1960年代、イギリスやアメリカから流れ込んできた音楽の洗礼を受け、70年代は「日本のロック」が一気に花開いた。ビートルズやストーンズに衝撃を受けた鮎川誠さんは、自らもバンドを組んで音楽ざんまいの日々を送っていた。運命の出会いを経てシーナ&ロケッツが誕生するまでの、熱くてロックな日々に思いをめぐらせる。(文=中津海麻子、トップ写真=山田秀隆) 米軍人だった父の蓄音機やレコード ――音楽の「原体験」は? 福岡県久留米市で生まれ、母と二人で暮らしていました。家には米軍の軍人だった父が残していってくれた蓄音機やSPレコード、コンパクトラジオもあり、物心つく前から音楽はよく聴いていたね。『オールド・ブラック・ジョー』とか『マイ・オールド・ケンタッキー・ホーム』とか、アメリカのスティーブン・フォスターという作曲家の曲とかやったと思う。 小学校の何年生だったか、母に初めて日本のレコードをおねだりしまし