自由の基本原理は、「個人は、自己のものを、他者を害さない限り、それがたとえ本人にとって不利益であっても、自己のみの意思によって処分できる」というものであるところ(注1)、そもそも、氏はもちろん、個人の名称さえ、「自己のもの」であるかどうかは自明でない。 むしろ、歴史的・沿革的には、氏(ないし「姓」「名字」など「氏」に類するもの)が慣習として成立して以降をみても、血族関係・姻族関係・職位・主従関係・本拠地といったその個人の属性によって設定・変更されるものだったのであり、これらの属性と無関係に個人の意思をもって処分・選択できるという意味での「自己のもの」であったことはない。 選択的別姓制によって氏が「自己のもの」となると考えることは可能だが、自由の基本原理は上記のとおりであるから、「自己のもの」を増加させることが自由なのではない。 現行同姓制の「氏」は、「その所属する核家族を指し示す名称」であ