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2008年4月2日のブックマーク (4件)

  • アイヌとは何か - 我が九条

    ここまで「アイヌ」という言葉をずいぶん蕪雑に使ってきた。しかし「アイヌ」とは何か、という問題が閑却に付されてはいけない。 同級生「知里君、北海道ならアイヌを見たかい」 知里真志保「アイヌが見たかったら、このおれがアイヌだよ」 知里「なんで遠い北海道まできたの?」 少年「アイヌが見たかったから」 知里「ナニィッ、アイヌがみたくって!そんならここに立っているこの俺をよくみろ。それで十分だろッ」 この同級生は後に運輸事務次官を経て新東京国際空港公団総裁に就任する。エリートであったこの同級生にとって、第一高等学校の同級生にアイヌがいるとは夢にも思わなかったであろう。また少年にとってはまさか目の前の北海道大学教授がアイヌだとは思いもしなかったことだろう。おそらく彼らの頭の中にはアイヌに関する固定観念が存在していたのであろう。それは彼らだけではなく、今の我々にも存在している。アイヌを「原日人」ととら

    アイヌとは何か - 我が九条
    sakstyle
    sakstyle 2008/04/02
    アイヌ史は日本史の部分史ではない。アイヌ自身の歴史を叙述する必要性がある。/先住民族は、古代の人々が化石化して現代に残っている人々ではない。
  • 2008-04-01 - 空中キャンプ

    大澤真幸のを読んでいたら、十八世紀の後半に「読書革命」と呼ばれる動きがあった、ということが書かれていた。これがすごくおもしろかった。読書革命とは、音読から黙読へと読書の形態が変化していくことと関係しているという。 今、わたしたちがおこなっている読書は、ひとりでおこなう黙読である。「ただ黙ってページをめくり、活字を目で追う」というしかたでは読まれる。これがもし、誰もいない部屋でひとり元気に「カラマーゾフの兄弟」を朗読しながら、そのまま最後まで読了した人がいたら、わたしはなんかいやだ。なぜならちょっとこわいからである。 しかし、読書革命いぜんは音読が主流だった。文盲の人がおおかったため、その地域で文字が読める数少ない人のところに集まって、朗読される内容を聴くというかたちで読書はおこなわれた。そこでの読書は、共同体の儀式のような役割を担っていたという。それが黙読へとスタイルを変えることによっ

    sakstyle
    sakstyle 2008/04/02
    読書革命に伴う想像力の変化。一人称的な手法だけでなく、三人称的な手法(?)が可能になる
  • 「赤」の誘惑―フィクション論序説 | 蓮實 重彦 | Amazon

    「赤」の誘惑―フィクション論序説 | 蓮實 重彦 | Amazon
    sakstyle
    sakstyle 2008/04/02
    「ある断念とともにフィクションを論じた数少ない書物」(「早稲田文学1」p.360)であるらしいから、蓮實には私の期待を裏切らないでいただきたいものであるぞよ。via:http://d.hatena.ne.jp/kugyo/20080402/1207076645
  • 映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」を見てきました。 - ひとやすみ読書日記(第二版)

    公式サイトはこちらhttp://henry-darger.com/ ヘンリー・ダーガーはしばしば「アウトサイダー・アート」の代表者として挙げられますが、実際のところアウトサイダーアートというものは「正規の美術教育を受けていない作者による芸術作品」なのだそうで、必ずしも神経疾患や精神障害などによるものではないとのことです。割と重要ですが見過ごされがちな事実ですね。 ここまで反社会的というか非社会的というか、ともかく社会と隔絶してひたすら内向きに小説を書き絵画を制作するだけのエネルギーはやはり賞賛されてしかるべきなのだろう。ダーガーが果たして社会がカテゴライズしたようにある種の知的障害者だったのか、それとも隣人達が声をそろえて言うようにちょっと変わった性格な善意の変人だったのか。編はその問題に触れこそすれ、さほど重大には扱っていない。ただひとりの隣人(下宿の大家さん)が言っていた言葉で 「金

    映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」を見てきました。 - ひとやすみ読書日記(第二版)
    sakstyle
    sakstyle 2008/04/02
    「金持ちならば変人で、貧しければ狂人なの。彼、貧しかったから/それなりにイタイひとでそりゃ死ぬまで秘密にしたがるわけだなwと思わないこともないが、でもそれは「おはなしをつくること」の根幹に潜んでいそう