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ブックマーク / mojimoji.hatenablog.com (25)

  • 排外主義それ自体が暴力です - モジモジ君のブログ。みたいな。

    そして、動画につけられたブックマーク。*1 ブックマーク・コメントを見ると、「思想はどうあれ、暴力はよくない」的な主張が散見されるが、これはどういうことか。在特会の排外主義プラカード&シュプレヒコールは、在日外国人にとっては直接の恐怖だ。常野氏に対してふるわれた暴力に勝るとも劣らない暴力、どっちかだけ批判とかありえない。 元々、薄く広がる無自覚な排外主義は日社会の隅々にある。そういう排外主義的な主張に接しても「事を荒立てない」「大人の」態度が当然とされる。その一方で、近年の右傾化を経て、音ダダ漏れ化が進行、春先のカルデロンのり子さんの問題が持ち上がった頃、「当事者の生活空間に押し寄せて排外主義の主張を行う」という特異なデモが企画されたあたりから、具体的に目に見える形を取り始めた。それから、今回の事件。排外主義者のデモに対して「排外主義反対」の紙切れ(即席プラカード)を掲げた男性に対する

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  • 小児性愛の何を問題にしたいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    demianさんの記事とか読みつつ。>「最近のいろいろ」 セクシャルマイノリティ、という一般化 どうもこうしたテーマになると、同性愛者を迫害したり、SMやフェティッシュな志向を持つ人たちを鼻つまみものにしたりというのと同じことを小児性愛者や子供と恋愛関係になってしまう人に対してやってしまう人が多いなと。 これらはすべて、「成人対象の異性愛」という規範からの逸脱として同列に排除されてきた、という歴史はある。しかし、その意味で同列に扱われてきたということは、その含む内容において同列に扱うべきものだということを意味しない。だから、上記引用部におけるdemianさんの指摘は納得がいかない。 そもそも、同性愛やSMやフェティッシュのなにが悪いのか、僕にはさっぱりわかない。べものの好き嫌いとなんら違いが見出せないからだ。批判者の言説においても、それ以上のものを見たことがない。しかし、小児性愛において

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • ポスト「ポスト・モダン」に向けて - モジモジ君のブログ。みたいな。

    バカには何を言っても聞かない、という人がいる。悪い奴は確信を持って悪いことをやっているのだから、「それは悪いことだ」と言っても無駄だ、という人がいる。バカや悪人に向かって「説教」するよりも、もっと「現実的な方策が必要だ」、とかなんとか言う。それを「プラグマティズム」とか自称していたり。──プラグマティズムってのは、そこまで底の浅いものではないはずだけれど、それはまぁ、よしとしよう。しかし、こういうことを言う人の「現実的」というのは、一体なんなのだろう。 自分がバカだったとき、悪人であろうとするとき、そういうときのことを考えてみる。その自分を押しとどめるのは、自分以外の誰かの行為であり、言葉であり、それらの自分以外の誰かが発するメッセージだ。その誰かとは、目の前の誰かであることもある。そうではないこともある。かつて、僕に向けて発せられたメッセージが、時を経て、僕の目を開かせることもある。たと

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 「退屈な話」の向こうに見えるもの - モジモジ君のブログ。みたいな。

    女性国際戦犯法廷を傍聴したノーマ・フィールド氏が、傍聴した元慰安婦の証言の様子について、次のように書いている。 涙を拭いながらの証言はずいぶんあった。見ている者も涙をぬぐう。しかし証言者のうち数人の場合、その語りからことばが次第に消えてゆき、嗚咽に変わる。広い会場で、成人した女性が演劇ではなしに、声を立てて泣くのである。それはこちらが涙を拭って見ているにはあまりにも緊張にみちた場面である。なぜだろう。大人が人前で声を立てて泣く光景は、見る者を心底惨めにする。どうしていいかわからない。子どもが大人の泣くのをみてじっとしている。あの無力感だ。ことばを離れたうめきの流れ、痛みの時間に身をゆだねるしかない。…(ノーマ・フィールド「法律と悲しみと──女性国際戦犯法廷傍聴記」、VAWW-NETジャパン編『裁かれた戦時性暴力』所収) 僕にも似たような体験がある。それでこのノーマ・フィールドの文章を、うな

