Kongには日本法人がないため、正確には私はKongの社員ではなく、従って退職すると言うよりは、Kong, Incとの取引を停止します、という方が正しいですが、ともあれ。。 今週末の29日付けでKongを退職します。次は来月の8日から働きます。2年ぶりにサラリーマンになる予定です。
TL;DR 現職のTreasure Dataを本日を最終出社として退職します しばらくは休みをとりつつ次に何をやるかを考えるつもり 次は自分でビジネスを立ち上げるか、それともエンジニアリングチームを作るところにフォーカスするか、これから考える 技術顧問業もはじめます、が、メインにはしないつもり その他これからの活動にご期待ください 現職について 就職時にこのエントリを書いてから6年3ヶ月、当初思っていたより長く働いたなあという感じです。入ったときはUSと日本で合計40人もいなかったくらいだったと思うけど、今では世界中に同僚がいて規模は約10倍くらいになりました。途中Armによる買収もあって、スタートアップから中規模企業までのビジネスと会社の成長を見てきました。自分もそれなりに貢献できてたんじゃないかなと思います。 いま見直すと就職エントリに書いていた3点、「技術ベンチャーであること」「ベン
もとい、4年7ヶ月ソリューションズエンジニア(=セールスエンジニア)として勤めたGitHubを退職します。月曜が最終出社で、年末をもって退職です。 GitHubでの思い出たち 思い返せば2014年、GitHubに応募したときにはまだGitHubにはグローバルでも120人ほどしか社員がいなかったのですが、半年後、2015年に入社したときには300人、その翌年には600人を超える規模に急激に成長しました。。 2019年も終わりの現在、1400人近くいます。来年にはさらに倍近く増えるはず。随分大きな企業になったものだ。。この4年半でシリーズBで2.5億ドル調達、その3年後にはマイクロソフトに75億ドルで買収されたわけです。いやはや。。 日本法人も私が入社したときはDiceと僕の2人しかおらず、アメリカからセールスがもう1人の3人体制でしたが、今は16人ほどに増えています。いやー大きくなった。 自
ex-dwango.md 株式会社ドワンゴを退職しました 2011年3月15日に就職してから今日で8年と3ヶ月半・・・月にして99ヶ月・・・日数にして実に3033日 と・・・計算している間にも23秒が過ぎてしまったわけですが、株式会社ドワンゴを退職しました。 7月からはクックパッドで働きます。 ドワンゴでやってきたこと 2011年に入社して最初は今は亡きニコニコ静画(電子書籍)のバックエンドの開発をしました。 当時はphp縛りだったので仕方なくphp、こっそり gitを導入して会社の公式リポジトリであるsvnには定期的に git-svn でコピーする仕組みを作ったりしてました。 当時CIはちょっと導入されていたもののCDの概念は存在しなかったので、capistranoでphpをデプロイする仕組みを作ってそれも こっそり 運用していました。 浜町時代からドワンゴ社員御用達 BROZERS'
2018年11月30日(金)は、Cloudera株式会社への最終出社日でした。2011年4月1日に入社したので、勤続日数は2800日でした。 Clouderaオフィス2011年 Cloudera Japan オフィス 2012年 日本にオフィスも同僚もいない状態からのスタートでしたが、今日、多くの同僚たちに見送られる形で会社を出ることができました。 退職するときは、最後の一人として会社を去るか、自分がいなくても会社が回るようになったときか、そのどちらかにしよう、と決めていました。皆が退職することを惜しんでくれましたが、私がいなくても会社は問題なく続いていくでしょう。私が理想とする結末にたどり着くことができて、本当に嬉しいです。 7年前、ごく一部の人しか知らなかったHadoopは、今や多くの人が知るソフトとなり、Hadoopに限らず、様々なデータ基盤を活用することが当たり前の時代となりました
最終退社時の自分の机 2012年に修士卒からの新卒でNTT研究所に入り、6年間お世話になりました。 研究所では同期や先輩や後輩や上司に恵まれ、存分に書籍や論文を読んで勉強して力を蓄えたり、対外的な発表の場にも恵まれ外ではできないような体験をすることができました。 ありがとうございました。 入社当時に作られたtogetterを見返すと togetter.com togetter.com まるで昨日のように感じられる。 NTT社内で僕が何をやっていたかについては言える物は軒並みアウトプットされているのでわざわざここでは触れない。 NTT研究所について NTT研究所を客観的に見た時にどうかを書いていく とにかく人に恵まれている。採用の倍率が高いのもあって潤沢な学生エントリーからよりすぐりのエリートが謎の力でポテンシャルを見極められて採用されている。同期を見てひと目ですごい奴も居れば、一見してわか
