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rebuild.fm 今回はTaro Minowa (@higepon)さんの回について。 higeponさんについてはこちら。 Software Engineer@Twitter. OSS projects: Mona (OS from scratch), Mosh (Fast Scheme Interpreter), Mio (KVS). (Twitterからプロフィール転載) この回は内容が大きく2つから構成されている。 エンジニアにとってのTech Leadというキャリアパスについて プロダクトマネージャーの分類と難しさについて 本題として扱いたいのは2についてなのだが、1のTech Leadという役割、キャリアパスが新鮮かつエンジニアの組織を考える上でとても有用だったので、簡単に触れたいなと思います。 なおTech Leadに関する @higapon さんの考察サマリはご自身がブ
Tech Lead(TL/テックリード)の役割。聞きなれない名前かもしれない。リードプログラマやテクニカルリードと呼ばれることも。過去にいくつものチーム(最大で10人以上)の Tech Lead をやってきた自分の経験を踏まえて書いてみる。 Tech Lead の主な役割 Tech Lead はエンジニア班長と言いかえるとイメージがわきやすいかもしれない 顧客に提供したい価値(プロダクトゴール)を正しく理解する エンジニアチームの生産性を可能な限り最大化。プロダクトマネージャ・デザイナと顧客に価値を提供する Product の Launch に責任を持つ Product の Launch 後のメンテナンスに責任を持つ エンジニアを過負荷から守る ときにはマネージャ、プロダクトマネージャのアイデア、スケジュールに NO を言う。代替案を提示する チーム内のテクニカルデザイン、採用技術などに責
エンジニアHub > 記事一覧 > 難プロジェクトに若手が挑む! 3000超の金融機関からデータを収集する「freee」同期機能の舞台裏 難プロジェクトに若手が挑む! 3000超の金融機関からデータを収集する「freee」同期機能の舞台裏 「若手エンジニア、どんな活躍してますか?」の第9回目は、『クラウド会計ソフト freee』などを手がけるfreeeです。「それ、マジで価値ある?」と問いかけ続ける、超課題解決型企業の同社で、若手エンジニアはどのような成長曲線を描くのでしょうか。 キーボードを叩き、叩き、コードを書く。ただただ、テッキーに。 エンジニアとしてのキャリアを積んでいく上での一つの方法論でしょう。しかし、「それだけではない」とばかりに、エンジニアにビジネス全域へのコミットメントを求める企業があります。『クラウド会計ソフト freee』に代表される、スモールビジネスを支援するクラウ
初めまして、アメーバピグでサーバサイドエンジニアをやっているruiです。本ブログは私が所属する部署内のチームを横断した組織であるピグ技術推進室の沿革について「初期」「変革期」「運用期」「終盤」のフェーズに分割して記したものです。 「終盤」というフェーズから分かる通り、残念ながら執筆時点で技術推進室は解散しております。成功体験を書けたら良かったのですが、若干反省めいた内容になっています。それでも良いという方のみ読み進めて下さい。 前置きはこれくらいにして、まずはピグ技術推進室の「初期」について説明します。 初期(2014年秋頃~2016年1月) アメーバピグは古くからあるサービスで、今年の3月で8周年を迎えました。ユーザの皆様ありがとうございます。そんなピグ技術者は、既存機能の改修やイベント運用やCS対応といった保守・運用の業務が多く、売上に直接貢献しない技術チャレンジがしづらい文化になりつ
ご報告が遅れましたが、6月30日付で新卒の2003年から14年あまり勤務したNECを退職しました。 また、本日、東京法務局品川出張所においてヘテロDB株式会社の登記申請を行い、また、併せて新会社のチーフアーキテクト兼代表取締役社長に就任しました。 今後は、前職では実現できなかった、GPUやSSDなどヘテロジニアスな計算機資源を活用する事で、高性能、低価格、使いやすさを両立するデータベース製品の事業化を目指していく事になります。 どうぞよろしくお願いいたします。 web: http://heterodb.com/ 弊社が入居する西大井創業支援センター(品川区) 10年以上も勤務した会社を辞めてスタートアップを立ち上げるというのは、おそらく人生の中でも上位に食い込むビッグイベントの一つだと思うので、今の決意や創業に至る一連の流れについて記録を残しておこうと思います。 (書き下してみたら意外と長