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • inumash氏へ、「観客席なんかありません」 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    inumash氏からのトラックバック。>http://d.hatena.ne.jp/inumash/20080401/p1 論理の筋道の問題と運動論の問題を摩り替えている、というところは、あちこちで指摘されているとおりだけど、ではなぜこれを摩り替えてはいけないのかというところを付け加えておく。つまり、この種のすり替えは、「運動論として」ダメなのだ、ということ。 だから、例の批判に対して“リソースは有限なのだから”と回答するだけでは不十分なんじゃないかと思うんだよね。単に「左派を叩きたいだけの人」を煙に巻く分にはいいけど、普通に「左派に期待している/いた人」には不誠実に見えるんじゃないかな。 その「左派に期待している/いた人」ってのは、一体誰のことで、今、何をしているんだ?「期待している」というからには、外部にいるんだから、左派じゃないんだよな。かつ、「左派を叩きたいだけの人」、つまり敵でも

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 排外主義者、あるいは日曜サヨク、その4 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    iteau氏が反論を書いたそうだ。>id:mojimoji氏への反論 しかし、不思議な読解をする人たちだな。 元々、「アイヌとチベットと」の中で、「チベット問題との温度差をすげえ感じた - NC-15」という記事に対して示されている、「「どっちもどっち」「いずこも同じ」なる相対化を行い、目前の暴力行為に沈黙をしてしまう、沈黙を強要する」という解釈が的外れだ、ということなのだ。 指摘するまでもないことだと思うが、muffdiving氏は、アイヌ問題とチベット問題の両方を問題だと考えているのは明白だ。仮にチベットを問題にするならば、少なくともアイヌを問題にすることを批判するな、と主張しているのである。そして、(これはバカでないなら分かることだが)「アイヌを問題にすることを批判するなら、チベットについても問題にするな」とは述べていないのである。当たり前だ。何をどう読んだら「沈黙を強要する」ことに

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • オマワリの主人の自覚が必要 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「死ねばいいのに - 無産大衆」 ここを普段読んでる人なら知ってるだろうけど、僕は全然アナキストなどではないのであって、どちらかというと秩序大好き人間なのであるが(大概の落書きも大嫌いだし)、にも関わらず、こういうデモの弾圧とか、それをまともに報道しないメディアの話とかになると、非アナキストの有象無象のたわごとなんかより、アナキストの方が全然共感できるってのも悲しい話だよな、とは思う。 とりあえず立ち位置 直後に聞いたところによると、運転手に関しては運転席の窓ガラスを割って、無理やりこじ開けたとのこと。それで、逮捕理由が公務執行妨害だと。なんだ、それは。こっちは来しなてもいい許可申請までしてやってるんだぞ、カス。死ねよ。というか、公妨ってなんだ。とりあえず、さっき警察署に弁護士を派遣した救対の人の話によると逮捕者は四名、上記三名に加えてロイターのジャーナリストも持っていかれたとか。 まぁ

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 愚行権は安全装置になってません - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「安全装置としての愚行権」 について。質問の(1)〜(6)については、番号ふってあります。 タイトルはちょっと変かな。「tikani_nemuru_M氏の理解するところの愚行権は」と言うべきか。 相手を目的とする、ということ とりあえず、(6)からやりましょうか。>「「相手のためになる批判、相手を目的とした批判」って、具体的にどういう批判だ?」 先に書いておくと、「相手のためになる批判」なんて、言ってないと思いますが。まぁ、それはそれとして。 「相手を目的として語る」とは、直接語りかける場合には、相手は説得可能であることを前提として、相手を説得するという目的を保持して語るべきだ、ということを言っています。最近の記事に限らず、これは僕が数年来このブログで言い続けていることですけども。これを大事だと痛感している人だけが、その点を読み取ってくれます。考えたことがない人は、当然のようにスルーします

