ブックマーク / seiburo.hatenablog.com (550)

  • 基礎の重要性 - seiblog

    基礎の重要性 基礎固めは、どんな物事においても言わずもがな大切なことだ。 だが、それは自分にとっては改めて大きな発見だと思っている。 例えば、筋肉というのは数日の入院などで全くトレーニングができない期間があると、瞬く間に衰えてしまうという。しかし、基礎の筋肉がついている人は、その後のトレーニングによって、すぐに筋肉がついてくるという話がある。 つまり、基礎を身に付けておくことで、多少のイレギュラーが生じたとしても、リカバリーができるということが言えるかもしれない。 この話は、自分のライフスタイルにとっても大きく影響する話だ。 僕は非常に移り気な性格で、様々なことを経験していきたい人間だ。 でも、手当たり次第につまみいをするようなことはしたくないし、そのようなことに意味はないと思っている。 そこで、参考にすべきが「基礎」の話だ。 興味を持ったことがあったとしたら、まずやってみる。 その段階

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  • 自己成長のための「記録」 - seiblog

    自己成長のための「記録」 年齢を重ねる程に、時間の経過を感じづらくなる。1年という単位が驚く早く過ぎていく。 その一方で、自己成長のスピードというものは、時間の経過の早さに反して変化に乏しいようにも感じる。 社会人になり積み重ねたスキルというのは、どんな職種や人であれ、一朝一夕に身に付けることができるものでないし、また、瞬時に不必要になるものでもない。 だからこそ、一定の年齢にまで達して、かつ自分も周囲も一定のスキルを身に付けたフェーズにおいては、何か新しいものを得ようとしても、そう簡単には満足できる成果が得ることができないように思う。 常に周囲には、自分を遥かに凌駕する人々がたくさんいるからだ。 そんな人たちを目の当たりにすると、すぐに自信を喪失し、自分のテリトリーに戻ってしまう。これは、人間心理として仕方ないことだと思う。 だが、そのような人生は果たして充実しているだろうか? 自分はそ

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  • 2024年の抱負 - seiblog

    2024年の抱負 予想だにしないような事態の連続となった24年の幕開けだったが、幸いにも自分は何事もなく、いつも通りの年明けの日々を送ることができている。 年末には1年を振り返ったように、年始には今年1年の目標を立てたいと思う。 それが、今年1年の活力となり、また振り返ることで、また来年につながっていき、その繰り返しこそが自分を形成していく。 その意味で、このブログにおける最も大きな役割は、年末年始にあるといっても過言ではない。 さて、今年は大きく5つの目標を自分に課したいと思う。 1.日常への感謝 国内における年始からの震災や航空機事故、それだけでなく昨年から続くウクライナやガザの戦争によっても、平穏な日常というのがいかに素晴らしいことであるかということをつくづく感じている。 もし、何事になく無事に1日の始まりと終わりを迎えられたのなら、そのことにしっかりと感謝をしていかなければならない

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  • 2023年の振り返り - seiblog

    2023年の振り返り しばらく更新ができていなかった当ブログだが、年の最後くらいは締めの記事を書こうと思う。 ブログを初めてからずっと続けている習慣の一つが、1年の振り返りと新年の抱負をしっかり言語化するということであり、それは今年もしっかりと続けていきたい。 さて、今年の1月1日の記事を見返してみると、こんな3つことが書かれていた。 思考のアップデート⇒ブログの毎日更新 身体を鍛える⇒筋トレで体脂肪率10% 精神を安定させる⇒新しいサウナに週1で通う それぞれの項目について振り返っていきたい。 1.思考のアップデート⇒ブログの毎日更新 結論から言うと、毎日更新については7月でリタイアしてしまった。 ただ、半年以上を続けた自分は褒めてあげたい。 また、それだけ続けいく過程で、自分で思ったこともある。 それは、思考のアップデートという目的に対して必ずしも毎日更新をということが当てはまらないと

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  • 記憶と記録。平凡な日常を記録して記憶に残したい。 - seiblog

