過ごす女性たちに向けて書き下ろすエッセイです。 おつかれ、今日の私。 vol.1 「人間は考える葦である」という言葉がある。自然に対し人間は脆弱な存在ではあるが、考える力があるという点では偉大だって意味らしい。17世紀を生きたフランスの数学者、物理学者、思想家であるパスカルの言葉で、「パンセ」という書物に載っているそうだ。「パンセ」はパスカルの死後に、彼が書き溜めておいたメモを遺族がまとめて出版したものだという。文筆業を生業にする者としては、そんなことをされたらたまったものじゃないと背筋が凍る。パスカル、可哀相。 人間が考える葦なのだとしたら、私の人生は毛足の長いじゅうたんだ。遠目からはわからないが、近づいて目を凝らせば髪の毛やポテトチップス

    樹の恵本舗 株式会社中村|足リラシート・樹の恵
  • 『理科系の作文技術』を久しぶりに読み返し、とにかく「6 はっきり言い切る姿勢」「7 事実と意見」だけは絶対にみんな読んだ方がよい、と思った - Magnolia Tech

    理科系の作文技術(リフロー版) (中公新書) 作者:木下是雄発売日: 2016/10/14メディア: Kindle版 いまさら紹介するまでもないけど、とりあえず作文方法を学びたい時は、まずはこの「理科系の作文技術」を読むことをお勧めする。 最近ブログのエントリをざっと書いてそのまま公開してしまうことが多かったので、少し反省し、それを直すためにこのを改めて読み直した。そうしたら、タイトルで全部言い切っているのだけど、とにかく「6 はっきり言い切る姿勢」「7 事実と意見」だけは絶対にみんな読んだ方がよい、と思った。 日常的にメールや、ブログの記事など、それなりの量の文章を書くことが多いけど、論文や雑誌の記事など、きちんと他人の目を通した上で公開される文章を書くことは、まずない。一度だけ、雑誌の記事原稿を書いたとき、自分なりにかなりの推敲を重ねたつもりでも、プロの編集の方から見れば言葉使いや、

    『理科系の作文技術』を久しぶりに読み返し、とにかく「6 はっきり言い切る姿勢」「7 事実と意見」だけは絶対にみんな読んだ方がよい、と思った - Magnolia Tech
  • 所信表明|若林正恭

    自分にとって不特定多数の人の目に触れる可能性のあるネット上で文章を書くのはとても難しいことです。 ネットで文章を書くということは、 一部が切り取られて誤解されてしまったり、 無断転載の末に曲解を招く可能性があることは今では当たり前のことになっています。 ですので、書くとしたら言葉を選ぶことになりますが、 選び過ぎてしまうと自分が言いたいことからどんどん遠ざかってしまう。 僕は自分が感傷的になりやすかったり、 熱くなりやすいところを恥ずかしい部分だと思っています。 でも、なぜか最近それらをおもいっきり書きたくなってきました。 そんな話を知り合いの方と話していたところ、このnoteの定期購読の話を聞きました。 「クローズドな場所なら気兼ねなく書けるよ」という甘い誘惑にのってみたくなりました。 特に裏話を書きたいとかそういう事では全然なく、 葛藤や熱くなってしまったことをそのまんま書いてみたいで

    所信表明|若林正恭
  • 誰に向かって文章を書けばいいのか - Small Things

    文章は誰か特定の人物に向けて書くものである。 誰に向かって文章を書いているのか。それがとても大切だと感じている。この「誰に」が明確であればあるほど文章、つまりブログは走り出していく。 「誰に」向かって書いているのかが明確でないと、なんとなく書いている文章になってしまう。そうなってしまうと誰にも届かない。 堀井憲一郎氏の「いますぐ書け、の文章法」の影響を強く受けているので、まず誰に向かって書くのかを意識するよう常に心掛けている。 いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書) たとえばそれはリアルな仲のいい友人をイメージする。 お酒が好きで、でも外で飲むのは苦手で、よくべて、ケラケラと笑う友人を思い浮かべる。その友人の中では異性の友人)に向けて書いていく。 それはリアルな友人Aさんである。Aさんがうんうんとうなずいてくれる文章、Aさんが笑ってくれるような文章、Aさんがえっそうなんだと少し驚いて