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 十字軍はバカに勝てるか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いわゆる「ニセ科学批判批判」をしている人の文章を読むと、こういうのを書いている人って切実に「これはまずいのではないか」と思うような体験がないのか、単に寛容な人なのか、なんなんだろうという。人によっては自分の周りの人たちは水からの伝言のことを話していてもそんなに真に受けてないし、何を騒いでるの?といったことを書いていたりもしますし。 「昨日のエントリについての補足」@Demilog ニセ科学にはまっている人を見て、切実に「これはまずい」と思うことならいくらでもあります。ただ、ニセ科学を討伐する十字軍をやっても無理だろう、と思っているだけです。バカは、バカとして主体的であることはできても、バカでなくなることはできません*1。怒ったところで宥めたところでスカしたところで、バカが治るわけではありません。バカはバカだからバカなのです。科学的な説明をしてみせても、わかるわけがありません。バカなんだから

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 全国学力テスト、抽出調査>悉皆調査である理由 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    第一に、抽出調査であれば、調査コストが下げられる。 第二に、それゆえ、調査項目を増やし、より豊かなデータを得ることができる。 第三に、調査データが正確である。すなわち、地域間比較や学校間比較に使えないことから、直前の試験対策や、答案改竄などの不正を引き起こすインセンティブがない。 その上で付け加えておくと、地域間比較や学校間比較に、なんらかの有意味な理屈をつけることは科学的にほとんど不可能である。……以上で十分だと思うけど。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20081008 も参照のこと。

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    rrmmjjff 2009/07/15
  • 本気でパレスチナに寄り添うつもりなら - モジモジ君のブログ。みたいな。

    【末尾にブコメへのレスを追記しました。】 村上春樹が誰に向かって何を言ったのか。この点を明瞭に押さえておく必要があるでしょう。単に、「イスラエル人に対して語った」というだけでは、十分ではないでしょう。彼は、ガザの攻撃も含めてイスラエルの政治的正当性を疑っていない人に対して、政治の一つ手前にある前提について語りました。彼は、正真正銘、生粋のシオニストに向かって、倫理を説きました。そのことの意味を、考えておきます。 「シオニストに倫理を説く」ことの必要性 シオニストに対して、倫理を説く。その必要性は明瞭だと思いますが、確認しておくべきことではあるようです。基的なことから確認しましょう。パレスチナ問題は、いかにして解決されるのでしょうか?イスラエルの占領終結によってです。その後、どんな状態が待ち望まれているのでしょうか?イスラエル人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国が形成されることです。 言

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 自分を棚上げにするということ、隠喩の問題 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹による政治的なスピーチと、湧き上がる非政治的な解釈」@ブログのきおくそうしつ  Amnesia on the Blog だいたい、断りがない限り、文章の順に引用しています。 「えげつない国家」とはどこの国のことか あんなえげつない国家に加担しないというのは、まあ、まともな感覚といえる。ただし「どんな国も支援しません」と最後に付け加えるとき、イスラエル国家のやっている極端な不正義を、村上は絶対視せず相対化してしまっている。 僕は、イスラエルを「あんなえげつない国家」と言うときに、自分が日国籍を持つ人間であることを考えないではいられません。北朝鮮を「あんなえげつない国家」と言うときに、やはり、日国家が不問に付されているのを見ても、違う、と思うでしょう。ここでの「どんな国も支援しません」という追記は、不可欠でさえあります。 と述べたら、相対化でしょうか?僕は、自分を棚上げにするのか

