一泊二日、仙台から福島浜通りをひたすら南へ。はらこ飯をしずかに食べる。 昭和8年、津波に御用心 はらこ飯は冷たいほうがうまい説 摩尼車は時をかけるようにして回る 南相馬の珈琲亭いこいで休憩 津波の被害にあった請戸小学校を見学する 東日本大震災・原子力災害伝承館 南相馬の寿司屋で塩釜港のひがしものマグロを食べる ふたたび喫茶店で…
Ricoh GX100 / Shibuya / Tokyo. ※様々なところからリンクを張られて騒ぎが大きくなっているみたいなので注記しておきますが、【科学であると誤解されていることが被害を発生させている状況】について、疑似科学を肯定する気は全くありません。本記事は、「水からの伝言」を肯定するものではありません。「血液型性格論を信じている奴って馬鹿だよね」的な(素朴な)暴力について懸念を表明した文章であり、疑似科学批判全般を批判する意図は一切ありません。 科学系Blogの中でとても秀逸だなぁと感じる幻影随想さんが、「科学というモノサシ」なる記事を書かれていた。要は、疑似科学批判は、科学のモノサシ(実証=観察と実験から導かれたデータ)に則って「科学」の領域で行われているけれど、疑似科学批判を批判する人たちは、「自分のモノサシ」を手に「疑似科学批判批判」を行っている。だから噛み合わないよね。そ
ここ数か月ほど、なにやら疑似科学批判批判なるものがちょっと流行っていたようだ。 正直言ってこれ自身には興味を引かれなかったのだが、いくつかの関連エントリを読んでいて気になったことがあったのでそれを書いてみることにする。 ◆なぜ彼らはそう考えるのか 疑似科学批判批判者の多くに共通して見られる反応の一つに、 「疑似科学批判者は科学を絶対視している」 というものがある。 参考例:ニセ科学批判者は科学を絶対視しているか? - NATROMの日記 しかし批判者側の反応は往々にして「はあ?意味不明」「んなわけないだろ」というニュアンスのものに留まり、なぜ彼らがそう感じているのかという点にまで踏み込んだものはまだ見たことが無い。 #これはまあ当然だ。「科学というモノサシ」を持っている人間にとっては、これは同じものを持っている人間の間なら判断基準を統一できる、客観的モノサシの一つにすぎない。別に科学者だか
昨今の疑似科学批判ってなんか浅薄だなと思う。水が語るわけないし、進化の過程に神が介在するわけじゃん。世の中そういう人はいるし、そういう人だってまっとうに生きているかもだから、そんなのほっとけというか、悪徳ビジネスとかいうなら、消費者問題として区別すればいいんで、スジが違うように思う。 量子力学における存在の不可分性みたいのは、もうかっこうの疑似科学の餌になるし、意外と欧米で多いんだけど、これもどう語るかによるわけで、いわゆる日本の物理屋さんは、何か不思議でも? という反応が多い。いわく、だって量子力学的にそうでしょ?ということ。ま、それはそうだが、ベル不等式とかが現実に検証されると、検証された実体は量子力学を越えているあたりは、日本の物理屋さんには通じがたい。 補足すると、アスペの検証というのは、我々の人類の科学による自然の対応、つまり実験的方法が知り得た事実であって、ペル不等式から実験は
全ページと項目のリストと更新履歴 左の美しい雪の結晶の写真は、「水からの伝言」とは関係ありません。 空から降ってきた本当の雪の結晶の顕微鏡写真です。 雪の結晶を研究している物理学者 リブレクト教授のホームページから許可を得てお借りしました。 クリックすれば、拡大します。 リブレクト教授の、雪の結晶のフォトギャラリーはすばらしいですから、ぜひ、ご覧ください。 また、美しい写真をたくさんのせた彼の本「スノーフレーク」も出版されています(雪の結晶の研究については、「科学者は、水のつくる結晶を見て美しいと思わないのですか?」についての詳しい説明のページをご覧ください)。 「水に『ありがとう』などの『よい言葉』を見せると、きれいな結晶ができて、『ばかやろう』などの『わるい言葉』を見せると、きたない結晶ができる」というのが「水からの伝言」というお話です。 テレビで芸能人が取りあげたこともあるし、小学校
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