人生に関するsatoshiqueのブックマーク (348)

  • テレビ見ません 映画見ません アニメ見ません YouTube見ません Tiktok見ませ..

    テレビ見ません 映画見ません アニメ見ません YouTube見ません Tiktok見ません サブスク見ません インスタ見ません Twitter見ません 読みません マンガ読みません ゲームしません 音楽聞きません 彼女いません 嫁いません 友達いません すまん、俺って異端か?

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    satoshique
    satoshique 2023/05/04
    でも空気は吸っているんでしょ。それでいいじゃない。生存しようや
  • 坂本龍一とデヴィッド・ボウイの交流を辿る 互いに言葉をかけ合い続けた2人の特別なリスペクト

    龍一とデヴィッド・ボウイの出会いは1978年12月にまで遡る。 当時2回目の来日公演ツアー中のボウイを、ソロとしてもYellow Magic Orchestra(以下、YMO)としてもデビューしたばかりの坂龍一がインタビューするという雑誌の企画においてだった。 互いの音楽や日文化についてなど、話題は多岐に及んだが、ボウイのほうから三島由紀夫の話を持ち出しているのはおもしろい。言うまでもなく、坂の父は三島由紀夫を手掛けた高名な文芸編集者だった。もちろん、ボウイの知るところではなかったが。 坂龍一(2017年『ヴェネツィア国際映画祭』) ふたりの再度の出会いの場所は4年後、南の島だった。 ニュージーランド・クック諸島のラロトンガ島。映画『戦場のメリークリスマス』で俳優として共演したのだった。今ではニュージーランド有数のリゾートアイランドとなっている同島だが、当時は大きなホテルは島

    坂本龍一とデヴィッド・ボウイの交流を辿る 互いに言葉をかけ合い続けた2人の特別なリスペクト
  • 岸田繁(くるり)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第46回

    アーティストの音楽遍歴を紐解くことで、音楽を探求することの面白さや、アーティストの新たな魅力を浮き彫りにするこの企画。今回は岸田繁のルーツを探る。1996年にくるりを結成し、同バンドで活躍する一方で、ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手がける岸田。そんな彼の音楽遍歴とは? 取材・文 / 大谷隆之 「なんか心が気持ちいいなあ」音楽は自分だけが知ってる喜びだった実家の近くに、チンチン電車が走ってたんです。真夏の暑い日に、職員さんが車庫の軌道敷に水を撒いていて。おじいちゃんか誰かに連れられて、それを見ていたのを覚えています。京都の市電が廃止されたのが昭和53年9月なので、僕が2歳半くらいの頃かな。たぶんそれが、僕の中で一番古い記憶ですね。 父親がクラシック音楽好きで、休日はよく家でLPレコードを聴いていました。ベートーヴェンとかチャイコフスキーとか、わりと王道のやつです。

    岸田繁(くるり)のルーツをたどる | アーティストの音楽履歴書 第46回
    satoshique
    satoshique 2023/04/30
    細野さんあたりは入ってこないんだなー
  • 土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶

    ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。 ロックバンド・一風堂のボーカルで、1982年に『すみれ September Love』を大ヒットさせた土屋昌巳(70)が、ENCOUNTに亡き坂龍一さん(享年71)への思いと自身の「今」を語った。かつて同じバンドで活動した坂さんとの思い出は数多く、その生きざまに影響を受けてきたことを明かした。(取材・文=福嶋剛) 坂さんが亡くなって約1か月。土屋はしみじみと言った。 「『教授(坂さん)の思い出を語ってほしい』と言われた時、僕が一番みなさんに伝えたかったことがあります。それは、YMO時代や

    土屋昌巳が「一番伝えたかった」“教授”じゃない坂本龍一の姿 「立場が逆転した日」の記憶
  • 「坂本龍一さんは弟のような存在…」激動の高校時代を共に過ごした塩崎元衆議院議員が語る“世界のサカモト”

    satoshique
    satoshique 2023/04/25
    まぁこういうのが教養っていうのだろう。最後の古き良き自民党。
  • フリッパーズ・ギターとコーネリアスとあのころ|大久保祐子

