タグ

ブックマーク / www.at-akada.org (62)

  • Beebe「懐疑論の仮説の制約」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    読書会のレジメをおきます。 元論文はドラフトがWebで公開されてます。 http://www.acsu.buffalo.edu/~jbeebe2/Constraints%20on%20Skeptical%20Hypotheses.pdf Beebe "Constraints on Skeptical Hypotheses" The Philosophical Quarterly Vol.60 No.240 *懐疑論に関する関心の移り変わり 伝統的な懐疑論の問題設定 -知識の基礎付け -カント的問題(認識はなぜリアリティと接触を持てるのか) 最近の懐疑論の問題設定 -知識のパズル --いくつかの常識的な仮定から、馬鹿げた結論が出てきてしまうという意味での哲学的パズル --知識に関する理解が問題 *問題意識 -過小決定underdeterminationの問題 過小決定: 経験だけからは1つの

    sakstyle
    sakstyle 2011/08/29
    様々な懐疑論のパターンを分類(?)したもの。多すぎて途中で読むの諦めたw これだから認識論はw
  • 読書メモ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    * 哲学入門 理論構築をベースにした哲学入門ってないかな。 ここで「理論構築」ということで考えているのは比較的テクニカルなものからもう少しゆるいものまで幅広い対象を念頭に置いている。 今適当に思いつくままに書くと、指示の因果説、二次元意味論、超付値による解決、四次元主義。「理論をつくって解決しよう」というのは、分析哲学のわりと重要な部分であるような気がするのだけど、それを平易に説明して、何なら「きみもつくってみよう」というくらいのは無いだろうか。 哲学における「理論」というものがもっている独特の役割を知りたいと思ってもいる。 * 哲学に対するよくある誤解 哲学に対するよくある誤解のうち、大きなものの1つは「哲学者の仕事は新しい魅力的な世界観を提示することだ」というものではないだろうか。 しかし、大半の哲学者は(分析哲学者はといった方がよいかもしれないが)、それが自分の仕事だと考えてはいな

    sakstyle
    sakstyle 2011/08/29
    「哲学における「理論」というものがもっている独特の役割を知りたい」「すばらしい哲学者というのは、「新しいことを言った人」ではなく、(...)それを擁護するための「新しい議論を考えた人」であると思う」
  • 読書メモ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    つづくかどうかわからないが読書メモをとることにした。 最近の関心 - 自己知識 - 他人の心 / 独我論 - 懐疑論 * Lewis, David, 'Attitudes De Dicto and De Se' -http://philpapers.org/rec/LEWADD 読んでいなかったので読んだ。 命題的態度について、(1)命題をつかってうまくいく場合は、性質でもうまくいく。(2)命題でうまくいかないのに性質でうまくいく場合がある、ということで、性質をつかった態度の理論を推す。 途中の2人の神の思考実験がすばらしい。世界に2人の神がおり、2人の神の内、ひとりは最も高い山の上でマナを投げつづけている。もうひとりは最も寒い山の上で稲を投げつづけている。ふたりとも全知なので、この世界で成り立つすべての命題を知っている。しかしなお彼らには、まだ知らないことがある。彼らは、自分が2人の内

    sakstyle
    sakstyle 2011/07/09
    論文いくつかについて/D・ルイスのDeRe態度とDeSe態度について/ムーア言明と懐疑論の話「正当化とか蓋然性の観点で2つの命題を区別するものがないならば合理性の観点で2つの命題の地位がこれほどに異なるのはなぜなの」
  • 美的価値と倫理的価値 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    * 美的価値と倫理的価値 twitterで芸術作品の美的価値と倫理的価値の話をしていたのですが、意外と反響があったので、参照点とすることを目的に、少しだけ整理を残しておきます。最初にしていた話はtogetterにまとめてくれた人がいたので以下を参照してください(直接は関係ないのですが)。 http://togetter.com/li/139909 問題になっているのは「倫理的に良い部分が作品を美的によいものにすることがあるか」「倫理的に悪い部分が作品の美的に悪いものにすることがあるか」という美学上の論争です。 以下は、 Aesthetics and the Philosophy of Art: An Introduction (Elements of Philosophy) の12章に従ってまとめます。 Steckerはこの議論にかかわる陣営を3つに分けています。 :自律主義(autono