    記憶と記録。平凡な日常を記録して記憶に残したい。 人の記憶というのは、非常に不思議なものだ。 日々が目まぐるしく変化し、すべてが新鮮な10代20代であれば、いつ・どこで・何をしていたというのは、明確に記憶に刻まれている。 そして、それはいまでもありありと。その風景や音や匂いなどの感覚も含めて鮮明に思い出すことができる。 だが、逆に直近の数年の方が、何をしていたか思い出せないことが多い。 去年したことだと思ったら、もう3~5年前のことだったなんていうことはザラにある。その理由は、ライフスタイルが安定したことで、日々が似たことの繰り返しとなり、新鮮味を感じる出来事が少ないということが起因していると思う。 だからといって、若い時のように常に「新しさ」を求めることが正解なのだろうか?経験を積んでいしまった年齢を経てからの「新しさ」とは、それなりのリスクやコストを伴う。ある程度の「新鮮さ」というのは

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  • 継続することへの慣れと新しいことへの恐れ - seiblog

    継続することへの慣れと新しいことへの恐れ 継続は力なり 昔から自分は、他の人よりも比較的この言葉を信じてきた方だと思う。 そして、年齢を重ねるほどに、何かを継続することへの難易度は低くなっているように思う。 それは、自分が継続可能な対象や内容の選別が上手くなったということもあるかもしれない。 一方で、逆に苦手意識を持つようになってしまったこともある。 それは、新しく何かをはじめるということだ。継続との裏返しの概念である。 つまり、新しいことを始めるには、これまで継続していた何かを手放す必要がある。 すべてを手放すことはないにしても、これまでの通りのルーティンやステップ通りにはいかなくなるだろう。 これに、自分は恐怖を抱き、億劫になっている。感覚がある。 何を続け、何を手放し、何を始めるのか?は非常に難しい問題だ。 ただ、自分の中で1つだけ言えることがある。 それは、思考停止したまま続けてい

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  • ブログ執筆における書く分量と伝わり方の相関性について - seiblog

    ブログ執筆における分量と伝わり方の相関性について プライベートにおいてゴタゴタがあった9月は、ほとんどブログを更新することができず、そのままずるずると10月に入ってしまった。 そんな少しブログとは距離を置いた生活の中でも、少なからずブログについては考えを巡らせていた。その中でも、特に悩ましかったのが「文字数と伝わり方の相関性」である。 「伝わる」というのは、ブログの読者にどう伝わるか?はもちろんだが、自分にとってどれか響くか?残るか?吸収されるか?という意味合いもある。 今年の入ってからのブログは、更新頻度こそ多いものの、文字数は少なく、備忘録的な役割だけしか果たしていなかったように思える。 書くことで、紡ぎだせる可能性はもっとあるように思う。 しかし、文字数は多ければ多い程、伝わる訳ではないが、逆に少なければよいという話でもない。 自分の中での一旦の結論としては、「一定量の文字数」と「構

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  • ブログとキャリア。そして、今の自分に欠けているもの。 - seiblog

    ブログとキャリア。そして、今の自分に欠けているもの。 今年に入ってからは、半年以上毎日更新を行っていた。 しかし、8月に少しブログを休んでみて、すくなからず「更新」そのものが目的化していると感じる部分があった。 もちろん、更新が目的となっていても、日々の気づきを綴ることで得られるものが多い。 そんな矛盾を感じつつ、ブログと向き合って側面もあったような気がする。 前置きが長くなってしまったが、結論から言うと、ブログに向き合う「中期目標」が欠落していたということが、最大の原因のように思う。 何かを継続するには、短期―中期―長期のスパンごとの目標が必ず必要だ。 短期目標は、日々の更新 長期目標は、「書く」ということを通して人生を豊かにすること これまでの自分の中期目標は、「書く」ことを通してキャリアアップをすることだった。 しかし、その中期目標が一定のラインまで達成された今、目標を見失っている自

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  • インプットとアウトプットの比重 - seiblog

    インプットとアウトプットの比重 ここ1年ほどは、アウトプットに比重を置いていた。 それ以前は、かなりインプットに比重を置いていたことの反動や、アウトプットそのもののやり方を模索していた側面も理由かもしれない。 しかし、アウトプットばかりに比重を置きすぎていると、しだいにアウトプットすることが枯渇してくる。 栄養補給をするように、インプットの必要性が出てくる。 その考え方から直近では、インプットを意識して、久しぶりに読書なども再開した。 そこで得られる知識はかなり新鮮で、また自分というフィルターを通してアウトプットをしたいとも思った。 決して、どちらかが圧倒的に重要という訳ではないのだ。 このバランスを大切にしていきたい。

