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今年も3月11日にはテレビで震災や原発事故の映像が繰り返し流された。しかし、震災特番を見る人は年々減り続けている。あの日のことを、忘れてしまったのか。それとも、見られない理由があるのか。 Nスペですらダメだった 「3月11日21時から放送の『中居正広の金曜日のスマイルたちへ』では、ダウン症の書道家・金澤翔子さんが、被災地を再訪する様子を追い、震災を通じて日本と台湾の絆が深まった過程を特集。台湾から200億円もの義援金が集まった事実を伝えました」 TBSテレビの菊野浩樹編成部長はそう語る。ただし、その「金スマ」の視聴率は9.4%と、前4週の平均12.9%を大きく下回った(以下、数字は関東地区の番組平均世帯視聴率)。 「数字はいつもよりやや低かったのですが、内容は素晴らしかったと自負しています。ゴールデンタイムに、3.11を正面から取り上げた番組を誇りに思っています」(菊野氏) 誰もが忘れえぬ
東京電力は、原子炉の核燃料が溶け落ちる「炉心溶融(メルトダウン)」の判定基準が、福島第一原発事故当時の社内マニュアルに明記されていたのに、その存在に5年間気づかなかったと謝罪した。今になって判明した背景には、事故の原因究明に対する新潟県の取り組みがあった。 柏崎刈羽原発を抱える新潟県は、泉田裕彦知事の意向で、政府や国会の事故調査委員会が終わった今も、「技術委員会」と呼ばれる有識者会議で独自に検証を続ける。特に問題視してきたのが、炉心溶融の公表が2カ月遅れたことだった。 「東電が真摯(しんし)な対応をしているのか根本的に疑義を持たざるを得ない。真摯な対応を求めたい」 23日に開かれた技術委員会。炉心溶融の判断基準が示されたマニュアルの存在が明らかになり、座長の中島健・京都大教授が東電への不信感をあらわにした。 泉田氏は東電に繰り返し疑問をぶつけてきた。 1月5日に県庁であった東電の広瀬直己社
東京電力福島第一原子力発電所の事故で発生した放射性物質を含む廃棄物を巡り、基準の濃度を超えているのに指定廃棄物に指定されず、処分が宙に浮いたままの廃棄物が7つの都と県で少なくとも3100トン余りあることが分かりました。保管する自治体や農家が風評被害などを懸念して申請を行わないためで、環境省が今後、処分の検討を始めることになりました。 NHKが東日本の500余りの自治体にアンケートを行ったところ、濃度が基準を超えているのに申請を行わず、指定廃棄物に指定されていない廃棄物が、少なくとも岩手、宮城、福島、茨城、埼玉、千葉、東京の1都6県の30の自治体で合わせて3114トン、あることが分かりました。 指定を申請しない理由について、8つの自治体が指定廃棄物があることによる風評被害への懸念を挙げたほか、指定廃棄物の処分場の建設が難航しているため、指定されると自分たちで保管せざるを得なくなることなどを挙
犠牲強いる復興「失敗」 今回の復興政策は失敗です−−。首都大学東京准教授の山下祐介さんに取材を依頼すると、返事のメールにその言葉があった。 確かに、被災地の今を伝えるニュースに触れると「東日本大震災は終わっていない」と痛感させられる。それにしても「失敗」とは……。「限界集落の真実」(ちくま新書)などの著書で注目される気鋭の社会学者の目に、何が映ったのか。 「今、進められている復興政策は、被災者の思いからどんどんずれてきている。取り返しのつかないことになります」。口調には焦りさえうかがえる。 この記事は有料記事です。 残り2592文字(全文2839文字)
東日本大震災と、東京電力福島第一原子力発電所の事故の発生から11日で5年となります。国の「集中復興期間」は今月で終了しますが、全国で17万人余りが依然として避難生活を余儀なくされ、東北などの被災地では、復興の遅れが大きな課題となっています。 警察庁の10日までのまとめによりますと、これまでに死亡が確認された人は12の都道県の合わせて1万5894人、行方不明者は6つの県の合わせて2561人となっています。また、復興庁のまとめによりますと、避難生活による体調の悪化などで亡くなったいわゆる「震災関連死」は、10の都県で少なくとも合わせて3407人に上り、震災による犠牲者は、「関連死」を含めて2万1000人を超えています。 仮設住宅や賃貸住宅などで避難生活を余儀なくされている人は、先月12日現在の復興庁のまとめで、17万4000人余りとなっています。また、復興庁によりますと、自力で住宅を再建できな
