『月曜日のたわわ』という青年マンガの広告が日経新聞に一面で掲載されたらしく、それについての議論が炎上しているようです。特にハフポストの以下の記事が焦点になってますね。すでに論評がいろいろ出ているのでそれに加えて私が書くべきことはそんなにないのですが、発見もあったのでちょっとだけ。今日は前おきだけ。 ハフィントンポスト「「月曜日のたわわ」全面広告を日経新聞が掲載。専門家が指摘する3つの問題点とは?」 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_624f8d37e4b066ecde03f5b7 これの一つ目の問題の「見たくない表現に触れない権利」ですが、これは法的な権利ではなくまあ道徳的な権利としてはありだと思います。我々は不快なものを見たくないので、たとえば公の場で誰かが多くの人が見て不快に思う行為をしていたら警察につかまえてもらうようにしていま
幸村誠 @makotoyukimura 漫画家。三児の父。「ヴィンランド・サガ」を連載中。アニメはAmazonプライム、Netflixで配信中! Manga artist. Father of three boys. I am serializing original manga of the animation VINLAND SAGA. 幸村誠 @makotoyukimura えー、ちょっとひと言お断りを。 全くもってプラネテスはフィクションでございまして、ウソばっかりでございます。ありもしない宇宙船、ありもしないデブリ、いもしない人物、未来が舞台のボクの空想でございます。 「面白くない」というご感想については、全くボクの力不足で申し訳ございません。
…と言うネット論客の青識亜論氏から御題があって、だらだら話していたところをまとめておきたい。幾つか観点を追加している。 功利主義は人々の快苦の多寡や選好の強さを合計する快楽計算によって物事の是非を判断し、表現の自由も快楽計算によって判断する道徳的立場。ある表現物の是非を考える場合は、その表現物が誰かに与える快楽と、その表現物が与える苦痛の大きさを比較して、快楽が大きければ善しとする。 物事の良い面と悪い面をそれぞれ評価して是非を定める帰結主義の代表。単純明快な判断基準が特徴だが*1、18世紀にベンサムが原案を考案したあと、19世紀のシジウィックとミル、20世紀のブラントとヘアと受け継がれ、発展してきた。実社会に対する影響も大きく、J.S.ミルの『自由論』が古典的自由主義の礎になっている他、ここ何十年かは応用倫理学者のピーター・シンガーが安楽死や動物の倫理を考えるのに使っている*2。最近は幸
まあ「理解」を理解するのはむずかしい。私もよくわかっていない。 でもぜったいに許せない表現があるわけです。「理解を生む」これは許せない![1] … Continue reading 「こうした技法はやはり性的な鑑賞のために女性を用いていると言えますが、同時に商品や物語とは関係のないところでそれをおこなっている点において、商品や物語を単に装飾するためだけに女性を用いているという理解も生むでしょう」 理解を生む、って誰が生むのよ。主語は「こうした技法」ですか?「こうした技法」が「理解も生む」の?どこに生むの?とりあえず主語はなんなの? 「こうしたメタファーは、あからさまではない仕方で女性を性的な鑑賞のために用いているわけですが、あからさまではないがゆえに、性的ではない(あるいは性的である必要がない)状況においても「性的客体としての女性」という考えが前提とされているという理解を生むでしょう。」
まず「理解」から。小宮先生の典型的な表現を抽出してみるとこんな感じです。 「表象に対する理解の齟齬」 「「悪さ」の理解」 「表象の理解」 「表象はその抑圧の経験との繋がりの中で理解される」 「女性差別の歴史と現状に照らしてその表象が理解される可能性が出てくる」 「女性の描き方の中で「女性は性的な客体……である」という女性観が当然の前提とされていると理解できるかどうかだ」 「具体的にどのような描き方をするとそうした理解が生じるのでしょうか」 「「性的客体としての女性」という考えが前提にされているという理解を生みやすい表現」 表象つまり表現物・作品を「理解する」っていうのはどういうことなのか、「ある絵画がどういうメッセージを伝えているかを解釈する」ぐらいだと、まあ絵画がメッセージを伝達するものとして解釈を必要とする、というのはわかります。でもこれも難しいですよね。 ふつうに「理解する」とはまず
小宮先生の岩波『世界』の方の論説では「コード」が出てきます。これもわたしわからん。 ここからゴフマンは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを、私たちが瞬時に理解するために用いられるある種のふるまいのコードを読み取っている。 この文章はとても読みにくい。「私たちは、写真にうつる人物の性別が男女どちらであるか、職業が何であるか、何をしているのか、他者に対してどんな役割を負っているのかといったことを瞬時に読みとる。ゴフマンはそのために用いられるある種のふるまいのコードをここから読みとっている」かな?悪文です。 まあそれはおいといて、この「コード」わかりにくいと思うんです。わかりにくくないですか?「コード」はふつうは(1) 規則、慣例、法典、(2) 記号・暗号、(3) 符号体系の三つぐらいの意味があると
ネット界隈での表現の是非に関する話題において、性的モノ化(sexual objectification)*1と言う単語を見かけることが多くなった。性の商品化などとも表現される概念で、萌え絵の是非が問題になる文脈では、概ね女性キャラクターの性的魅力を過度に強調する、もしくは性行為を連想させる表情や仕草をさせる作画のことを指している。 牟田和恵氏あたりのジェンダー社会学者は、この性的モノ化と言う単語を議論に持ち込んだ上で、特に詳しい説明なくこの性的モノ化を悪として、性的モノ化されているとして萌え絵を非難することがある。しかし、実はフェミニストの議論において性的モノ化されたキャラクターの表現物が問題なのか、どのように問題なのかは自明ではない。 ジェンダー社会学者の小宮友根氏の昨日のエッセイ*2でも、著名フェミニストのヌスバウムとイートンに言及した上で、独自の性的モノ化の倫理的問題点を議論していた