    2023年3月26日、慶應義塾大学三田キャンパスにて『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか』(集英社新書)の刊行記念シンポジウムが開催されました。登壇者は私のほかに、著者の片岡大右氏、IfYouAreHere委員会を組織し検証サイトを立ち上げたkobeni氏、『炎上社会を考える 自粛警察からキャンセルカルチャーまで』(中公新書ラクレ)の著者で社会学者の伊藤昌亮氏、以上の4名です。オンライン配信も行われ、おかげさまで盛況のうちに終えることができました。ご参加いただいた皆様、ありがとうございました。 以下の文章は、当日会場でわたしが発表した報告です。片岡氏の了承を得たうえで、こちらのnoteにも掲載しておきます。 2021年夏の小山田さんの一連の辞任騒動件に関しては、インターネットやいじめ問題など、様々な出来事が複雑に絡み合って引き起こした悲劇だという話は片岡さんのでも詳しく書かれてい

    フリッパーズ・ギターとコーネリアスとあのころ|大久保祐子
  • 細野晴臣「坂本くんは数年かけて準備をし永眠しました」 ツイッターで坂本龍一さんへの思い明かす

    ミュージシャン、細野晴臣(75)のスタッフ公式アカウントが17日、更新。音楽グループ、イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の盟友で3月28日に死去した音楽家、坂龍一さん(享年71)へのメッセージが掲載された。 「坂くんは数年かけて準備をし永眠しました。御人も御家族も後悔なく、静かに旅立ったと聞きました。それを知ってから、僕も安らげています。細野晴臣」と記された。 細野は同日未明に放送されたinterfm「Daisy Holiday!」(日曜深夜1・0)で坂さんを初めて肉声で追悼。1月に死去したメンバーの高橋幸宏さん(享年70)にも触れ、「悲しい知らせが続いて心の整理ができていませんが、明るい未来に進んでいくしかない。同時に、高橋幸宏、坂龍一への追悼は一生続くと思います」としのんでいた。

    細野晴臣「坂本くんは数年かけて準備をし永眠しました」 ツイッターで坂本龍一さんへの思い明かす
  • 【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで

    ヒッピーのような長髪、坂龍一との出会い 坂龍一の功績についてはすでにさまざまな形で語られているし、それに関して付け加えたいことも無い。それに、これからも彼が残してきた作品に触れることができるのだから彼の音との対話は続けられる…。そう思うしかないな、というのが正直な気持ちだ。 坂龍一は、確かに類まれな才能の持ち主だと思う。しかしそれと同時に、彼のような音楽家が登場したことも、日の70年代以降の音楽シーンの “空気” を象徴していたのではないかとも感じられるのだ。 坂龍一を知ったのは1974、5年のこと。当時、僕はオープンしたばかりの荻窪ロフトでブッキングを手伝っていたので、かなりの頻度でロフトに通っていた。そこで客として来ていた坂龍一と会っているのだ。 ヒッピーのような長髪でいつもラフな黒っぽい服に身を包んでいた彼は、ライブ後のミュージシャンと音楽の話をしたり、一緒に飲んだりして

    【追悼:坂本龍一】アブと呼ばれた荻窪ロフト時代から原点となる「千のナイフ」まで
  • カタリベ一覧 | Re:minder - リマインダー | 80年代音楽エンタメコミュニティ

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  • [2023.4]追悼 : 坂本龍一が去った世界|e-magazine LATINA

    文●宮沢 和史 texto por Kazufumi Miyazawa 何から書き始めていいか分からない。坂さんの音楽への思いや、坂さんとのいくつかの思い出を語れば、与えられた文字数でこの原稿を埋めることはできるだろう。だが、そんなものはどうでもいい気がしてきた。世界中の音楽家、音楽ファンの心に流れていた大きなひとつの水系を我々は失くしてしまったのだ。今はまだその水脈の素晴らしさや、そこからいただいた恵み、そこでの思い出を語る気にはなれない。 世界中の音楽家、音楽ファンと書いたが、その他の芸術家・映画関係者・ファッション界・広告界・芸能界・出版界・執筆家・政治家・教育者・社会活動家・環境活動家・・・・、様々な環境の第一線にいる人間たちに坂さんは多大なる影響を与え続けてきた。もっと言えば、80年代初頭にYellow Magic Orchestraを熱狂的に支持した人たちの多くは音楽家、