9月末付けで株式会社モバイルファクトリーを退職します。本日8/24が最終出社でした。 まだあまり実感はなくて、(弊社では伝統の)退職者発表や挨拶なんかをしながら「あー辞めるのかー」という気持ちを出しつつ、でもなんかやっぱ実感はわかないなぁって思ってるところです。 いろいろ思い出を振り返りながら、まあ当たり障りの無い範囲で何をやってきたかとかをつらつら書いてます。 なれそめ もともとWeb系がやりたかったので、Web系ベンチャーを探していました。 ベンチャーって絞ってたのは、割と裁量もらえてガンガン勉強できそうって印象があったから(まあ実際そうだった)。実際当時の人事担当と会って「あ、ベンチャーっぽい」ってなったのが印象深いですね。 やってきたこと 基本スタンスとしてはフロントエンドエンジニアであることが長かったですが、 最初はサーバサイドでPerlを書いていたし、度々Perl書いたりExp
退職 is 離苦route 自分はこのブログで書かれているチームにいた。(ちなみに、このブログに書かれていることはすべて事実だ) いわゆる威圧されている側である remember.fornothing.net 自分も疲れたのでやめた。普通に考えて、こういうことが起こる環境で働くのは厳しい。 「リファラルで採用!」みたいな感じで人の紹介を依頼されても、上のように優秀な人間からやめていく環境を紹介できるわけがない。 そう思うとモチベーションは下がる。 どうすれば良かったを論じても結果論にしかならないので、学べたことを書くしかない。 心理的安全性 まず第一に心理的安全性を確保できないのは危険だ。 こんなこと当たり前のように思えるけど意外とできてないし、 そもそも肉体的な安全すら確保できてない企業も多そう。 KPTと呼ばれるKeep(続ける良いこと)Problem(置きてる問題)Try(今後改善す
4月からフリーランス。直近半年の仕事は埋まってるけど、パイプ作っときたいとかあれば mizchi2w@gmail.com までメールください。 なんでやめるの? 要約: 自分のスキルの、ベンチャー企業の社員としてスキルミスマッチ フロントエンドの、とくにSPAで高速で堅牢なアプリを作る、という自分のスキルセットを振り返ると、「需要はあって必要なことには必要だが、どうしても瞬間風速が高いそのタイミングを超えると扱いに困る」という人材適正があると認識しており、前職のQuipperから引き続き2社連続で、「そのために入った最初のプロジェクトが終わると、やや手持ち無沙汰になる」という状態になっていました。 とくにスタートアップのような、予算が厳しい上にピボットする可能性ある現場だと、自分のスキルが活かせないフェーズがある、というのが、会社にとっても、個人のモチベーションとして厳しいものがありました
最終出社でした 10ヶ月という短い期間だったけど、やりたい事ができたし、滅多にない場面も関係者として経験できた。 周りは未来の基幹事業を作り出そうと奮闘してる人ばかり、一方で大企業ならではの現場の状況を遠くから見聞きすることもできた。とても濃く早い10ヶ月だった。 関係者のみなさま、大変お世話になりました。引続き良い関係を続けさせてください。 月末まで有休消化なので、明日からの1週間は、朝の娘の送りだけでなく、夕方の迎えもやる所存です。 2月1日からは六本木で働きます。
この日記はKMCアドベントカレンダー2016の13日目記事です。 前日は、sorah先生のsystemd-nspawn で portage の binary package (binpkg) ビルドをいい感じにする - diary.sorahでした*1。 去年もポエムを書いていましたが、今年もポエムを書きます。進化がないのか・・・。 いいわけ。 なんでポエムを書くのか、それは忙しくてプライベートのアウトプットが殆どなかったからです。最後にアウトプットしたのはZabbixで電気の使用ログを取る話で、それ以降ほとんど進捗がありません*2 言い訳はこの程度にしておいて。 わたしは新卒でゼネコンに入って九ヶ月(2016年1月末)で辞め、今は都内にある小さなソシャゲ会社でサーバの面倒を見たりしています。 ということで、およそ10ヶ月遅れの退職エントリです。退職直後は正直思い出したくなくて、ようやくT
何者にもなれないエンジニアこと@teitei_tkです。 会社のAdventCalendarが埋まってしまったので、イジケつつ自分の記事を書こうと思います 。 この記事は転職アドベントカレンダー2016の5日目です。 で、その何者さんは誰よという話ですが、 ソーシャルゲームの開発をしている1エンジニアです。いや、していました。か。 IT業界歴は6年ほどで、3年はWebサービスの会社。 次の3〜4年はソーシャルゲームの主にサーバサイドをしていましたが、 先月からfreee株式会社というところに入社し今ではBtoBのWebサービスを作る仕事をしています。 teitei-tk.hatenablog.com 宣伝ですが、freeeではエンジニアを募集しています。 転職をお考えの方や、遊びに来たいという方はぜひご連絡ください。 jobs.freee.co.jp 2016/12/2 現在業界歴6年で5
