先の第810号では、明治時代に操業していたビール醸造所を紹介。 場所は、谷地頭町で、二階がビアホールだった。 今回は、本町にあった日本酒製造工場がテーマだ。 私が高校生のころだから、昭和30年代後半。 まだ、丸井今井デパートが、十字街にあったころ。 移転前のこのデパート敷地と、中央病院との間に、広大な空き地があった。 その空き地の中間ほどに、「日本清酒株式会社・函館工場」があり、「清酒・千歳鶴」 を造っていた。 建物の前身は、明治以後、函館の酒造業をリードしていた「丸善菅谷商店」の工場。 同商店は昭和12年、札幌市の日本清酒と合併して、「千歳鶴と五稜正宗」を製造していた。 その後、洞商店は酒造業から撤退。日本清酒の単独経営工場となった。 醸造に必要な、質の良い天然水は、七飯町からの自動車運搬。 大型トラックの荷台に、ステンレス製のタンクを積んでいた。 丸井デパートが本町進出するようになって