    [2023.4]追悼 : 坂本龍一が去った世界|e-magazine LATINA
  • 同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」

    ニューヨークで演奏する坂(左、1998年2月)と大江(右、2016年7月)。80年代から縁が続いた PND RECORDS & MUSIC PUBLISHING INC., EBET ROBERTS/GETTY IMAGES <「教授」が愛車のボルボで迎えに来てくれた思い出から、3時間に及ぶLINEでの会話まで、大江千里が坂との思い出をつづった> インスタグラムを開くと、よく知っているアメリカのレコード会社の女性とヨーロッパのミュージシャンが哀悼の意を示していた。投稿には1952年1月17日―2023年3月28日とある。嫌な予感がして僕は画面を閉じた。ずっと心の隅で恐れていた。必死で目をそらそうとした。 この日、春の嵐の強い風が吹くニューヨーク・ブルックリンの屋外へスリッパのまま飛び出ると、少し日が長くなった空に白く丸い月が浮かぶ。目の縁がにわかに熱くなり、鼓動が激しくなる。 それは熱

    同じニューヨークで暮らした大江千里が、坂本龍一への追悼文を緊急寄稿「教授、また会う日まで」
    satoshique
    satoshique 2023/04/14
    いい文章。
  • (追記)元AV女優がジャニーさんの件について思ったこと

    長くなってしまったので最初にまとめると、ジャニー氏・ジャニーズ事務所・マスコミ・告発者への暴言だけをぶっ叩いてその他はとりあえず静観すべきかもしれないというお気持ち表明です いや全然関係ないじゃんって思う人もいるだろうし当に関係ないかもしれないけど AV業界にいたとき印象的だったことを思い出したので書いてみる 文章下手なのでむちゃくちゃで申し訳ないけど AV女優になる人のバックグラウンドはさまざまだけど まあまあ多いのが身内からの性虐待を受けていた経験がある、というもの もちろん公にすることはないけど結構いた あと風俗にもめっちゃいた 私も同じく身内から性虐待を受ける→家出→売春→風俗→AVというテンプレコースだった 私はそもそも性虐待を除いても親が嫌いだったので死ねとしか思わなかったのだけど 色んな人の話を聞いて、性虐待以外は優しいという親がまあまあいることを知った 父や兄弟と気で愛

    (追記)元AV女優がジャニーさんの件について思ったこと
    satoshique
    satoshique 2023/04/13
    自尊心からくる心理的なバイアスで不幸な事態になっているのな。主犯は別として、「人に迷惑をかけるな問題」はここにもある。
  • 坂本龍一は、驚くほど気さくで、唯一無二の人だった/佐々木敦 | 日刊SPA!

    「坂龍一がいない世界がやってきた」。 そう表現するのは、坂さんと長らく交流があった思考家の佐々木敦氏だ。日のポピュラー音楽史を通覧する氏の近著『増補・決定版 ニッポンの音楽』 でも、4章のうち丸々1章がYMOと坂龍一さんに割かれている。 3月28日に逝去した坂龍一さんの人と音楽について、寄稿して頂いた(以下、文/佐々木敦氏)。 Photo by zakkubalan (c)2022 Kab Inc. 昨年12月に配信された最後のコンサート<Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022>は、dTVで見ることができる(期間限定) 1979年、私は中学生だった。ある日、学校から帰ると、自宅のテレビに奇妙な光景が映し出されていた。不思議ないでたちをした男たち(女性もいた)が、不思議な楽器(機械?)を無表情で操りながら、それまで聴いたことのなかった不思議