階上中卒業式で答辞を読む梶原さん。会場の体育館は避難所でもあった=2011年3月22日、気仙沼市(階上中提供) ◎子ども 成長の春(5完)梶原裕太さん 久しぶりに帰省した宮城県気仙沼市の自宅のそばに、一戸建ての災害公営住宅ができた。一関高専5年の梶原裕太さん(20)=岩手県一関市=は「どんどん風景が変わる」と驚く。 東日本大震災を経験した若者の中には、5年の間に地元を離れた人も少なくない。梶原さんもその一人だ。2011年3月、気仙沼市階上中を卒業。卒業生代表として読んだ答辞が全国の反響を呼び「文部科学白書」に掲載された。 一関高専で5年間寮生活を送り、この春にゼネコンの小野田ケミコ(東京)に就職する。配属先は首都圏が見込まれている。 「いま、自分が気仙沼に戻っても微力ですから。社会経験を積まないと」。まなざしを海に向ける。 震災が起きたのは予定されていた卒業式の前日。自宅の被災は
天皇陛下は、皇后さまとともに東日本大震災の犠牲者の追悼式に出席し、これからも国民が心を一つにして被災者に寄り添っていくことが大切だという思いを述べられました。 おことばの全文です。 5年前の今日、東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波により、2万人を超す死者、行方不明者が生じました。仙台平野を黒い壁のような波が非常な速さで押し寄せてくるテレビの映像は、決して忘れることができないものでした。このような津波に対して、どのような避難の道が確保できるのか暗澹たる気持ちになったことが思い起こされます。また、何人もの漁業者が、船を守るために沖に向け出航していく雄々しい姿も深く心に残っています。 このような中で、自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体関係者、さらには、一般市民が、厳しい状況の中で自らの危険や労をいとわず救助や捜索活動に携わったことに深い感謝の念を抱いています。 地震、津
震災から5年が経とうとするある日、 1通のメールが届きました。 ちいさな縁はつながって、 福島第一原子力発電所のなかを 視察できることになりました。 約3時間の視察。 そこで、見たこと、感じたこと。 すこし長いレポートになりました。 担当は、ほぼ日の永田です。 福島第一原子力発電所がどういう存在であるかは 見る人の立場や考え方によって、 さまざまに変わってくるのだと思う。 事故のあった原子炉として語られることもあるし、 ある思想の象徴としてとらえる人もいる。 そこに好きとか嫌いとかの感情や、 是か非かみたいな主張が交ざると、 さらに複雑な見え方をすることになる。 福島第一原子力発電所は、いわば多面的な存在で、 だからこそ、それについてなにか書くときは、 なんとなく前置きや注釈を添えなければならず、 そこが、すこし、ややこしい。 昨年の11月、糸井重里と、 原子物理学者の早野龍五さんとともに
2016 - 03 - 11 あの日。 雑記 list Tweet 3月9日 宮城県北部でM7.3の地震があった。 え…RT @47newsflash : 気象庁によると、宮城県北部で震度5弱の地震があった。 http://bit.ly/17n4iz — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com うお…RT @47newsflash : 気象庁は、青森県太平洋沿岸、岩手県、宮城県、福島県に津波注意報を出した。 http://bit.ly/17n4iz — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com 会津若松は震度2だった。この揺れに自分は全く気が付かなかった。 会津若松は震度2か。 — ゆきぼう (@dosei2010) 2011年3月9日 twitter.com 何をやっていたのかは覚えていないけど、とにかくTwi