  • ラマルク「作者の死」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Peter Lamarque, "The Death of the Author: An Analytical Autopsy," British Journal Of Aesthetics, 40:4(1990), pp. 319-31. Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology, ed. Peter Lamarque, Stein Haugom Olsen(Blackwell, 2003), pp. 433-41. Aesthetics and the Philosophy of Art: The Analytic Tradition: An Anthology (Blackwell Philosophy Anthologies) ラマルク「作者の死 - 分析的検死」という論文を

  • 愛の哲学 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    皆様、愛していますか。 つい気持ち悪い挨拶をしてしまいましたが、今日はバレンタインデーなので(24時すぎましたけど)、以前より関心のあった 愛の哲学について少しだけまとめてみます。 日には、愛を哲学的に研究している人はあまりいません。哲学史家の人が、プラトンの愛の概念について述べていたり、バタイユのエロティシズムについて述べていたりなどの事例が少しあるくらいのものです。 しかし英語圏の分析哲学の世界では、愛の研究というのはそれなりにさかんです。主として倫理学的関心から論じられることが多いようですが、哲学史研究ではなく、愛そのものの哲学的研究がかなりの数存在します。 スタンフォード哲学事典の「love」の項目を中心にいくつかの論文を読んだので、それを中心にまとめます。 http://plato.stanford.edu/entries/love/index.html 「愛」のようなきわめて

  • 『フィクションの哲学』検討会の雑感 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ■ 感想 ふだんのゆるふわ形而上学読書会メンバーと数名で開催。 の性格を考えると、文学系の人が来てくれたのは大変よかったですね。わたしも文学理論や文学の哲学の話は元々の関心ではあるんだけど、ふだんあまりその話をする機会がないので、そういう話がいっぱいできて満足。 なお、3月には著者さまを呼んで開催する公式検討会もある予定だよ! ■ 『フィクションの哲学』について 前半「作者と語り手の分離」という定式化は二つに分裂してないか? 1つは、物語的な語りの特徴として捉えられた「視点の分離」(あまりうまく表現できない) もう1つは、単純に「わたし」が誰を意味するか。および真偽の追求先が誰にあるか ノンフィクションは前者は満すけど、後者は満さないよね。 このは、重要な主張が変なところにさらっと出てくる。 しかもかなり大胆な主張してるよね。 このの特徴付けだと、私小説って扱いがたくない? ウォルト

    sakstyle
    sakstyle 2010/01/26
    近代読者の登場とか慣習とか/打ち上げ以降の話のが面白いw 本質主義とかテクスト主義とか
  • 清塚邦彦『フィクションの哲学』検討会のためのレジメ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    あしたの検討会のためのレジメです。 検討会で人に見せたら変更したくなると思うけど取りあえずアップしておきます。 書き方がえらそうでごめんなさい。 ■ 書の目的 「フィクションの概念分析」 ■ フィクションの概念分析とは何か 「フィクション」という概念に関する諸原理を明らかにする。 ただし、 「フィクション」は多義的である。 たとえばフィクションには以下のような相異なる意味がある。 (1)虚偽 (2)実在と対応しないもの (3)文学作品 書は、 (3)の意味を基としつつ、 より包括的で より見通しのよい フィクション概念を提案する。 より包括的であるとはどういうことか? 絵画、彫刻、演劇、映画などの非言語的作品も包括する。 より見通しのよいとはどういうことか? 問題領域についてよりよい理解が得られる 一貫したシンプルな原理によってフィクション概念の質を捉える フィクションにかかわる諸