    坂本龍一は、驚くほど気さくで、唯一無二の人だった/佐々木敦 | 日刊SPA!
  • 人生で観ておくべき、日本映画ベスト50

    タイムアウト東京 > 映画 > 人生で観ておくべき、日映画50選 日映画には大きな魅力と素晴らしい監督の存在がある。特に黒澤明は、この地球上で最も偉大な映画監督といえるが、日が生んだ名監督は彼だけではない。小津安二郎や宮崎駿、溝口健二、市川崑ら、映画「東京物語」「七人の侍」「となりのトトロ」など、圧倒的な名作を生み出し映画界に貢献してきた。 サイレント時代から戦後の映画黄金期をへて、パンキッシュで挑発的な1960年代のニューウェーブ、アニメーション作品の爆発的なヒットを生み出した。そして、多くの作品はアメリカやヨーロッパで大きな影響力を持つようになった。タランティーノやスコセッシは、大の日映画好きで伝達者であり、ゴジラはハリウッドの大作映画としてとどろき続けている。 しかし、あまりに多くの作品があるため、何から観ればいいのか頭を抱えてしまうかもしれない。ここでは、タイムアウトワール

    人生で観ておくべき、日本映画ベスト50
    satoshique
    satoshique 2023/04/11
    こういうのってさ、ロック名盤みたくクラシックはありすぎてわかんないから紹介してほしいニーズに応えるものでしょ。ブコメに興行成績一位の「鬼滅の刃」が一切出てこないのは少し笑ったし、はてなっぽくて好き。
  • 坂本龍一逝去に相次ぐ追悼の声

    龍一逝去に相次ぐ追悼の声3月28日に逝去したことが発表された坂龍一。その死に、美術界からも多くの追悼の声が上がっている。 蔡國強のInstagramより 3月28日にこの世を去ったことが発表された音楽家・坂龍一。その死を悼み、美術界からも数々の声が上がっている。 東洋哲学、社会問題を作品の基コンセプトとし、火薬絵画、インスタレーションや屋外爆破プロジェクトなどで知られている蔡國強は、自身のInstagramで坂とのツーショットを再投稿し、「又是春风,男孩走了。悼坂!-蔡。」(春の訪れとともに、少年は私たちのもとを去った。坂を悼む!-蔡)とコメントを発表。

    坂本龍一逝去に相次ぐ追悼の声
  • 坂本龍一、亡くなる。 (渋谷陽一の「社長はつらいよ」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/shibuya/205847

    悲しい。僕たちはとても大きなものを失ってしまった。 「NO NUKES」の時、既に闘病中であったのにもかかわらず、彼はいつも舞台袖で演奏を終えたアーティストを全員拍手で出迎えた。 万全な体調ではないので、休んでくれと言っても「参加アーティストに感謝の気持ちを伝えたい」と、彼は最後までやり続けた。 結果、半日以上の長いイベント中、彼はかなり長い時間、舞台袖に立っていた。 どこかシニカルでクールなイメージがあるが、とても熱い人だった。彼の音楽と向き合った人なら、その音楽がとてもエモーショナルで熱いことを知っていると思う。 当に残念だ。失ったものが大き過ぎる。悲しい。 ご冥福をお祈りします。

    坂本龍一、亡くなる。 (渋谷陽一の「社長はつらいよ」)-rockinon.com|https://rockinon.com/blog/shibuya/205847
  • 泉谷しげる、坂本龍一さんを追悼「ある意味、日本人音楽の“歴史”を変えたのだ」 - スポーツ報知

    俳優でシンガー・ソングライターの泉谷しげるが4日、ブログを更新し、3月28日に死去した音楽家の坂龍一さん(享年71)を追悼した。 泉谷は「坂 龍一 逝く」のタイトルで更新。冒頭から「なんだこの衝撃は 特別親しくしてたアーティストではないのに凄く大事な人を失ってしまった衝撃たるや 今もって コトバにならないと云うか こうして文にもならないことを羅列してるだけだ」と、突然の訃報に強いショックを受けた様子を見せた。 1975年に吉田拓郎、小室等、井上陽水とともにレコード会社を設立した泉谷。アーティスト自身がレコード会社を経営するという当時の音楽業界で画期的なことを行っただけあって、同時期に世界を席巻したテクノグループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」にも尊敬の念を抱いている様子。「坂龍一・細野晴臣・高橋幸宏の3人による『YMO』の時代から、日人が海外でショーをやるときに『サム