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 代弁すること、加担すること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチについて」 半ば名指しで批判されていることですし、応答したいと思います。 代弁の問題 驚くべきことに、村上には、「ここに来ることを決心」するにあたって、パレスチナ人に自分の受賞がどう映るか、ということを考慮した形跡は欠片もない(少なくとも、そうした点への弁明が必要だとは全く考えていない)。日での、村上への呼びかけしか眼中にないのだ。 また、村上は、自分のスピーチが「政治的なメッセージ」でないことを繰り返し語っているが、パレスチナの民衆から見れば、イスラエルの蛮行を世界的大作家は拒絶していない、という「政治的なメッセージ」以外の何者でもないだろう。もちろん村上がスピーチで、例えば、「賞金の1万ドルは、全額ハマスに寄附する」とでも表明すれば話は変わってくるだろうが。 もちろん、「パレスチナの民衆から見れば」という視点は大事ではあるんですが、この語り方はどう

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 一度に一つのことしか話せない - モジモジ君のブログ。みたいな。

    いろんな問題があって、それらすべてが問題として取り上げられなければならない、とは思う。しかし、たとえばパレスチナ問題について口を開いた僕が、なぜ他の問題では口を開かないのか、みたいな非難を受けることは時々あるが、結構ウンザリする。そのウンザリ感については、昔、次の記事の中でも触れた。>「排外主義者、あるいは日曜サヨク」 Aという問題で掲げた倫理を、Bという問題では掲げていない、というのであれば、それはまだ仕方のないこともある。あらゆる問題にコミットして、そこで掲げられるべき倫理を決定する、というわけにはいかない。十分には知らない問題、立場上見解を鮮明にできない問題、そうしたことはいくらでもある。しかし、その場合には、Aという問題で掲げている倫理を、Bという問題では掲げないのかと、ただ、たずねてみればいい。オモテで語ることに差し支えがあるなら、相応の私的な領域で確認すればいいこともあるし、あ

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 「決断」の暴力に抗するからこそ、こう述べている - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「決断」の暴力に抗する@過ぎ去ろうとしない過去 こういう内ゲバなら歓迎ですが、もちろん、内容には承服していません。 慎重に語るということ なるほど、パレスチナ問題の解決のためには究極的にはシオニストとの交渉は不可欠かもしれません。シオニストの殲滅という、ともすれば反ユダヤ主義的な解決策をわれわれが選択しないならばなおさらです。ですが、われわれ(日人)は結局はパレスチナ問題において他者でしかない。もちろん、当事者でなければ問題について意見を述べてはならないということではありません。ただ、われわれが他者であるならば、その語りかたには注意を払わなければならない。 あるいは、小田実の「殺すな!」はなぜ普遍的な理念たりえたかというと、そのスローガンは彼のベトナム戦争反対運動に対する徹底的なコミットと日国憲法のラディカルな読解による「政治的」産物に他ならないからであって、たとえば、文脈背景は分から

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • 個別的/具体的な思考が抽象的思考を支える - モジモジ君のブログ。みたいな。

    先の記事にお返事をいただいた。>個別的に「人を殺すこと」を思考することは可能か まず、結論部について。 以上を踏まえると、思考を進めるときに、「人を殺すこ」とに個別性を持たせること自体、倫理的に、問わねばならないのではないか。つまり、今まさに私が目の前の人を殺すその瞬間以外に、個別的に「人を殺すこと」を思考することは可能なのか。やはり、それは想像の産物でしかならず、抽象的な「人を殺すこと」でしかありえないのではないか。だからこそ、始点に戻るが、抽象的な「人を殺すこと」には抽象的な「殺すな!」という言葉しか差し返せないように思う。 想像の産物であることは、「抽象的」であるとは別のことです。それは曖昧さを残していたり、事実と違っていたり、想像を超える余剰を含んでいたりしますが、「具体的」です。イスラエル兵がパレスチナ人の子どもにライフルの照準を合わせるときに起こっていることを「正確に」知ること

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    rrmmjjff 2009/07/14
  • ラディカル・フェミニズムから受け取れること - モジモジ君のブログ。みたいな。