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  • メンタルの維持について - seiblog

    メンタルの維持について どんな強靭なメンタルを持つ人でも、大きなストレスが2度や3度立て続けに起こってしまえば、平常なメンタルを維持することは難しいと言われている。 そこまで強いメンタルを持っていない自分にとっては、どれだけしっかり睡眠をとっても、バランスの良い事をとっても、やや辛い状態というのが今かもしれない。 ただし、それでもすべきことは一つで、今の状況をポジティブに考えるということだけだと思う。 いま失っているものがあるかもしれないが、失っていないものもある。 それに感謝すること。 感じていることはブログに書いて、自分の内側から吐き出すこと。 そして、それができたら自分を褒めてあげる。それだけだ。

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  • 内側の感覚に目を向ける - seiblog

    内側の感覚に目を向ける 外的な要因。 つまり、仕事の忙しさや人間関係のトラブルなど そのような事象と対峙してしまっていると、無視してしまいがちなのが、自分自身についてだ。 ふと、立ち止まって自分のことに感覚を集中させると、外部要因に忙殺されていた時には感じるとることができなかった、内的な気づきを得ることができる。 そのような気づきは、しっかり意識を集中させないと感じられないものだと思うし、また、一方でそれを放置してしまうことは、後から取り返しのつかないことになる可能性もある。 毎日、ほんの少し、自分の内側に向き合う時間が持っていきたい。

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  • すぐに手を打つ - seiblog

    すぐに手を打つ 検査や試験はやって終わりではない。 むしろ、新しく適切なアクションを起こす為の手段であるともいえる。 しかし、多くの人はその結果ばかりにこだわり、改善に向けた対策に動くことはごくまれだ。 だからこそ、と言っていいのかもしれないが、検証結果に対してすぐに対策を打つというのは、非常に価値のあることだと思う。 ほんとに些細なことでもいい。 健康診断の結果を踏まえて、生活を見直してみるなど。 そのような積み重ねが、あとからボディーブローのように効いてくるはずだ。

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  • 人間の成長ドライバーについて - seiblog

    人間の成長ドライバーについて 「サピエンス全史」の下巻を読み進めている。 その中で、非常に印象的な問いがあった。 それは、中世から近代にかけて、なぜ西洋ヨーロッパが大きな飛躍を遂げることができたのか?という問いである。 その答えは、「無知の知」であるというのが答えだ。 つまり、知らないことを知るという意味である。 近代以前の人々は、意外にも「神」という存在の定義によって、世の中のすべてを規定していた。故に、知らないということはなかった。 しかし、西洋ヨーロッパは、宗教の影響力があまりにも強かったことで、そのアンチテーゼとなる考えが台頭したことが大きい。 これが、啓蒙主義と呼ばれるものであり、「無知の知」である。 身近なものから未知のものまで、決めつけることをせず、なぜ?という探求心から知を求める姿勢こそ、成長における最大のドライバーとなったのだ。 そして、それは現代でも通用する考え方だと思

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  • 良質なストレスの必要性 - seiblog

    良質なストレスの必要性 平坦な毎日というのは、大変なことはないかもしれないが、やりがいや成長実感もない。 筋肉もほどよい負荷をかけることで、成長するように、精神面も似た部分があると思う。 良い意味でのストレスを受け、自分の中で考え、それを消化する。 その過程の中で、平坦な毎日が、刺激的な毎日にかわる側面があるように思う。 ストレスがないと感じるときこそ、あえて1歩を踏み出してみる。 そんなことが大切だと思う。

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  • サウナラボ神田で本格フィンランドサウナを体感 - seiblog

    サウナラボ神田で格フィンランドサウナを体感 以前より気になっていてなかなか足を運ぶことができていなかった「サウナラボ神田」を訪問した。 入館には事前予約が必要ということもあり、館内は非常に静かなでセミプライベートな空間となっていた。 この施設の一番の目玉は、フィンランドサウナだろう。 いわゆるロウリュができるフィンランドサウナという名称のサウナは、いまや至るところに存在するが、この施設のフィンランドサウナは、温度や湿度管理から部材まで、現地のサウナをかなり意識したこだわりを感じた。 特に、温度と湿度の設定については、いつもまでもいられる心地よさを感じた。 それでいて、セルフロウリュがいつでもできる状態になっているのも最高すぎる。 この施設を訪れたことで、より一層フィンランドへの憧憬の思いが強くなった気がする。