    sakstyle
    sakstyle 2010/01/26
    一通り読んだけど、またあとで読む/いくつかの議論は、受け入れがたい。しかし「語り手と作者の分離」という規定とごっこ遊びの理論を結びつけるあたりはうまく機能していると思った
  • コニー、サイダー『形而上学レッスン(存在のなぞなぞ)』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    形而上学レッスン―存在・時間・自由をめぐる哲学ガイド (現代哲学への招待Basics) Riddles of Existence: A Guided Tour of Metaphysics 論争ばかりしているのもどうかと思ったのでの紹介でも(いや、論争は論争でたのしいし有益ですよ)。 ついに、日語で(比較的)平易に読める「(分析哲学的)形而上学の入門書」がでました。すばらしい! 売れてほしいので紹介しておきます。 これはこの分野に関心があれば(なくても関心のあるトピックがあれば)、必読ではないですかね。 以下のようなトピックについて、主流の説いくつかとそれを批判する論点が紹介されています。 日語の最近の入門書などは、どの分野でも文献紹介がきちんとしてないものも多く非常に遺憾ですが、このは文献紹介も各章ごとについています。興味のあるトピックがあれば、その章だけ読むこともできますし、各

    sakstyle
    sakstyle 2010/01/26
    やっぱこの本面白そうなんだが、それ以上にakadaさんの感想が面白いんだがw
  • 主観的、間主観的、客観的 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    主観的、間主観的、客観的 (現代哲学への招待Great Works) 上のを読んで取っていたメモ。 ■ ヤマアラシ 日語の「ヤマアラシ」という語には、「ハリモグラ」や「ハリネズミ」は含まれない。 Wikipediaによれば、 ハリネズミはハリモグラやヤマアラシと混同されやすいが、ハリモグラは単孔目(カモノハシ目)、ヤマアラシは齧歯目(ネズミ目)であり、いずれも系統分類的にはハリネズミとは無関係である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/ハリネズミ さて今、わたしがそのことを知らず、ヤマアラシを前にして、「ハリネズミがいる」とつぶやく。 わたしは「ヤマアラシ」と「ハリネズミ」の区別を知らず、ハリのある哺乳類は皆「ハリネズミ」と呼ばれるのだと思っている。つまりわたしは、この言葉は、「ハリのある哺乳類」というくらいの意味だと思っている。 私は、「ハリネズミがいる」と思

    sakstyle
    sakstyle 2009/12/14
    そして心の科学者にとっては、同一性よりずっと弱い因果関係や相関関係で十分なのではないかと思う。
  • 心と原因 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    某所でこみやさんと議論になったのでそれについて書きます。 多くの人にとっては、「こみやさん」との議論も読めませんし、「こみやさん」も知りませんし、意味がわかりにくいでしょうが、主としてこみやさんへの返答を意図しています。 テーマは、「心的なもの(あるいは命題的態度)は原因になりえるか」です。 わたしは「心だって物事の原因になる派」。こみやさんは「心は物事の原因にならない派」です。 正確に言えば、こみやさんの結論は、「行為の説明は因果関係による説明になっていなければ説明として完結していないというデイヴィドソンの主張はおかしい」という部分にあるようです。 これについては、わたしはまだ主張の要点がよくわかっておりませんので判断は保留します。 ただ、その結論を述べる過程で、こみやさんは、「心は原因にならない」という立場をとっておられるようです。また「彼は怒ったので急に立ち上がった」のような日常的な

    sakstyle
    sakstyle 2009/12/14
    因果・出来事
  • 勝手批評さんのコメントに - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

