江戸初期に大坂城の再建に使うはずだった「残念石」の保存に京都府木津川市が乗りだした。使われなかったことが名前のいわれという石たちを、地域の歴史を知るのにふさわしい資料として活用することをめざしている。 木津川市加茂町大野の木津川河川敷から11個の花崗岩(かこうがん)を運びだす作業が17、18両日にあった。ここは府による道路改良工事の現場でもある。市から頼まれた府側が、大きいものは13トンを超える残念石ひとつひとつをクレーンでつりあげて、近くにある仮の移設場所に運んだ。 加茂町史によると、河川敷に長年ころがっていた残念石の歴史は、元和(げんな)~寛永(1615~44年)の時代にさかのぼる。このころ山城国相楽郡(現在の府南部)を治めていた藤堂高虎は城づくりの名人で、大坂の陣で荒れた大坂城の再建を徳川幕府に命じられた。元和6(1620)年から再建普請にのりだすと、山から石材を切りだし、木津川の水
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