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ブックマーク / arisan-2.hatenadiary.org (8)

  • 2006-04-25

    『魂の労働』では、アメリカのヒップホップ映画や黒人の音楽文化からのイマジネーションが大きな魅力になっている部分がある。 続きを読む しかし、われわれが隔離や排除に反対するアクションを起こさない――あるいは、そうしたアクションを支持しない――場合、それはわれわれが排除や隔離を否認しているからなのだろうか。こう疑うべきかもしれないのだ。われわれはたんなるニュートラルな傍観者としてではなく、もっと確信犯的に「敗者」や「余計者」を敵視しているのではないだろうか。 (渋谷望『魂の労働』p86) 五月からは今より忙しくなるはずなので、今のうちに読み応えのありそうなを読んでおこうと思って、今日酒井隆史の『自由論』を奮発して買ったんだけど、その前に酒井の盟友渋谷望のこのを一通り再読するつもり。 森達也のもまだ読みきってないのだが。 続きを読む

    2006-04-25
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    rrmmjjff 2009/10/16
  • サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート

    『存在と無』(ちくま学芸文庫)のなかの第一部第二章では、「自己欺瞞」という心理現象の分析をとおして、人間の意識のあり方に迫る試みが行われている。 この部分がたいへん面白いと思ったので、ここにメモしておきたい。 まず、これはとても重要なことだが、サルトルはここで、嘘や虚構と、自己欺瞞とを明確に分けている。 嘘をつく人の内心の気持ちは、肯定的である。つまりその気持ちは、肯定的判断の対象ともなりうる。嘘をつく人は、だます意図をもっているのであり、この意図を自分に隠そうとはしないし、意識の半透明性をおおい隠そうともしない。(p173) 虚偽は一つの超越的な行為である(p174) この「意識の半透明性」というのがよく分からないのだが、まあいいだろう(「無」が関係してるのだろう。)。 ともかくサルトルがここで問題にするのは自己欺瞞であって、嘘(虚偽)や虚構ではない。自己欺瞞は、「超越的」ではない。私が

    サルトルの「自己欺瞞」論 - Arisanのノート
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    rrmmjjff 2009/10/14
  • さかもと未明「無力感を乗り越える力」を読んで - Arisanのノート

    たとえば霧や あらゆる階段の跫音のなかから、 遺言執行人が、ぼんやりと姿を現す。 ――これがすべての始まりである。 (鮎川信夫 「死んだ男」第一連) 発売中の雑誌『正論』に載った、さかもと未明の「無力感を乗り越える力」という短いエッセーが、たいへん考えさせられる内容だったので、それについて書いてみたい。 このエッセーは、「ニート」と呼ばれる若者たちの集会に参加したという筆者が、彼らが強い無力感に苛まれていると感じて、『胸が痛くなった』という体験から語りはじめられる。 筆者は彼らの心情への共振と呼べるようなものを控え目に語った後、次のように書く。 ニートでなくとも、地方経済の衰弱によって失業や廃業に追い込まれている人が増えている。あるいは地震などの大規模災害に巻き込まれて、住む家や生活の基盤を失った人も少なくない。「自己責任」という言葉が一頃よく言われたが、自己の最善を尽くしても、どうにもな

    さかもと未明「無力感を乗り越える力」を読んで - Arisanのノート
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    rrmmjjff 2009/10/06
    共同性
  • ベックのカフカ批判 - Arisanのノート

    きのうの記事のなかで、エヴリン・T・ベックという有名なカフカ研究者のインタビューが、粉川哲夫著『カフカと情報化社会』というに収められていることに触れた。 カフカと情報化社会 [ 粉川哲夫 ] ジャンル: ・雑誌・コミック > その他ショップ: 楽天ブックス価格: 3,132円 このは、いまあいにく手元にない(ちょっと入手しにくいと思う)のだが、数年前これを読んだ時に、詳細なノートをとっていた。主眼は、ベックによる鋭利なカフカ批判の紹介である。現在の社会に問いかける迫力を持ってると思う。 一方、ぼくの感想は、今読んでも、そう悪くないというか、今よりちゃんとしたことを書いてる部分もあるほどなので、ほとんど修正せずに、そのまま下に載せようと思う。 ぼくがカフカを擁護してるのは、自分を擁護したい気持ちからでもあるのだろう。また断罪に同意してるのも、同じことである。 だがまた、12月6日付けの