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  • 多面的に触れる - seiblog

    多面的に触れる ここ1~2年ほどは、情報のインプットに際して動画や音声コンテンツ偏重だったように自分でも思う。 そんな中で、久々に活字のを手に取ると、新鮮な形で情報が頭に入ってくる。 これは、どのメディアがインプットに最適か?という話ではなく、その時々で少しずつ方法を変えてみることで、より多面的に頭に入っていくのではないかと思っている。 つまり、ある特定の知識に対して、音声で聞いたことがあるだけよりも、音声と動画の両方で見聞きしたことある方が、知識は強固になるし、また、そこに活字で読んだことがあるという見聞き+読みを入ると、さらにそれは強固なものになるだろう。 そんなことを意識しながら、興味をもったものに関しては、様々なメディアを通して多面的に触れていくことが大切だと思う。 とりわけ、そこに「」という活字コンテンツは今後も重要性は変わらないと感じる。

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  • セルフケアの意識を高める - seiblog

    ・肌 ・髪 ・歯 これらのことに、僕らはどれほど意識を向けているだろうか。 特に、働く世代の男性にとっては、セルフケアというのは、二の次、三の次かもしれない。 それに、男性にとって必要なのは、内面であり、知識であり、経験である。と考える人は少ないないからだ。自分だってその一人だろう。 だが、その考えに陥ってはいけないと思う。 なぜなら、外見というのは、自己肯定感に大きく影響するからだ。 そして、自己肯定感は、ビジネスにおけるパフォーマンスにも関係してくる。 そう考えると、セルフケアというものの見方が変わってくる。 いきなり大きな投資をする必要はない。 だが、ほんの少しでもこれまで意識していなかったひと手間を加えることで、少しでも自分のメンタルに好影響が出るのならば、やらない手はないだろう。

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  • いつものルーティンを5日間休止してみた結果 - seiblog

    いつものルーティンを5日間休止してみた結果 ブログ ジョギング 筋トレ この3つはこの1年間毎日かかさず取り組んできた。 しかし、これらを継続していく中で、続けることに対する義務感や継続が途切れてしまうことへの恐怖感のようなマイナスな作用が出てきたいたようにも感じていた。 これらを行う目的は、継続記録を更新し続けることでもないし、走ることを辞めたら死んでしまうものでもない。 あくまで、自分の人生を充実させるための手段にすぎない。 だからこそ、思い切って一度すべてやめてみることにした。 結論としては、休んでみて思ったことは3つだ。 多少休んでも何一つ自分は変わらないということを実感として知ることができた 休むことで違うことに目を向けることができた 休み後は普段のルーティンにより一層に集中できるようになった 今回は5日間の休みであったが、この期間で大きな変化が出なかったのは、やはり日頃の積み重

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  • 休む勇気 - seiblog

    休む勇気 様々なことを継続していくと、その継続をやめて休むことに非常に大きな不安や恐怖を感じるようになってしまう。 たった1日でも休むことで、これまでの努力がすべて失われてしまうのではないか? こんな気持ちになる。 しかし、実際には違う。 長期間の積み重ねは、そうそう簡単に消えてなくなるものではない。 それに、休みを入れて違うことに時間を使うことで、新たな視点を獲得できることもある。 力を抜いてルーティンを途絶えさせることは、甘えでもなんでもなく、成長にとって必要なことだ。 そのような気持ちでポジティブに休みというものを捉えていきたい。

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  • ビジネス以外のフレームで考える - seiblog

    ビジネス以外のフレームで考える ブログや趣味においても、どんな場面でも無意識のうちにこのように考えてしまう。 「これはビジネスではどう役立つだろう?」と。 そのような思考は、ビジネスにおいては有益かもしれない。 しかし、一方で資主義の呪いだとも思う。 一つのフレームに固執してしまうことで、見落としてしまうことも多数ある。 フレームを度外視でチャレンジすることで、自分の幅を広げていきたい。

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