朝日インタラクティブは2017年5月末、日本マイクロソフトやグーグルで活躍した及川卓也氏をゲスト講師として招き、社内勉強会を開催した。本稿では及川氏が今だから語る当時の裏話から、スタートアップへのコミット手法まで余すことなく紹介する。聞き手はCNET Japan編集長の別井貴志。 ――まず、簡単なプロフィールを教えてください。 及川です、よろしくお願いいたします。日本マイクロソフトでWindows OSを、グーグルでウェブ検索や(ウェブブラウザの)Google Chromeなどを担当してきましたが、社会人としては1988年から日本DEC(ディジタルイクイップメント)へ入社しました。ソフトウェア技術者としてキャリアをスタートさせています。 ――開発者がスタートではない? コンピュータサイエンスに携わる30代の方でもご存じないDECですが、コンピュータの歴史をさかのぼると、UNIXやC言語、イ
「ついカッとなって……」取り組んだ 開発者のための開発 で業務効率を改善させた話 ソフトウェアエンジニアの醍醐味は、華々しい働き方のみにあるものではありません。開発者のための開発など、地味かもしれないけど楽しくやりがいのある仕事について紹介します。 アプリケーションエンジニアの id:aereal です。はてなで働いています。 昨今は機械学習などが半ばバズワードと化し、「トレンドを追いかけなければソフトウェアエンジニアとして生き残れないのではないか」という漠然とした不安に襲われることはないでしょうか。 これという専門分野の技術を活かし、所属する企業やひいては社会へ貢献するというあり方は、技術職として華があり憧れを誘うものです。 しかしソフトウェアエンジニアの醍醐味はそういった華々しい働き方のみにあるものではなく、むしろその他の様々な分野にたくさん散りばめられていると筆者は考えます。 この記
1978年鹿児島生まれ。大阪大学大学院工学研究科にて原子力工学を専攻、大手システムインテグレータに就職し2008年にエンジニアとして株式会社はてなへ入社。「うごメモはてな」「はてなハイク2」のリリースや「人力検索はてな」のリニューアルなどのプロジェクトを担当。2013年よりサービス開発部本部長を経て、2014年8月より代表取締役社長へ就任し現在に至る。 今回ご紹介いただいた、アスターミューゼ並河さんとのご関係を教えてください。 並河くんとは前職のTIS時代からの繋がりがあります。彼の所属は社内のR&Dを手掛ける部署で、私は旅行系システムを主に手掛ける部署で働いていました。当時から私はSNSに興味を持っていたため、自分の会社がつくった社内SNSを積極的に利用していたんです。 一般的に、社内SNSなど社内情報共有ツールを立ち上げても使われないことが問題になります。ですが、私は毎日ログインして、
池澤あやか、泣く子も黙る(!?)大手SIerに転職チャレンジ!:スーツ人事vs.ギークタレント、勝敗は? 大手システムインテグレーター「TIS」に「ITアーキテクトになりたい」と乗り込んだ池澤あやかさん。意表を突く職務経歴書にコワモテ人事も目を白黒? もしも、ギークタレント池澤あやかさんが実在の有名IT企業に転職するとしたら?――エンジニアなら、誰しも興味がある話題ではないだろうか。 本連載はそんな架空の設定の下、池澤さんにさまざまなIT企業で「エンジニアとして」採用面接を受けてもらう。 第1回「ヤフー編」は、池澤さんの志向と同社のニーズがすれ違い、不採用という結果につながった。奮起した池澤さんは、第2回「ユカイ工学編」で猛烈アピールし、仕事をやり遂げる「腕力」を評価されて採用を勝ち取った。第3回「リクルートスタッフィング編」では、週に3日だけ派遣エンジニアとして働き、タレント業と両立する
将来がまったく見えなかった20代の日々 ── 日本で職を転々としていた頃、将来についてはどう考えていましたか? 河野:将来のことは何も見えていない状態でした。地元大阪の大学に入学し自分で学費を払っていたのですが、学ぶことがつまらなくて、2週間で退学を決めました。その後、3年間白馬のスキー場で冬場だけ住み込みをし、スノーボードに打ち込んでいた時期もあります。 ── テクノロジーの世界にはどのように入ったのですか? 河野:もともと小学生の頃から遊びでプログラミングをしていて、漠然とですが、大学を辞めてもコンピュータを使った仕事ができるのではないかと思っていました。自動車工場で働きながらプログラミングを独学し、パソコン修理工場に転職し、その後、派遣社員としてプログラマー職に就きました。半年単位のプロジェクトごとにいろんな会社を渡り歩くという働き方をしていたのですが、プロジェクトを終えるごとにスキ
