奈良時代、当時の仏教界では、勝手に僧になる者が多く、朝廷は手を焼いていました。 当時、律令制度の過酷な税負担に耐えられず、与えられた口分田から逃げ、勝手に僧(私度僧)になる農民が後を絶たなかったのです。僧になれば税の負担がなくなるからです。 そして行基が中心となり、私度僧が集って治水、架橋、貧民救済活動がおこなわました。 朝廷は、これでは税金が減ってしまって困ります。当然、私度僧に対する弾圧を行いました。 しかし、私度僧といっても僧であることには変わりありません。通常の罪人のように罰するわけにはいきません。 僧尼令違反を理由に中心者の行基を処分しましたが、大勢の私度僧を処分するには限界があります。 そこで、唐から位の高い僧を招き、正式に僧になるための儀式である「受戒」を行おうとしたのです。正式な「受戒」を授けられない者は僧として認めないことにしました。 そのため、たいへんな費用とリスクの伴
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