    誰に向かって文章を書けばいいのか - Small Things
  • 文章を書く人に伝えたい50のこと(再販)|pato|note

    この文章は販売期間が終了したため削除されましたが、要望の声が多いので復活させた再販ものです。以前購入された方は以前のものがそのまま読めるはずですので、購入の必要はありません。このnoteは「伝えること」を中心に、Webで文章を書くには何が必要なのかを届けるものです。 2019年10月1日よりおおよそ1か月の間連載され、爆発的アクセスを記録した45回のnoteを加筆修正し、1回分を削除、新たに6回分を書き加えたものになります。 無料で公開してましたが、ストロングゼロを買うために有料としました。よろしくお願いします。ストロングゼロを飲ませてやろうという人のみ購入してください。 以下が目次となります。 1.伝えたいことがない文章は全てゴミであるいま、これを読んでいるということは少なからず”書きたい”という気持ちがあるはずだ。 多くの人が「文章を書く」という事実に直面した場合、文章の綺麗さや流麗さ

    文章を書く人に伝えたい50のこと(再販)|pato|note
  • おもしろい文章は「共感8割、発見2割」|竹村俊助/編集者

    おもしろい文章は、内容がおもしろい」という残酷な事実がある。 もちろん、表現や言い回し、空気感などでおもしろさを伝えられる人もいる。しかしそれができるのは、作家など一部のプロフェッショナルだけ。下手にマネすると「さむいエッセイスト」みたいになる。 プロの書き手ではないぼくたちが「おもしろい」と思われる文章を書くためには「内容で勝負する」必要がありそうだ。 ただ、おもしろいと思われるような「新しい考え方・できごと・情報」なんて、そうそうあるもんじゃない。というわけで、「やっぱりおもしろい文章なんて書けないや」とあきらめてしまいがちだ。 一方で、ふだんぼくらが「おもしろい」と思う文章は、ずっと「なるほど!」「へえ!」が続くようなものでもない。ずっと「新しい情報」だらけの文章は疲れてしまうのだ。 たとえばこんな文章がある。 パプアニューギニアは、南太平洋にあるニューギニア島の東半分及び周辺の島

    おもしろい文章は「共感8割、発見2割」|竹村俊助/編集者
  • 凡人が原稿に集中するための9つの必勝法|竹村俊助/編集者

    原稿を進めるコツは、なによりもまず「自分は意志が弱い」と認めることです。 パソコンをおもむろに開いて、原稿をさらさらと3時間書き進めて「ふーむ、今日はざっと1万字か、やれやれ」みたいな人はいません。村上春樹しかいません。 だいたいの人は、パソコンを開くとまずツイッターかフェイスブックに直行して1時間ほどウダウダし、「はぁあ、原稿やんなきゃあ」とのたうち回った挙げ句、1行進んでは1行消し…とやっているうちにイヤになり、またSNS地獄にハマる、というのが相場となっております。 よって、凡人は「意志の弱い自分を動かすためのあらゆる工夫」をすることが必要なのです。 集中できる時間はどれくらいなのか? 集中できる場所はどこなのか? どんな音楽を聴けば集中できるのか? 自分をつねに「モニタリング」しながら、最適な環境に身をおいてあげることが大切なのです。そこで新年一発目のnoteは、ぼくが見つけた「原

    凡人が原稿に集中するための9つの必勝法|竹村俊助/編集者
  • 一度でいいから文章うまいねって言われてみたい

    増田歴10年。下手な鉄砲数うちゃ当たるってわけで今まで何度かホッテントリ入りしてきたが、文章力があるねってコメントが一度たりともついたことがない。 文章力があるってどういうことなの? ホッテントリ入りしてる増田に「文章力がすごい」というブコメがついていることがあるけど、「これのどこが文章力があるの???」というものから「たしかにこれはプロレベルの文章力だ」と感じるものまで幅広くて、もう訳がわからないよ。 構成力の問題なのかな。それなら自分にはないよ。だって構成とか一切考えずに書いてるから。 一時期、悩みに悩んで「自分には文章力がない」という増田を書いて、それがたまたまホッテントリ入りしたことがあるのね。 そしたら今は亡きhagex氏から「釣り」判定されたの。いやお前書けてんじゃん、みたいな。 じゃあなんで10年も増田やってて一度も文章力を褒められたことがないわけ? 読めないほど酷い文章力で