    少し違う角度から。 当たり前のことだけど、陵辱表現どころか、性表現を愛好する人の自由と、一般的な性表現に対してさえ緊張を強いられる人が安心して外を歩く自由とは、両立しない。だから、どっちかを踏みにじるしかない。絶対に。論理的に。こんなことはわかりきった話。あまり認めたくない話だから無視されるわけだけど、ここから目をそらしても始まらんよ。 id:atawi氏が「あなたが「街を歩くことにさえ緊張を強いられる人」を考えているのと同じように、反対側の悲痛な声を聞いてください。無意識に獲得して自我に根付いた肯定されない欲望と公序良俗の間で悶えている「人間」の叫びを」と書いてて、それはまったくその通り。聞いてますけど。そして、それらは両立しない。両立しないことを踏まえて、あなただったら何を言いますか? まずは、表現の自由は、他者の自由の制約の上にあるという、当たり前のことを思い出すべき。たとえば、「表

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  • 行為への欲望を擁護する - モジモジ君のブログ。みたいな。

    まぁ、無理だ無理だと言いなさんな。こここそ、擁護しておかねばならんことのはず。 陵辱表現であっても、必ずしも陵辱する側に感情移入してるわけではないとか、性に対する罪悪感と性的欲望の一つの結合のあり方であるとか、陵辱表現に対する欲望は(確かに)さまざまにありうる。その意味で、陵辱表現への欲望と陵辱行為への欲望は、必ずしも重ならず、表現を欲望する人たちの姿はずっと多様。それはそう。 ただし、陵辱行為への欲望とほとんど区別つかない形で陵辱表現を欲望している人というのは、ホントにいる。そういう人はいて、じゃあ、そういう人は救いようがないのか。死んでもらうべきか。そんなことでもない。 こういう人にとって陵辱表現はどのような意味を持つか。ガス抜きになるか。なる面もあるかもしれないが、むしろ、こういう欲望を強化するような面もあるかもしれず、私見では、後者の方が強い気がする。じゃあ、表現自体にアクセスでき

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  • HALTANさんへ、二つめのお返事 - モジモジ君のブログ。みたいな。

    http://d.hatena.ne.jp/HALTAN/20081031/p2 思うに、専門が云々、というような難しい話ではないです。 まず前提を、それも、一人で考えましょう 「一人一人をちゃんとみんなで守る、そういう社会をコツコツと作っておくべきだった」「この社会を壊したくない、そう思うように一人一人を大事にしておくべきだった」・・・いや、そこで「そういう社会」の具体的なイメージがどうもよく掴めないのですが・・・。 そういう「具体的イメージ」こそ、専門家に任せてくださるとよいな、と思います。僕からあなたにお願いしたいのは、「具体的イメージを書く」ことではなく、「具体的イメージを要求すること」です。そのためには、もちろん、「社会はなんのためのもの?何を目的にするの?」ということを先に決めておく必要があります。だから、HALTANさんがまずなすべきことは、「この社会はどうあるべきか」、それ

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  • お金のない人に財やサービスを届けるにはどうしたらいいのか - モジモジ君のブログ。みたいな。

    Arisanさんとこのコメント欄より。 いま現実にワクチンが存在するのなら、それが安価でもしくは無償で多くの人の手に入るようにすればいいではないですか。 あなたがおこちゃまでないならば理解できるとおもいますが、そんじょそこらの風邪薬とちがって強力なワクチンを開発するにはそれだけ膨大な研究者のマンパワー(開発研究費)を必要とします。開発にせいこうしたらそれらがペイする状態でないとそもそも医療会社やロックフェラー財団はそれらのワクチンの開発すらとりかかれません。ということは、貧しい人たちへワクチンが届くチャンスがそれだけ遠のきます。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070901/p1#c1189143571 natamaruさんが言っていることは、半分くらい正しい(というより、経済学的分析に基づいた提言というのは、それが斜に構えた救命ボート的現実主義を抱えている限

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