これまで、特にこのブログでは所属する会社名を出してこなかったので、僕が DeNAのエンジニアをやっていたことを知らない人も多いと思いますが、数えてみたらもう丸7年もDeNAにいました。まわりからは長い長いとよく言われましたが、モバイル広告2年、PCゲームプラットフォーム4年(合間にモバイルの仕事もしてた)、最後はマンガアプリ1年半と、プロジェクトはいい感じで移っていました。とにかくどこに行っても大量のトラフィック浴びつつ前に進んでいた感じでした。楽しかったです。 DeNAに入る前、つまり10年か15年くらい前は、まあとにかくWeb大好きで、なんだけど本業では映像のお仕事をしていたので Perl 書くのは趣味で、KENT WEBのCGI魔改造したりオリジナルのCGI配布したり、息を吸うようにスクレイピングしたり、MovableTypeいじり倒したりアフィリエイトで一儲けしたり、CPAN Au
早いもので、入社して3年と少しが経ちました。 5月末に最終出社を迎え、今は初めての巣立ちにしみじみとしながら有給を頂いております。 ラスト健保🍣の様子です YAPC::Asia Tokyo 2011 で hidek さんのお話を聞いて、この会社に入りたい!この部署に行きたい!と叫んでいたらうっかり内定・配属され、 高トラフィック・大規模なプラットフォームを、技術力も視座も高いメンバーと大きな裁量をもって開発・運用するという、とても貴重な経験を積むことができました。 進むべき道が見つからず思い悩むこともありましたが、いろんなアドバイスを頂いたり、様々なお仕事を任せていただいたり*1したおかげで、おぼろげながらも次の一手が見えてきたかなということで、今回の決断に至りました。 DeNAという会社はいくつもの部署があり、それぞれに個性的なカルチャーが醸成されているのですが、わたしの在籍していた部
この週末にこの話を書こうと思っていたのですが、筆不精なもので土日を普通に過ごしてしまいました。 さて、表題の通りDeNAを卒業することになりました。 今回は技術的な話ではなく、単純にライフステージの変化の話なので気にならない人は読み飛ばしてください。 DeNAに入社したのは3年半前 yosuke-furukawa.hatenablog.com だいぶ昔の記事ですね。この時は同年代や年下の若いエンジニア達がメキメキと力をつけていく中で「なんとかしなければ」という焦燥感で常に何かしらをウォッチしつつ、新しい技術があれば飛びついて調べ、アウトプットする、というようなことをやってました。(今でもアンテナは張っているつもりです) そんな折に DeNA に誘われて入社できたのは非常にラッキーだったと思っています。新しい技術を積極的に採用しつつも、ある程度冷静かつ成熟した判断をしている部分があり、しかも
明日はNHKおかあさんといっしょで「たくみお姉さん」から新しいうたのお姉さんにバトンタッチされる日です。そして、2013年3月にLINE社の社員証をゲットしてからもう3年が経過しましたが、僕はLINE社を退職します。今日3月31日が最終出社日で、在籍自体は4月末までです。 「LINEのプラットフォーム化に力を貸して欲しい」と誘われてから今まで、まあ速かったです。もう3年も経っちゃったのか、という印象しかありません。それだけ内容が濃かったのか、いろいろやること多すぎてずっとテンパってたのか、自分でも良くわかりません。「入社したのがつい昨日のことのようです♪」なんてことはさすがにありませんが、例えばOpenSocialやり始めてからは、もう8年も経過してるんですよ。そりゃ年取るわけです。もう41歳だし。 入社したときにはLINE Platformの原型は既に開発されていて、しかし全然まだまだの
ご報告 タイトルの通りで、2016年1月末日で株式会社DeNAを退職してた。 今はトランスリミットというベンチャーで働いてる。 2週間報告をしなかったのは、しっかり振り返りの時間を取りたかったから...というわけじゃない。 普通にプライベートで色々あったり、友達と飯食ってただけで、つまり惰性。 退職エントリとか書くほどのアレもないけど、周りの同期に煽られたなそういえば、 書かなきゃなあと思い続けて早2週間がたったので、煮え切らない感じを断ち切るために書く。 厳かな退社 お世話になった先輩方や同期に見送ってもらい、非常に厳かな雰囲気の会がいくらか開かれた。 先輩方との飲み会はなかなか写真もなかったが、 同期に送別会を開いていただいた際には記録のために写真を撮った。 みんな、涙を流して別れを惜しんでくれた。 しんみりと、大人っぽいムードで酒を飲み交わした。 今後の将来について語り合う最高の同期
(English follows Japanese) 1月末で5年間勤めたAmazon Web Services Japanを離れ、新しいチャレンジをすることにしました。まずは今まで関わった全ての人、特にお客様・パートナー様、最後にAWS社員の皆さんに深く感謝をしたいと思います。ありがとうございました。この5年間を振り返ると、本当にあっという間で今でも初日のことをよく覚えています。当時はメンバーも片手で数えるほどで、まだ何も出来上がっていない・全部一から作り上げなくてはいけない、そんな状況でした。そこから早くも丸5年が経ちますが、私自身掛け替えないの貴重な経験と喜びを得ることが出来ました。特に日本の中だけで閉じていた自分にとってはグローバル企業のダイナミズム・スピード・スケールの大きさ・価値観などに触れることができたのは本当に貴重だったと今振り返って感じています。 あまり過去を振り返らない
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