  • 反事実的存在仮定(ロングバージョン) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ■ 前置き id:kugyoさんと論争をしています。 http://d.hatena.ne.jp/kugyo/20090509/1241807293 論争の一部は、シノハラユウキさんと夏目陽さんの「Twitter」に掲載されたのですが、わたしとkugyoさんは、ページ数の都合により、この論争はまだ決着を見てないと考えています。そこで「Twitter」にも書いた通り、Webで論争のつづきをはじめたいと思います。 http://twitter.g.hatena.ne.jp/sakstyle/20090429/1240992769 Twitterを読んでない方には何が何だかわからないかと思われますが、なるべく周辺事情を丁寧に説明しつつ、論争をつづけるようにしましょう。 ■ 何の論争か この論争は、「@shoukou5」という非存在のTwitterアカウントが「可能的対象」なのか、「虚構的対

    sakstyle
    sakstyle 2009/05/31
    Twitter本に掲載されていた往復書簡の続き。/直観的に分かる感じもするけど、何か納得いかない感じもある。「感じ」がするだけなので上手く説明できないけど。
  • Cian Dorr「抽象物は無いよ」 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    Contemporary Debates in Metaphysics (Contemporary Debates in Philosophy) Theodore Sider (編集), John Hawthorne (編集), Dean W. Zimmerman (編集) Blackwell Pub、2007 ゆるふわMetaphysicians勉強会で読んだ論文2つ目。 ずいぶん時間がかかってしまった。 1つ目の論文に関する記事は以下。 http://www.at-akada.org/blog/2008/12/chris-swoyer.html 一応、論文の要約くらいは毎回載せようかと思っているので感想やまとめなど。 (ずいぶん遅れてしまったので、実はもうこの次の論文も読み終わっている)。 書は、様々なテーマについて対立する立場に立つ2人の著者が文章を寄せた論集。 1章のテーマは、「

  • その発想はなかった! 新しいデイヴィドソン - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    タイトルは再びホッテントリメーカーから。 だいぶ間が空きましたが、先日の記事について、はてなブックマークのコメント欄でやりとりがあったので稿を改めてここに書きます。間に引越しを挟んだのでずいぶん時間が経ってしまった。 まずid:contractioさんから「暮らしの中で解釈が必要となるのはかなり特殊な場面だけではないか」という質問がありました。 (またこれに関連し、Twitter上でいくつかやりとりがありました。以下の記事はこの辺りのやりとりを踏まえたものです)。 それに対し、私は以下のように答えました。 「日常的に意識的な解釈の必要がないのは、すでに言語理解が完了しているからだ」という理屈になるのではないかと。>id:contractio http://b.hatena.ne.jp/at_akada/20090130#bookmark-11885983 これに対し、以下のようなお返事があ

  • デイヴィドソンを最大限活用するためのFirefoxプラグイン3つ - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    さて、科学の多くは「見えるもの」を観察し、「見えないもの」について明らかにしようとするものである。 デイヴィドソンが「根源的解釈」という状況設定を通じて提案した「デイヴィドソンのプログラム」にも見えるものと見えないものが仮定されている。 わたしの書いた図は上半分と下半分に分かれるが、上半分に置かれた「信念」「欲求」および「言語の意味」が見えないもの、下半分に置かれた「文」と、人と文の関係である「真と見なす」「選好する」が見えるものである。 さしあたって人の頭の中、つまり「信念(事実として受け入れていること)」「欲求(価値付け)」はわからないものと仮定されている。その人が話す言葉もわからないものとして仮定されている。そういう風に状況を設定したのだから当り前だ。 一方、人が「どの文を真と見なしているか」「どの文を良いもの/悪いものと見なしているか」はわかるものと仮定されている。それは言葉の意味