    一度でいいから文章うまいねって言われてみたい
  • ブログで自分語りをしてもいいという話と、感想コンテンツの特殊性について - 明晰夢工房

    ブログで自分語りをしてはいけないのか問題 ついさっき、ちょっと思うところがあって、「ブログ 自分語り」でぐぐってみました。 すると案の定というか、出てくるブログに書いてあることはほぼほぼ「ブログで自分語りなんてするな」の一色でした。 いわく、芸能人でもない人の個人的な話なんて誰も興味ない、ブログは読者に価値ある情報を提供するものだからそんなこと書いたらダメ、それより読者の興味に寄り添うべき云々。 いや、お説はいちいちごもっとも。 たぶんこんな感じのことが書かれているんだろうなあ、と予想はしていましたが、だいたい思った通りのことが書かれていました。 自分語り、嫌われたものですね。そりゃそうです。貴方のことなんて誰も興味ないよ、と言ってるその人たちの大部分は、ブログで集客し、お金を稼ごうとしてる人達でしょう。その立場からすれば、それこそ自分語りなんてなんの役にも立たない。いやむしろ有害なんだ、

    ブログで自分語りをしてもいいという話と、感想コンテンツの特殊性について - 明晰夢工房
  • 太古の昔、ブログは「文学」だった。 - 明晰夢工房

    p-shirokuma.hatenadiary.com amamako.hateblo.jp 今日はこちらのエントリを読んで思ったことなどを。 ブログに商業化の波がやってくる前、この世界はただリアルには出せない、自分の思いのたけをぶつけるだけの場所だったように記憶している。もちろん観測範囲の問題はあるし、以前から商売のためにブログを書いていた人も、ブログを書籍化した人がいることも知っている。だが総じてブログ空間は、ただ書きたいこと、訴えたいことがあるから書く、という人が多くを占めていたように思う。 はっきり空気が変わり始めたと感じたのは、「ブログで自分語りなどしてはいけない」と主張する人たちが出てきた頃からだ。需要のないエントリなど書いてはいけないということだ。自分が書きたいかどうかではなく需要があるか、要はお金になるかが一番の関心事、という人たちが増えてきた。ブログをどう書こうと自由なの

    太古の昔、ブログは「文学」だった。 - 明晰夢工房
    rocketboy_miya
    rocketboy_miya 2020/02/04
    “最近、自分自身への期待をどれだけ手放せるかが、ブログを長く続けるコツだと考えはじめている。”
  • ポメラDM200を使わずに終わったので今年は何とかする - Small Things

    ポメラDM200を買った。それも発売から3年以上経った2019年に。 www.kingjim.co.jp しかしまったく使わなかった。 ポメラというのはテキスト入力に特化したデジタルメモツールである。文字入力しかできない。ただ2008年発売の初代ポメラDM10から仕様面、機能面共に進化してきている。 7インチワイドTFT液晶、バックライト搭載 キーピッチ17.0mm(横) 15.5mm(縦)のキーボード 最適化された賢いATOK 無線LAN搭載 iPhoneのメモアプリと双方向で文章編集可能 Evernote等にテキストファイルをアップロード可能 類語辞典を含む各種辞書機能搭載 と、文章入力に集中できる機能アップがユーザに受け入れられたことは間違いない。 そして価格は今でも(2020年1月)Amazonで36,000円ぐらいであり、kakaku.comによる価格推移グラフをみても、ここ2年

    ポメラDM200を使わずに終わったので今年は何とかする - Small Things
    rocketboy_miya
    rocketboy_miya 2020/01/01
    このままだと…
  • 「という」と「こと」を減らすだけで、文章はぐっと読みやすくなる|Ryo Yoshitake | THE GUILD