東京電力福島第一原子力発電所の事故で、最初に核燃料が溶け落ちた1号機では、原子炉の冷却装置が止まっていることに気付くのが遅れたことが大きな問題と指摘されています。ところが、複数の運転員が東京電力の内部調査に対して、当初から冷却装置は止まっていたと認識していたと証言し、事故から5年を経て現場の情報共有の課題が改めて浮き彫りになっています。 ところが東京電力が去年、そのときの状況について改めて聞き取り調査をした結果、運転員の1人は電源を喪失する直前に、自分が冷却装置を止めたと話し、別の運転員も、冷却装置は当初から動いていないと認識していたと証言し、その理由として、電源が失われた時点で原子炉の圧力が上昇中だったことを挙げています。 1号機では電源喪失の直前、原子炉を徐々に冷やすため冷却装置の起動と停止を繰り返していましたが、運転員のトップの当直長は「冷却装置が止まった状態で全電源を喪失したという
東日本大震災から5年になるのを前に、NHKが岩手・宮城・福島の3県の被災者や原発事故の避難者を対象に行ったアンケートで、心身への影響が今も続いているという回答が6割以上に上りました。「震災で亡くなった家族を思い出して気分が落ち込む」などといった声も寄せられ、被災者の心に影響を及ぼし続けている現状が改めて浮き彫りになっています。 この中で、震災による心身への影響が今も続いているか尋ねたところ、「そう思う」が32%、「ややそう思う」が31%と、この2つの回答を合わせると6割を上回りました。 現在の具体的な影響について複数回答で尋ねたところ、「気分が沈みがち」が最も多く40%、次いで「意欲がわかない」が34%、「よく眠れない」が33%などとなっています。また、「生きているのがつらい」の選択肢を選んだ人も122人いました。 アンケートの自由記述には「震災で亡くなった家族を思い出して気分が落ち込む」
土と生きる豊かな暮らしは、あの日、一変した。福島県須賀川市で農業を営む樽川和也さんは、東京電力福島第一原発の事故後まもなく父親を自死により失った。田畑も放射能で汚染された。東京で20日公開のドキュメンタリー映画「大地を受け継ぐ」で苦悩を訴えている。もう取り戻せない、償うことなどできない現実を聞いた。 ――事故から5年。いまの状況を教えてください。 「放射能は、こっちの中通りにも降りました。田んぼも畑もビニールハウスも、みんなやられて、うぢらは職場を汚染されたんです。だけど、東電は資産への賠償をしたわけでもねえ、放射能を取り除いたわけでもねえ。ただ、5年の月日が流れただけ。たーだ被害かぶって苦しんで、うぢらはいったい、なあんなのって」 「精神的な慰謝料として事故の年に8万円、翌年に4万円はもらいましたよ。ただ、それだけ。12万円で、あとはもう黙ってろ、自然に放射能さがんの待ってろっつうことで
はじめまして。福島県在住の林智裕と申します。 東日本大震災および東京電力福島第一原子力発電所の事故から4年半以上の年月。本当にさまざまなことがありました。これからそのことについて、特に今回は震災後に流れたデマがどのように現地を苦しめてきたのかを、少しお話をさせていただこうと思います。 ひとつ最初におことわりしなければなりません。 今回の内容に限らず私が震災について、福島について書く内容は確かに福島の声のひとつではあるものの、決してそれだけが福島を代表するものではないということです。敢えて断定での書き方が多くなりますが、これから書く内容は、福島の全てではありません。 それは発言に自信が無いからではありませんが、私よりも語るにより相応しい当事者がいるからか?と問われれば実は答えに困ります。 その理由として原発事故はその性質上極めて社会問題と深く関わり政治的な要素を含むために、通常の災害ではあま
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