  • 飯田隆『意味と様相(上)』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『意味と様相(上)』 飯田 隆 (著) 勁草書房、1989 言語哲学大河入門書(?)シリーズその2。 実は3しか読んでいなかったので2もはじめて読んだ。 巻では、論理実証主義、初期ウィトゲンシュタイン、クワインの言語哲学が解説・検討される。 目次 序章 必然性小史―アリストテレスからフレーゲまで 分析的真理と言語的必然性(論理実証主義の言語哲学) 規約による真理 分析性の退位―「経験主義のふたつのドグマ」 2章「規約による真理」はかなりの難物。むずかしかった。 「数学的真理は規約によって真である」「論理的真理は規約によって真である」という主張がそれぞれに検討され、さまざまな困難が指摘される。 結論としては両者とも「かなりのブレイクスルーがないかぎり無理」というところだろうか。 言い方を変えれば、「数学の哲学、論理学の哲学においてプラトニズムを避けることがいかに困難であるか」*。 ここで「

    sakstyle
    sakstyle 2009/01/11
    抽象的なもの(自然数など)は存在するか。プラトニズムも唯名論も難しいなあという話。
  • 飯田隆『言語哲学大全I 論理と言語』 - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    『論理と言語 (言語哲学大全)』 飯田隆 勁草書房、1987 ようやく読んだ。 フレーゲとラッセルの言語哲学に対する丁寧な注釈。おもしろい。 今見ると、フレーゲとラッセルの読解が丁寧なのはもちろんだが、同時代の英語圏の潮流を睨みながら書かれていることがわかる。 注などに頻出する名前は、マイケル・ダメット、G.エヴァンズ、ベイカー&ハッカー。 巻末のクイズについて。 最後に、文を読み終えた読者のためにクイズをふたつ。(...) 1フレーゲの「Bedeutung」を「指示」と訳すのは、なぜまずいのか? 2ラッセルの「denote」を「指示する」と訳すのは、なぜまずいのか? これらふたつのクイズに答えられれば、文の理解は十分であると保証する。 p251 はじめいい加減に読み流していたらわからなかったので読み直した。 フレーゲの方はあまり自信がない。 クイズ1の解答: フレーゲが掲げた「文脈原

    sakstyle
    sakstyle 2009/01/06
    1フレーゲの「Bedeutung」を「指示」と訳すのは、なぜまずいのか? 2ラッセルの「denote」を「指示する」と訳すのは、なぜまずいのか?
  • 存在論的構造など - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    先日の「形而上学(スタンフォード哲学事典)」に関する訂正と補足。 http://www.at-akada.org/blog/2008/12/post-278.html 「性質」とか「普遍者」とか「クラス」とかについて整理する。 勝手な思い込みで「性質というのは集合のことだ」と思っていたのだが、どうもよく読むとこれは誤解だったらしい。 こういうのは図を書いた方がわかりやすいと思うので、図を描きながら整理する。 ■集合とクラス まず集合とクラスの関係。 「クラス」も「集合」もものの集まりであるが、「クラス」というのは生物種などのように「要素の間に内在的な統一がある集まり」のことだ。集合というのは、「何でもいいからとにかく要素を集めたもの」であるわけだが、それに対して、「ちゃんと必然性のある集まり」のことをクラスと言うらしい。 「クラスは集合の内の特殊なものである」って言ってよいのかどうかよくわ

    sakstyle
    sakstyle 2008/12/31
    集合、クラス、性質
  • 形而上学(スタンフォード哲学事典) - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    ヴァン・インヴァーゲン「形而上学」 http://plato.stanford.edu/entries/metaphysics/ スタンフォード哲学事典の記事を、勉強のために読んでまとめる。今回は、ヴァン・インヴァーゲンさんによる「形而上学」の項目。 インヴァーゲンさんの論文は確か、『現代形而上学論文集 (双書現代哲学2)』にも入っている。 うろおぼえだが、↑に収録されていたのは「なぜそもそも何かがあるのか」というすごいテーマの論文で、しかも内容は、「世界の可能なあり方のうち、物が1つも存在しない世界は1つしかなく、それ以外の世界は無限にある。よって、ものが存在しない世界が現実化する確率は0だから」というハイデガーが聞いたら卒倒しそうな確率論を使った議論で、「ちからわざww」と思った記憶がある。 次は、 「計算機科学の哲学」の項目を読んでまとめる予定。 The Philosophy of