    ベックのカフカ批判 - Arisanのノート
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    rrmmjjff 2009/10/06
    「カフカの異化効果は、ブレヒトのそれとはちがって、世界変革の可能性へ向けられてはいないので、読者は異化された世界の向こう側には何も見出すことができません。」/カフカ読みは大抵ロマンティスト
  • 公明党の政治を再考する - Arisanのノート

    今更という話だが。 今回の選挙で大きく議席を減らし、与党の座からも滑り落ちた公明党だが、連立政権時代に公明党の果たした役割について、考え直せるのではないかと思っている。 たしかに公明党が自民党と連立を組んでからというもの、国旗国家法の成立だの教育法の改正だの多くの悪い法案が通り、アメリカのイラク侵攻への加担や自衛隊海外派兵も大っぴらになった。また貧困の拡大も進んだかの感がある。とくに、右傾化ということについては、公明党の連立与党としての責任の大きさを、非難する意見は強いだろう。ぼくもそのように思ってきた。 だが今考えてみると、そうした法案や政策はどれも、公明党が連立を組まなかったとしても、実現し遂行されていたのではないだろうか。 もし公明党が自民党と連立しなければ、自民党は民主党と連立・連携したであろうからである。要するに保保連立ということだ。 その場合、政治は「自公連立」で実現され

    公明党の政治を再考する - Arisanのノート
  • 立岩真也の横塚論を読んで - Arisanのノート

    立岩真也による『母よ! 殺すな』単行の解説は、文に拮抗する素晴らしい内容である。ただ、一箇所だけ、「どうなのだろう」と考えさせられる点がある。それは、同書の406ページの終わりから、408ページにかけてのあたりである。 ここで立岩は、「障害(者)」という属性になにか積極的な意義付け(「障害は素晴らしい」とか)をする必要はないという考えを横塚は持っていたはずだという意味のことを書いた後で、こう付け加える。 ただ、横塚は他方で、なにか自分たちに固有な積極的なものを見出そうとしているように書いてあるところがある。それを「拠点」にしようと述べているところがある。(p406) そして、横塚は自分たち「障害者」という、ある属性を持つ集団の「集合的・文化的同一性」の獲得ということを目指した節がある。ただし、結局は、その方向性は横塚自身により放棄された。こういう解釈になっている。 これは、たしかに、そ

    立岩真也の横塚論を読んで - Arisanのノート
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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 竹内好「近代の超克」その2 戦争と生命線 - Arisanのノート

    きのうの続き。 最初に余談。 きのう小林秀雄のことに少し触れたが、小林は、戦前から戦後にかけて際立ったカリスマ性を持ち続けた日文化人の一人だ。 戦後第一のカリスマ三島由紀夫が代表作『金閣寺』を発表した直後、小林と対談し、たしか次のようなやりとりがあった。 小林 『三島君。世間ではあの小説を叙事詩だと言ってるようだが、あれは抒情詩だね。』 三島 『いやあ。分かりますか。』 このくだりを読んだとき、「そんなこと、俺でも言えるわ」と思ったが、小林にじかに言われると、さすがの三島も恐れ入ってしまう、というところがあったんだろうな。三島はいまの基準で考えても、文学者のなかでは超絶的に頭のいい人だったと思うが、小林の前に出ると、やはり呑まれたりすることもあったのだろう。 小林のこういう印象批評的な一言というのは、パドック解説で故大川慶次郎がよく言っていた、「この馬、バカによく見えますね」というのと

    竹内好「近代の超克」その2 戦争と生命線 - Arisanのノート
  • どちらが絶滅論者か - Arisanのノート

    これは、まったく真っ当なことを言ってるよ。 パレスチナ:「ハマス無視では解決なし」 ハニヤ氏政治顧問、オバマ米政権をけん制 http://mainichi.jp/select/world/news/20090126dde007030058000c.html 「ハマスは、イスラエルの生存権を認めてないから」とか、名目上のことだけを問題にする馬鹿な人が、(反戦派、イスラエル批判派のなかにも)いるけど、ハマスのどこにそんな実力があるんだよ。 実際に相手を絶滅させる力を持っていて、現実にそれを行使して圧迫を加えてきたのはイスラエルの方じゃないか。いわばそのことの反映として、抑圧されてきた民衆の心情的な支持をとりつける形で、ハマスの名目上過激な言説も出てきている。 パレスチナやハマスの生存権を認めないという「過激な」言説を表明していないイスラエルの方が、現実には日常的にハマスのメンバーや、一般のパレ

    どちらが絶滅論者か - Arisanのノート
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