1923年に西海岸カリフォルニア州ロサンゼルス の中流階級家庭に生まれる。父は黒人の医師で秀才の誉れ高く、母はフランス系カナダ人の白人だった。1945年、デクスターはビリー・エクスタインのバンドを離れニューヨークに行く。1945年から1947年にかけてサヴォイ・レコードのためのレコーディング・セッションを行い、バド・パウエル、マックス・ローチ、アート・ブレイキーなどの敏腕プレイヤーと共演。その成果は、『デクスター・ライズ・アゲイン』、『ロング・トール・デックス』[1]といったアルバムに収められた。更に、1947年にはダイアル・レコードのためのセッションを行い、ワーデル・グレイとの双頭クインテットで『ザ・チェイス』などを吹きこむ。 1950年代は麻薬禍のため活動が低迷、大部分の期間を麻薬更生施設で過ごす。そんな中、1952年2月にはグレイとジーン・ノーマン主催のジャスト・ジャズ・コンサートに