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/94.htm 大きく出たなという印象。 先ず、ツイートに著作権があるかどうかはケースバイケースです。著作物でも著作権法上の引用は無断で可能ですが、一般的に引用の要件を満たす必要があるとされます。また、翻案権や同一性保持権の観点から内容の同一性を保つ必要があります。この書籍に掲載されているいくつかのツイートは、同一性が保たれているとは言い難いです。 ただし、基本的には親告罪なため書籍にツイートを利用されたユーザーが訴えを起こす必要があります。事例が少なく、裁判を起こすのが手間なので割に合わないと思います。一方で、現代書館が同一性保持などの著作権に関する認識が甘い点は記憶に留め、記録を残すことも重要だと考えます。 本件の問題点はいくつかあるのですが、本エントリーでは ツイートの著作権 引用の慣例 クソリプの定義 ウェブ上の
朝日新聞社は11月14日、「朝刊に掲載した『イタリア人医師が発見した ガンの新しい治療法』の書籍広告につきまして」という文書を公表した。 同文書によると、朝日新聞の11月12日付朝刊(東京、大阪、名古屋各本社版)と13日付朝刊(西部本社、北海道支社版)に、「イタリア人医師が発見した ガンの新しい治療法」(現代書林)の書籍広告を掲載した。 広告の中に「重曹殺菌と真・抗酸化食事療法で多くのガンは自分で治せる」といった表現があり、専門家から「このような治療法に科学的根拠はない」という指摘が相次いだ。 そこで、朝日新聞社がヨーロッパ取材網を使って調べたところ、治療法の発見者とされる人物について、現地メディアが「2003年にイタリア医学界から追放された」「(提唱している治療法が)医学界では実証されておらず、むしろ危険な処置とされている」「イタリア国外で違法な専門職としての仕事を続け、2006年に患者
ジャンプの件は「女性に配慮した作品をつくれ」ではなく、「少年がメインターゲットであるという点を譲歩しろ」という話でもなく、「倫理観を持て」という話だと理解している。 男子向けにつくるなら女子への加害はエンタメ扱いするのがまぁ当然、みたいな意識には問題がある。という感じの話。
こちらのブログでは、いくつかの研究を紹介し、女性は《金持ちor逞しい甲斐性のある男が、主人公女性と心を通じ合い庇護してくれる》というシチュエーションを好むことを紹介している。そのうえで、 女性の性的キューを強調したキャラは「心が通じる有能なイケメン」である。女性向けの性的なポスターが炎上しない理由、それは女性の性的キューが社会の価値観と一致する方向にあるからではないか。としている。 私は、同じファクトを土台として、社会の価値観と一致しないと主張する。なぜなら、そのような作品は、「男が外で稼ぎ女は家」というジェンダーロールを読者に刷り込んでおり、男女平等を妨げるものであるからである。 これは突拍子もない議論などではない。例えばディズニーのアニメ映画などでも前世紀の「リトル・マーメイド」等の作品では「ヒロインが王子様と結ばれる」類型が批判されたが、近年の「アナと雪の女王」ではそういった類型のロ
本職である牟田先生の意見が明示されたことは、ありがたいですね。 しかし、形式的論拠(女性差別撤廃条約)は、解釈も経緯も説明せず、印籠的にガイドラインを示すだけ、実質的論拠として挙げた「モノ化」も、中身の説明はありません。 深堀… https://t.co/YQThVC4Bre
広告などの女性表象への批判、例えば今回のような露骨な乳袋表現への批判があった際「フェミニストは巨乳の女性を否定している」という的外れな反論がありますが、否定している訳でも隠せと言っている訳でもありません。 大河ドラマ「いだてん」第… https://t.co/z1X12BMgiZ
『宇崎ちゃんは遊びたい!』を使った献血ポスターとそれをめぐっての太田啓子弁護士のコメント・行動が炎上しているな。 togetter.com 太田は詳しくは述べていないようだが、要するに宇崎ちゃんの「巨乳」強調のイラストが「無神経」であり「公共の場での環境型セクハラ」であるからという理由で赤十字に何らかの苦情を言ったものと思われる(くりかえすが、この理由は推測に過ぎない)。 これに対するツイッターなどのネット上のコメントを見ると、「あいちトリエンナーレ」の騒動と重ね合わせて、これも表現の自由に対する攻撃ではないのか、という意見がけっこう目立った。 「巨乳強調」は女性の人権を侵すか そもそもの問題として、巨乳を強調したイラストを大勢の前に掲示するのは女性の人権を侵すこと、「環境型セクハラ」になるのか。 結論から言えば、「環境型セクハラ」=法令上の人権侵害とは思えないが、女性を性的な存在とのみみ
いい文章で,概ね同意. 個人的に思うところについて何個か横を入れて見たい. 一方で、仮にあのイラストが性的な視点を含むものだったとして、それを掲載することが生む具体的な問題とは何か、という点も議論が必要です。 困惑する、不快感を覚える、性的消費を連想させてトラウマが蘇る、性的消費を助長する、子供に見せたくない、教育上不適切である、などの意見があるでしょうか。 問題の本質はもっと曖昧なところにあると思う.それは,公的な場で,男性目線で性的に女性を描くことで,「女性は,男性から見て性的な存在であるべき」という社会的な規範を間接的に強化することだと思う. この規範の具体例は, 女性は,通常,就活で女性的な服装(スカート,化粧等)をする.女性は,通常,好意のない男性であっても,多少のリップサービスで喜ばせる.女性は,通常,飲み会で男性にお酌をする.女性は,通常,男性から性的な発言をされても,冗談と
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く