8月9日に日本学術会議主催の公開シンポジウムが乃木坂の日本学術会議本部で開かれたので参加してきた.第22期日本学術会議の分野別委員会のひとつ「統合生物学委員会」のさらに分科会「進化・系統学分科会」が中心になって企画したものだ.テーマはドブジャンスキーの有名な警句をリスペクトして「進化は生物学を統合する」となっている.7人のプレゼンターが,このテーマに沿って自由に講演内容を決めているようで,自分のリサーチテーマに沿ったものや,一般向けにふさわしいトピックの解説など様々だ.オーガナイザー斎藤成也からは講演順序は進化の歴史順に決めたと説明がある. イントロンの起源 - タンパク質とゲノム情報から 郷通子 イントロンは1977年にその存在が発見されたが,何故あるのか,起源は何かなどの解明は非常にゆっくりとしか進んでいない.ここで郷は自分のヘモグロビンのイントロンにかかる研究からわかってきたことを紹
ケリー・リンクの第三短篇集。十篇が並ぶが、うち三つは既刊短篇集に収録ずみ。あえて重複させたのは、ひとつのコンセプトがあるためだ。十篇すべて主人公は少年少女。著者のサイトでは「ケリー初の、あらゆる世代のための一冊」とうたわれている。 とはいえ、リンクの作品は少年小説の定型からはほど遠い。おおよその少年小説は、世界はまず大人のまなざしで捉えられ、それを少年に仮託して物語化する(その過程で大人のまなざしは隠蔽される)。いわば、少年は文学装置にすぎない。それに対して、リンクは少年の視野を取り戻すところからはじめる。世界は退屈で苦痛で気味が悪く、だがワケのわからぬ素敵な怪しさがある。そんな世界にさらされているため、子どもは純真だが同時に残酷で卑怯でもある。あるいは逆かもしれない。子どもがそんなふうだから、世界がヘンになってしまう。ま、どっちでも同じことか。 レイ・ブラッドベリの初期作品も、そうした少
『マンガを「見る」という体験 フレーム、キャラクター、モダン・アート』(水声社 2014.7.20刊 2800円+税)を読み始めた。まだようやく半分しか読んでいないのだが、非常に刺激的で面白い。この本は、2013年後半期に早稲田大学戸山キャンパスで三回にわたって行われた「マンガ的視覚体験をめぐってーーフレーム、フィギュール、シュルレアリスムーー」というワークショップでの発表をもとに各発表者によって書き下ろされた論文集である。僕も一度見に行ったのだが、言葉の共有、問題意識の擦り合わせというのは、美術とマンガの間でもなかなかに難しいものだな、という印象をもってしまった。いや、もっと率直にいえば幻惑的な言葉遣いに辟易しさえした。しかし、この本でまとめられた論文を読むと、マンガ表現論が招来するはずだったろう原理的な問題が真摯に語られていて、まことに興奮させられた。 まず鈴木雅雄「瞬間は存在しないー
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