とり・みき マンガ家 熊本県出身。ギャグマンガをメインにしながら、エッセイコミックやストーリー物も手がける。94年『DAI-HONYA』98年『SF大将』で星雲賞、95年『遠くへいきたい』で文春漫画賞を受賞。 この著者の記事を見る
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ぼくはダイアモンドさんの本を読みながら、 ある、大好きな先生のひとつの言葉について よく思い出すんです。 それは吉本隆明さんという方が ある犯罪に際して話された言葉なんですね。 日本で15年くらい前、 ひとりの子どもが殺されて、首を切りとられ、 その首だけが学校の門の前に置いてあったという 事件がありました(神戸連続児童殺傷事件)。 そしてその事件は当時、 非常に猟奇的でスキャンダラスなニュースとして、 毎日、報道されていたんです。 でもその先生は、 メディアがその事件について 「人間のやることじゃない」 「犯人は常軌を逸している。信じられない」 といった論調で騒いでたときに、 「いや、犯人が特別というのは、違うんだ。 人間にはもともと歴史的に そういうことをしていた時代もあるんだから」 ということを言ったんです。 人間がやってきた歴史の中には たとえば日本でも、武士が手柄のために 相手の
2013年02月02日08:30 カテゴリ軍事 太平洋戦争に関するパプアニューギニアの人々の証言 日本の人類学者である斎藤尚文は、かつてアメリカの人類学者ゼレニエツに誘われて、ニューギニアのニューブリテン島のキレンゲ族の調査を行ったことがあった。彼らは隣りあった村に住み込んで独自に調査した。 そこで二人は第二次世界大戦のときについて、まったく異なった話を聞いた。 日本軍について、斎藤には、いかに彼らが寛容で協調的であり、友好的であったかを語ったのに対して、 ゼレニエツには、日本軍が寛容性を欠き、ちょっとした盗みでも厳しい処罰をしたことや、また家や聖なる仮面を こわしたこと、畑の作物をふざけて盗んだり、ココヤシを台なしにしたりしたことを話した。日本人の行う火葬も、 彼らには無残な処置にみえた。 一方アメリカ軍に関して、斎藤には、爆弾を落とされて困ったとか兵隊にとられて大変であったという。 し
先週ワシントン・ポスト紙(電子版)に「日本ではファックスが今でも健在。理由は言語と文化のため」という記事が掲載されていました。 この記事自体は、その原因として「コンピュータが日本語に対応していないから」とか「旧電電以来の保守性のためブロードバンドの通信費が高価なため」などという指摘をするなど、やや的外れな解説も含まれており、気軽に書いた「異文化レポートもの」の域を出ないものでした。 ですが、確かに日本では他の先進国に比較してファックスが健在ですし、それ以外にもなかなかペーパーレスが進まないなど、オフィス仕事には非効率なところがあります。同じ記事では、日本には大変に効率的な部分と、スローで非生産的な部分とがあり、いわば「2つの日本」があるとした上で、オフィス仕事に関しては後者だと指摘しています。確かに的を得た批判と思います。 勿論、日本でも改善が進んでいないわけではないわけで、社内外における
『(日本人)』では、日本人の特徴は、(それがもしあるとすれば)「空気(世間)」ではなく「水(世俗)」にある、という議論をしています。 その当否についてはさまざまな意見があると思いますが、ここで議論の前提として、本書のアイデアの元となったイングルハートの価値マップを掲載しておきます。 ロナルド・イングルハートはアメリカの政治学者で、国民性による価値観のちがいを客観的に評価すべく、世界各地で大規模なアンケート調査を行なっています(このブログで何度か紹介した世界価値観調査もイングルハートが始めたのもです)。 *イングルハートの価値マップのことは、社会学者・橋本努氏の『経済倫理=あなたは、なに主義』で知りました。 この「価値マップ」では、縦軸が「伝統的価値(前近代)」と「世俗-合理的価値(近代)」、横軸が「生存価値(産業社会)」と「自己表現価値(ポスト産業社会)」になっています。 左下が「生きてい
(2011年8月25日付 英フィナンシャル・タイムズ紙) 恐竜が地球上に姿を現す2億年ほど前、それゆえ人類が派手な披露宴で結婚を祝うようになるかなり前から、サメは海を泳いでいた。サメの起源は木よりも古く、地球で起きた大量絶滅を少なくとも4度生き延びてきた。 古来の捕食者であるサメと現代の結婚披露宴とのつながりは、中国人の間では、客にフカヒレスープを振る舞うことが気前の良さと威信の証しだということだ。中国人は13億人以上いるうえ、日に日に豊かになっているため、この習慣がサメの個体数に与える影響は決して小さくない。 カリフォルニア州で審議されるフカヒレ禁止法案 年間およそ7000万頭のサメがヒレを取るために殺されている。多くの場合、ヒレは海で切り落とされ、血まみれのサメの胴体は海に放り出されて死ぬ。 カリフォルニア州議会は、中国系米国人のポール・フォン議員(民主党)が共同提出した、フカヒレの販
最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何
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