* デリダの陰気な感じは今もわりと好きだけど。ドゥルーズは当時も今も何を言ってるのか理解できた試しがない。フーコーは今でも文句なくえらい人なのだろうと思っている。バルトのことはもう忘れた方がいいんじゃないかと思っている。 ■ 修士1年 修論テーマとして当初考えていたのは、「批評行為」だった。これは主に上の関心を反映したもので、「ふつうの人はどうやって小説を読んで、どうやって作品について語るの?」を扱ってみたいと思っていた。 そこでアプローチの方法を色々と考えていたのだが、どれもいまいちピンとこない。結果「うーんうーん」と空回りして悩むだけの日々を送っていたのだが、ちょうどその頃、『可能世界・人工知能・物語理論』の翻訳がでたりしてフィクション論が微妙に流行ってる気配だった*。 わたしの関心は「ふつうの人がふつうにやっていること」なので、作品と言ったときに考えているのは『ハリー・ポッター』とか
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