九州北部豪雨で不通となった豊肥線の立野(南阿蘇村)―緒方(大分県豊後大野市)間について、JR九州は「復旧に1年近くかかる」との見通しを示した。線路に土砂が流れ込んだり線路の土台が流失したりしている場所は、同区間だけで130カ所にのぼる。 阿蘇市の宮地―波野間では、トンネルからレールが外に流出。入り口で「とぐろ」を巻いていた。 この区間を走る観光特急「あそぼーい!」(熊本―宮地)は、9月2日まで運転区間を博多―人吉に変更することが決まっている。観光への影響も深刻だ。
九州北部豪雨で不通となった豊肥線の立野(南阿蘇村)―緒方(大分県豊後大野市)間について、JR九州は「復旧に1年近くかかる」との見通しを示した。線路に土砂が流れ込んだり線路の土台が流失したりしている場所は、同区間だけで130カ所にのぼる。 阿蘇市の宮地―波野間では、トンネルからレールが外に流出。入り口で「とぐろ」を巻いていた。 この区間を走る観光特急「あそぼーい!」(熊本―宮地)は、9月2日まで運転区間を博多―人吉に変更することが決まっている。観光への影響も深刻だ。
昭和の雰囲気が漂うJR国道駅。その無人改札を抜けて左に曲がるとすぐ「生麦魚河岸通り」に出る。約400メートルの通りに魚屋が30軒ほど並び、朝は寿司(すし)ネタの買い付け人らがせわしなく行き交う。 魚屋が密集したのは戦後の闇市の名残だ。当時から続く魚屋「内長(うちちょう)」の主人、内海唯雄さん(80)によると、近くを流れる鶴見川の浜で水揚げされた魚介類が、川と通りをつなぐ無数の路地にできた闇市で売られた。ある路地は近県から人が押し寄せるほどイワシが大量に売られ、「イワシ横丁」と呼ばれたという。 闇市が撤廃されると、路地から通りに出て商売する人が増え始め、全盛期には100以上の魚屋があったという。 今も砂利道のイワシ横丁に入る。足元を見ると、砂利に貝殻がたくさん交じっていた。闇市で売られるのは貝の身だけ。残った貝殻を川沿いに捨てるうちに、そこら中が貝殻だらけになったとか。 横丁を抜ける
群馬のマスコットキャラクター「ぐんまちゃん」の誕生日会が26日、前橋市の県庁であった。出席を申し込んだ県民や近県のファンら約650人が祝福した。 隣県の栃木県、北関東道で身近になった茨城県、千葉県のマスコットをはじめ県内各地のゆるキャラ約30体も集合し一緒に祝ったほか、群馬を題材にしたご当地クイズなどで楽しんだ。 ぐんまちゃんの形をしたケーキが登場し、ロウソクを消して大きな拍手を受けた人気者。ぐんまちゃんの声を代弁する形で県の担当者は「自然や歴史、食など魅力がいっぱいの群馬を今後もPRしていきたい」などと話していた。 ぐんまちゃんは1994年2月22日に誕生した。当時は別の「ぐんまちゃん」がいたが、08年に2代目となった。群馬のイメージアップに奔走しており、県によると昨年4月以降、県内外でのイベント参加は100回を超える。
横浜DeNAベイスターズ、誕生へ――。プロ野球・横浜ベイスターズの売却を東京放送(TBS)ホールディングスが4日、正式に発表した。同社に代わってこれから球団経営に臨む「ディー・エヌ・エー(DeNA)」の春田真会長は意気込みを語った。一方、チームゆかりの人たちには期待と不安が入り交じる。 球団経営に乗り出すDeNAの春田真会長(42)は4日、都内で「監督や看板選手、スタジアム、全てが変わったと思ってもらえるようになりたい」などと抱負を語った。 「外からはチームとしてどうしたいかが見えなかった。僕らは運営への思いを訴えたい。そもそも、なんで横浜市民の方々が試合を見に来なくなったのか。ネットメディアとして市民の声を募り、聞いてみたい」 横浜スタジアムとの関係については「球場を人が集まる場所にしたいという思いは同じはず。話し合って、都市型の地域密着球団を作りたい」と語った。 目標は、愛され
普通列車とワゴン車が衝突し、ワゴン車の男女2人が死亡する事故が4月にあった高崎市根小屋町の上信電鉄の踏切について、上信電鉄は遮断機と警報機を設置する。12月に着工、来年2月に完成させる予定だ。 設置費約1500万円の半分を国が出し、市は505万円の補助金を、9月市議会に出した一般会計補正予算案に盛った。同社の負担は約250万円。 4月30日午前9時前、通所介護施設の送迎用ワゴン車がこの踏切で、普通列車と衝突、後方の座席にいた施設利用者の男性(当時85)と付き添いの女性(同36)が死亡した。同社によると、昨年8月や07年3月にも衝突事故があった。 民家のブロック塀や樹木で見通しが悪い。4月の事故後、市は「停止」の路面表示を大きく引き直したり、同社は竹を伐採したりした。遮断機と警報機の設置が決まったことに、近くの60代の男性は「危険を知らない営業車も通る。設置は地域の悲願だった」と語る。
東日本大震災で被災した猫の「もなか」。仙台で保護され、広島にやってきた。腰に痛々しいけがを負いながら、半日がかりでオス猫3匹を産んだ。助けられなかったら、生まれてこなかったかもしれない命。飼い主の避難所生活が終わるまでは、故郷に帰れない。 もなかを助けたのは、NPO法人「犬猫みなしご救援隊」(広島市安佐北区)。捨てられたり虐待されたりした犬猫を育て、新たな飼い主を探す活動を続けてきた。 震災発生から2日後の3月13日夕方。津波に襲われた仙台市若林区の民家で、5匹ほどの猫が身を寄せ合い、震えていた。救援隊代表の中谷百里(なかたに・ゆり)さん(49)が近づくとおびえた。家具や冷蔵庫が倒れ、他の家の家財道具が流れ込んでいた。飼い主が現れず、翌日に保護。後に連絡がとれ、妊娠中で、けがをしていたもなかの世話を頼まれた。 それから16日後の29日、もなかは広島で点滴を受け、苦しみながら出産した。「命に
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