ここから、DevとOpsが協力すればより効率的になる=DevOps、という言葉が生まれました。 当時は大企業においてはDevとOpsが分かれていることが当たり前だったのです。そして、大企業における当たり前が、当たり前ではないことに気付き始め、DevOpsを実現するためのツールができ始めたころでもあります。 ではなぜ、大企業ではDevとOpsが分かれているのが当たり前だったのでしょうか? ハードウェアの時代その昔、産業の主役はハードウェアでした。 そのため、多くの企業はハードウェアを作ることに対して最適化が行われました。 ハードウェアには研究開発、製造、運用サポートといった大きな区分けが存在します。そして、それぞれの仕事において要求する人材レベルは異なります。 加えて、大量生産された製品の運用サポート(設置作業員、サポートセンタ)には、大量の人員が必要になってきます。 したがって、組織を研究
1979年6月生まれ 2002年に立命館大学理工学部情報学科を卒業し、2004年立命館大学大学院理工学研究科情報システム学専攻(工学修士)を修了。TIS株式会社へ入社後、基盤技術センターに配属され、OSSやサーバ仮想化など基盤技術の開発・検証・導入に携わる。2008年TISの社内ベンチャー・カンパニーSonicGardenへ転籍後、CTOに就任。2010年サイバーエージェントへ入社し、アメーバを中心とした大規模サービスの構築・運用に携わる。2015年アスタミューゼ株式会社へ入社。現在に至る。 主な著作に「Chef実践入門」「クラウドAmazon EC2/S3のすべて」「Redmine -もっと手軽にプロジェクト管理!」 元RX-7乗りの適当な日々 http://d.hatena.ne.jp/rx7/ 吉羽さんとのつながりを教えて下さい 実はいつから、というのをあまり覚えていなくて。気づけば
この記事は Supership株式会社 Advent Calendar 2016 - Qiita の1日目の記事になります。遅くなりました。 Supership CTO室室長 @yamaz です。 ビビりなエンジニアが大企業を辞めて起業した話を書きます。 スケールアウトを立ち上げる前、私はヤフージャパンに務めていた。 当時私は結構な給与をもらっており、かつそこそこの立場におり、かつ仕事も面白く、普通なら辞めないような立場だった。 だけど思うところがあり、会社を辞めその後会社を作ることになった。今回はそのあたりの話をしようと思う。今から10年ほど前の話だ。 きっかけ きっかけは上司からの命令だった。 「Adsense作って。2人で」 なんとなくそれっぽいものを作ったものの、エンジニアとしての自分に疑問を持つ結果となった。 AdSenseのすばらしさとのギャップ AdSenseはすごいプロダク
2018年4月25日をもちまして、 『CodeIQ』のプログラミング腕試しサービス、年収確約スカウトサービスは、 ITエンジニアのための年収確約スカウトサービス『moffers by CodeIQ』https://moffers.jp/ へ一本化いたしました。 これまで多くのITエンジニアの方に『CodeIQ』をご利用いただきまして、 改めて心より深く御礼申し上げます。 また、エンジニアのためのWebマガジン「CodeIQ MAGAZINE」は、 リクナビNEXTジャーナル( https://next.rikunabi.com/journal/ )に一部の記事の移行を予定しております。 今後は『moffers by CodeIQ』にて、 ITエンジニアの皆様のより良い転職をサポートするために、より一層努めてまいりますので、 引き続きご愛顧のほど何卒よろしくお願い申し上げます。 また、Cod
「きっと何者にもなれない自分というエンジニアとしての生存戦略」 という記事が僕の周りでbuzzってた。読んだ限り、そのままでいいんだよ、と、恐縮ながら声をかけてあげたいと思ったわけですが、3点ばかし思うところがあったので雑で恐縮ですが書いてみます。 1.自分は何をしたいのか?願望を持つ重要性 「きっと何者にもなれないエンジニアの生存戦略」として以下の項目を挙げられていた。 1.有名OSSにContributeする。 2.起業する。 3.CxOとしてJoinする。 4.副業として顧問になる。 5.サービスを立ち上げる。 これのいくつか大部分は、「自分がこうしたい」という強い気持ちが必要なので、それがないなら無理に焦らないほうが良い。 OSSでContributeしてる人に話を聞くと、必要に迫られてやったという話をよく聞きます。つまり、issueがあるかないかで変わってくるでしょう。残念ながら
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