    泉谷しげる、坂本龍一さんを追悼「ある意味、日本人音楽の“歴史”を変えたのだ」 - スポーツ報知
  • ディーン・フジオカ、坂本龍一さんを追悼「いくつもの大切な思い出をありがとうございました」 - スポーツ報知

    俳優のディーン・フジオカ(42)が4日に自身のインスタグラムを更新し、3月28日に死去した音楽家の坂龍一さん(享年71)を追悼した。 この日、「いくつもの大切な思い出をありがとうございました」とコメント。坂さんの数々の作品に対しては、「人生の旅路に彩りを与えてくれた音の物語たち」と振り返った。 この投稿には、「YMOの曲は衝撃的でした。世界を感じる曲に虜になったのも懐かしいです」「素晴らしい音楽家でした。ありがとうございました」「YMO世代としてはただただ寂しいばかりです」「坂龍一さんの作品世界観は当に美しい」「生まれた音楽は生き続けますね」などの声が寄せられている。

    ディーン・フジオカ、坂本龍一さんを追悼「いくつもの大切な思い出をありがとうございました」 - スポーツ報知
  • ダウンタウンGEISHA GIRLS「少年」から全て曲先 作詞家売野雅勇氏が坂本龍一さんに感謝 - おくやみ : 日刊スポーツ

    3月28日にがんで71歳で亡くなった音楽家坂龍一さんと、音楽活動をともにした作詞家売野雅勇氏(72)が3日、日刊スポーツの取材に応じて坂さんの思い出を語った。 「最初の出会いは94年くらい。ダウンタウンのGEISHA GIRLSというユニットの『少年』という曲でした。坂さんがニューヨークから帰ってきて、その翌日に打ち合わせして、翌々日が締め切り。1日で書いたんだけど、わりといいものができて、相性がいいんだとなった。全て“曲先”でした。その翌年に坂さんが歌った『美貌の青空』。96年に中谷美紀さんのアルバム『物連鎖』や、97年に中谷美紀 with 坂龍一の名義でリリースされたシングル『砂の果実』で10曲くらい。あとはKinKi Kidsの『イノセント・ウォーズ』ですね」と振り返った。 「坂さんは知性的で考えが深いけど、それに反するような能的な、と言うか野性的な部分もあって、両方

    ダウンタウンGEISHA GIRLS「少年」から全て曲先 作詞家売野雅勇氏が坂本龍一さんに感謝 - おくやみ : 日刊スポーツ
  • SUGIZOツイッター当面休止へ 敬愛する坂本龍一さん死去に「心身共に疲弊、正直ボロボロ」 - 芸能 : 日刊スポーツ

    LUNASEAおよびXJAPANのギタリスト、SUGIZO(53)が7日までにツイッターを更新。敬愛する音楽家の坂龍一さんが亡くなったショックが癒えず、ツイッターを当面休止するとした。 SUGIZOは自身率いるジャムバンド「SHAG」のライブについて告知するとともに、「ただ、坂さんの件で心身共にとても疲弊してしまい、正直ボロボロで。SHAG公演後、当分ここから消えようと思います。全てに疲れてしまった。。。」と吐露した。 SUGIZOは4日のツイートで、「この40年間、人生で最も影響を受けた人は坂さんでした。坂さんがいなければ今の自分は存在していませんでした。90年代以降、とても親しくさせていただき、音楽的に身近で当に学ばせてもらいました。00年代は社会活動を共にさせていただき、多くを学ばせていただきました」と、坂さんから受けた多大な影響についてつづり、「表現、理念、生き方、全て

    SUGIZOツイッター当面休止へ 敬愛する坂本龍一さん死去に「心身共に疲弊、正直ボロボロ」 - 芸能 : 日刊スポーツ