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2009年2月12日のブックマーク (3件)

  • ゴヤ 銅版画集「気まぐれ」

    猿がギターを弾いてメス驢馬をうっとりとさせている図。これは時の宰相ゴドイが王妃マリア・ルイーサをたぶらかしているもので、「王と王妃の三位一体の三角関係」の象徴的揶揄である。 18世紀末の「スペインの光と影」を凝縮させた版画集と言われているこの版画集は、当時開発されたアクアティンメント(腐蝕銅版画の一種)を駆使した、陰影のある、光の効果が十二分に生かされた作品である。ゴヤに対して何の知識を持たぬものにさえも、作品の底辺にある芸術家の力量に圧倒されるだろう。しかし、一通り彼の芸術性に感嘆した後、冷静になってこの作品を見ると次々と謎が生まれてくる。先「気まぐれ」という題名からしてどの様な意図を含んでいるのかにはじまり、頁をめくるごとに疑問が後から後から出てくるのである。  「気まぐれ」を理解するため、堀田善衛の「ゴヤ」4部作(新潮社版)を紐解いてみると、「気まぐれ」が「気まぐれ」でない、

  • フランシスコ・デ・ゴヤ 作品画像と解説

    近代絵画の創始者。 1774年、マドリードのサンタ・バルバラ王立タピストリ工場で下絵を描いていた。 1780年、サン・フェルナンド王立美術アカデミーに入会。 1786年、国王付きの画家に任命される。 1789年、新国王カルロス4世の宮廷画家に任命される。 フランス革命の余波がスペインにも及び、激動の時代に入る。 1792年、病気のため聴覚を失う。 自由主義者との交際も深まり、批判精神が鋭くなり、洞察力もついてくる。 1808年宰相ゴドイの失脚。フランス軍の侵入。スペイン人自身が対立していく原因になる。 ゴヤはフランス革命を支持していたが、スペイン人民の独立戦争を支持するという矛盾した立場に立たされてた。 1820年、自由主義革命を支持。しかし1823年には再びフランス軍の介入で圧殺される。 このあたりで描かれたのが「黒い絵」である。 1924年、フランスに亡命するが、ボルドーで客死する。

  • フランシスコ・デ・ゴヤ-主要作品の解説と画像・壁紙-

    近代絵画の創始者の一人として知られるスペインの巨匠。1780年サン・フェルナンド王立美術アカデミーへの入会が認められ、王室や貴族の肖像画を描く。その写実的な作風が当時飽気味であったロココ美術に変わるものとして支持を受け、1786年国王付の画家、1786年、新国王になったばかりのカルロス4世の任命から宮廷画家となるが、1790年代に入ると聴覚の喪失、知識人との交流を経て、強い批判精神と観察力を会得。1801年に王室を描いた作品『カルロス4世の家族』を制作。また当時のスペインはフランス軍の侵入もあり、自由革命や独立闘争などの争いが絶えなかったという情勢もあり、その時期には『1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺』や、住んでいた家の壁に描いた連作『黒い絵』など数々の名作を描いた。1824年フランスに亡命し、ボルドーで死去。享年82歳。 ※2009年1月下旬、それまでゴヤの代表作とされ