    と思っている話です。もはやタイトルでぜんぶ言ってしまった。 せっかくなのでもう少し続けます。 2020/05/03追記:第二弾?書きました このがまだ初稿になる前、共著者のみなさんと執筆真っ最中の頃に何度か打ち合わせがあったのですが、そこで「書籍的な文章を書き慣れてない人って、"という"と"こと/もの"を多用しがちなので、この2つを抑えるだけでも文章がシュッとするんですよ」とお話したら思ったより反応があったので、これは需要があるんじゃないかと感じたのがきっかけです。 ここから先は具体例を交えて解説していきます。 さすがに他人様のテキストを使うのは気が引けるので自分が書いた記事を例に挙げます。……でも自分はこのテクニックを使うようにしているので、該当する記事がなかなかないんですよねぇ……と思ったらあった! (よりによってこれか……せっかくなので皆さんスタァライトを観ましょう!) 記事中では

    「という」と「こと」を減らすだけで、文章はぐっと読みやすくなる|Ryo Yoshitake | THE GUILD
  • 日本語の編集をしていてよく直すパターン15選(増えるかも)

    『校正のバイトをしててよく直す箇所10選|bxjp|note(ノート)』という記事を読んで、よくパターン化されていて素晴らしいって思っていました。ところが、記事の趣旨を勘違いした方からの冷たい反応を受けて有料にされたということで、あまりも残念なので自分の立場で再編してみました。1~10は元記事のパターンに対してぼくの考え方を添えたもの、A以降は、元記事を見てぼくが反射的に思いついたパターンです。 まあ、こういうパターンは便利だけど、パターン化できる修正を積み重ねれば悪文がなくなるほど自然言語は簡単ではないので、編集や校正をする人はたいへんですね。 自分は、こういうパターンも直すけれど、段落の役割を整理する、みたいな修正のほうが専門です。(専門とは?) 追記:これは文の書き方指南じゃなくて、文の編集校正で何をやってるか報告です。 1. 順接の「が」が頻出 順接の「が」は撲滅を目指すべきです。

  • 説得力のある文章に必要な条件とは何か。 | Books&Apps

    コンサルタントをしていた、ということもあり、15年以上にわたり、私にはずっと「文章のレビュー」を引き受ける仕事がついて回っている。 もちろん今も、1日に数程度は誰かの書いた文章に赤入れをしている。 手間がかかり、非常に時間もかかる仕事だ。 とはいえ、実はこれはなかなかおもしろい仕事だ。 というのも、文章は話し言葉以上に「書き手の頭の中」が非常によく分かるので、ある種、人間観察のような側面があるのだ。 人間そのものに興味がある私にとっては、趣味と実益を兼ねたおいしい仕事と言えよう。 さて、そうして何百、何千という文章をレビューするうちに、ある日私は一つの疑問を持った。 それは「文章の説得力」についてである。 同じことを訴えているはずなのに、ある人の文章にはとても説得力がある一方で、別の人の文章はとても胡散臭い。 文章の説得力は、一体何が決めているのだろうか? 「説得力はエビデンスとロジック

    説得力のある文章に必要な条件とは何か。 | Books&Apps
  • 職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。

    職場内で流通する機関誌みたいなものがある。 毎月、偉い人が「激動の時代を生きるために」などと、コピペしてきたのかな?と感じるほどに定型的な有難い言葉を長々と連ね、「最近将棋始めました」で締める訳の分からない文章が巻頭に掲載されている。 その次に、やや偉い人が似たような言葉で叱咤激励し、犬を飼いはじめたことをカミングアウトして締める文章が続く、そんな大変に有意義な冊子だ。 その中の1コーナーに「わたしのコンソメスープ」というコラムコーナーがある。 正直に言ってしまうと僕はこのコーナーの意義が全く分からなかった。端的に言うとなぜそこにあるのか全く分からない。意味不明だとすら思っていた。 そこに存在するだけで僕の精神を蝕んでいくような、ただのコラムとは思えないほど恐ろしくも禍々しい「何か」、それがこのコラムにあったのだ。 (Boris Wong) 毎回、様々な社員が登場し、コンソメスープのある風

    職場で「わたしのコンソメスープ」という意味不明コラムを書かされた時のこと。