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japanとアンカテに関するsaitokoichiのブックマーク (2)

  • 「結果の平等」と「変化の不平等」

    今日の読売新聞で、2008年の論壇を「『新自由主義』崩落の年」と総括していた。 これらの危機や問題には共通の根があることを、今や私たちは知っている。小さな政府を志向し、社会の隅々までを市場化し、すべてを個人の能力に帰していく「新自由主義」である。2008年は、リーマンショックでその根が掘り出され、ここ20〜30年ほど世界を席巻してきたこの思想が、もはや従来のような力を持ち得ないことを明確にした年だったといえる。 確かに、「新自由主義」に否定的な言説は広まっていると思うけど、「新自由主義」以前に回帰せよという主張がほとんどであるように思える。少なくとも、世界が変化していく中で、日がどう変わるべきかを示すようなビジョンは見あたらない。 特に、価値観の多様化を前提として社会が変化していく方法としては、市場や自由競争に代わるものは無いと思う。 「新自由主義」における市場化は、各自が萎縮することな

    「結果の平等」と「変化の不平等」
  • 小泉政治は我々の合意の原点 - アンカテ

    小泉内閣の政策に一切不満が無い人はほとんどいないだろうし、いたらちょっと不勉強だと思う。しかし、たくさんある小泉さんへの不満を一つに糾合して大きな勢力を作ることはできないだろう。それは民主党に人がいないという問題ではなくて、小泉さんの作りあげた大きな合意よりもっと大きな合意は現状では存在しないということだ。 しかし、小泉さんは中庸という言葉から最もかけ離れた人でもある。小泉さんが自民党のまん中にいるとか日の有権者のまん中にいたとは、とても言えない。むしろ、そういうポジションにいたのは、民主党の岡田元代表だろう。岡田さんは、民主党の中でほぼ左右の中心にいたし、ベテランと若手の間でもちょうど中間にいた人だと思う。民主党のまん中にいたことが、岡田さんの存在価値であった。だが、結果的に見ればそのために、前後左右から均等に圧力を受けて、まん中から一歩も動けずにあの人は終わってしまった。 民主政治

    小泉政治は我々の合意の原点 - アンカテ
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