交流会の打ち合わせをする片岡美佐江さん(右端)と、柳公子さん(左から2番目)ら=東京都内で4月28日、照山哲史撮影 「悪魔払いされてた病」土屋太鳳さんら主演で映画化 悪魔に取りつかれたような奇妙な体の動きが特徴的な難病「抗NMDA受容体脳炎」の患者や家族らによる全国初の交流会が6月、東京で開催される。10年前に病気の仕組みが解明されたばかりで、若い女性を中心に全国で年間1000人ほどが発症しているとも推定されるが、ほとんどの病院施設で治療実績がない。このため、適切な診断や治療を受ける機会に恵まれない場合もあり、患者や看病する家族らも孤立しがちだ。専門医の講演がある交流会で患者・家族らが情報を共有し合い、適切な治療を受けるための環境を早期に整えることを目指したい考えだ。【照山哲史】 抗NMDA受容体脳炎は脳の神経細胞にあり、中枢神経系の興奮刺激を伝える役目を担うNMDA受容体が、免疫反応の結
病気や災害などで親を亡くした子どもたちの進学支援をする「あしなが学生募金」の運営が厳しくなっている。茨城県内のスタッフはわずか2人。アルバイトなどで活動に時間をとれないためだ。22日から始まった街頭募金にもボランティアが足りないといった影響が出ている。 事務局によると、県内で同募金の奨学金を得ているのは、①高校・高専68人②専門学校26人③大学・短大15人。事務局のスタッフになれるのは専門学校以上の学生だが、募金活動に加わっているのは県代表の長谷川翔さん(19)=茨城キリスト教大2年=のほかは1人だけだ。 スタッフは数年前には5人程度、最盛期には10人ほどいたという。長谷川さんは「ボランティアの募集や行政との折衝など、1人にかかる業務の負担が大きくなっている。このままでは県内の拠点を維持できるか不安だ」と話す。 関東地区の学生スタッフを取りまとめる宮城保志さん(26)によると、「アルバイト
長崎の被爆者5団体の一つ「長崎原爆遺族会」の新会長に、被爆者の本田魂(たましい)さん(73)=長崎県時津町=が就任した。長崎市内で22日開いた同会の会合で決まった。昨年11月に前会長の正林克記(まさばやし・かつき)さんが77歳で亡くなった後は、同会顧問の下平作江さん(82)が会長を代行していた。 同会は1965年、原爆死没者の実態調査…
福島・いわきに根ざし、アイデアをあらゆるかたちで発信していく。企画・編集・PR事務所「ヘキレキ舎」代表・小松理虔さんによる、いわきレター。 「介護」や「福祉」という言葉を聞いたときの印象、皆さんどうでしょう。大変、後ろ向き、仕事も忙しそう、など、ネガティブなイメージが湧きませんか? そんなイメージを変えて、介護、福祉、高齢者、といったワードをポジティブに捉え直しできないだろうか、というのがこの「フクシノワ」の活動。 第1回目のイベントとして、4月29日(土)に、地域の高齢者や若者、いろいろな人を集めて「昭和のレコードを聴きながらお茶を飲みつつフクシについて話し合おう会」が開催されることになりました。DJが昭和歌謡をかけ、それをBGMにしながら地域の福祉を語ろうじゃないか、という内容です。 地方に暮らしていると、人のつながりやコミュニティの濃密さを感じる一方、きれいごとばかりではない「高齢化
人混みの中で、白い杖をまっすぐに掲げて立ち止まる視覚障害者。「白杖(はくじょう)SOSシグナル」と呼ばれるこの独特のポーズがTwitterで話題になっています。東京新聞の記事を引用しつつ、「(このサインを)見かけたら声をかけてあげてください」「この記事をシェアするだけでだれかの『困った』を解消して助けるコトができます」と呼びかけるツイートは、現在までに5万7000回以上リツイートされています。 この「白杖SOSシグナル」はもともと福岡県盲人協会が考案したもので、視覚障害者が「今、助けてほしい」と思った時に、白杖を掲げることで周囲に助けを求めるというもの。実は40年ほど前から存在していましたが、残念ながら今のところ世間一般ではあまり知られていない、というのが実情でした。 白杖SOSシグナル(佐伯区視覚障害者の集い「白い三輪車の会」サイトより) 一方、この「白杖SOSシグナル」については以前か
Webライターの木下です。 今回から難病カフェの話題をご紹介いたします。第1回は、東京のNPO「希少難病ネットつながる」が主催するRD-Caféについてです。 難病法の施行から2年を経て 「難病患者に対する医療等に関する法律」、いわゆる難病法が施行されたのは、2015年1月1日。それから2年が過ぎました。難病対策は、同法の施行以前は、法律に基づかない予算事業でしたが、それが法律に基づく措置となり、「医療費助成制度の確立」「調査および研究の推進」「療養生活環境整備事業の実施等」が講じられることになりました。医療費助成の対象となる指定難病は、2015年に56疾病から306疾病まで増やされ、さらに2017年4月には24疾病が追加され、330疾病になります。 そのように難病対策に関する制度改革が進み、社会的な関心も高まる中で、昨年から全国で「難病カフェ」という患者の会合が開かれ、注目を集めています
「そらぷちキッズキャンプ」で乗馬体験を楽しむ子どもたち=北海道滝川市で2016年7月30日午前9時44分、谷本仁美撮影 重い病気や障害を抱える子どもとその家族を地域で支えるニーズが高まっている。こうした活動をする団体は、これまで人手や資金の問題から横の連携が難しかったが、神戸市で今月開かれた交流会では、北海道から沖縄まで30団体が参加して情報交換した。活動の継続と普及が今後の課題だ。【高野聡】 12日に神戸大病院内で開かれた交流会は「スペシャルキッズサポーターズの集い」と名付けられた。「スペシャルキッズ」は欧米で、重い病気や障害など広い意味で課題を抱える子どもを指す言葉として使われる。 呼び掛けたのは、大阪市の岡崎伸医師(小児神経内科)ら。岡崎さんらは2009年から、英国発祥の「子どものホスピス」を参考に、大阪府内でボランティアの戸別訪問による支援を続けてきた。民間からの寄付を元に小児がん
歩き始めが遅いため病院を受診すると、左脳にかすかな損傷があるため、運動障害が出ていると診断された。7歳の時、障害者手帳を受け取った。 「希望を持ってはだめ」と医師に言われ、「切り捨てられた気持ち」を味わったこともある。だが弥生さんは元気に成長し、地元の小中、養護学校を卒業。現在は大阪府大東市にある事業所に週5日間通い、内職や農作業にと頑張っている。 子育ての傍ら、銀行勤めに自宅での父親の介護-と、多忙な日々を送ってきた中野さん。折に触れ感じていた「しんどい時に『自分は一人じゃない』と思える仲間がいれば、どれほど助けになるか」との思いも、支援団体設立の原動力となった。 家の建設は一昨年8月に開始。内装には自然素材を用い、明るい空間づくりにこだわった。完成間近の昨年7月には、神奈川県相模原市の障害者施設で入所者19人が刺殺される事件が発生。「障害者はいなくなればいい」と供述した容疑者に怒りと悲
阪神大震災発生時刻に犠牲者の冥福を祈り、黙とうする人たち=神戸市中央区の東遊園地で2017年1月17日午前5時46分、久保玲撮影 6434人が犠牲になり、3人が行方不明となった阪神大震災(1995年)の被災地は17日、発生から丸22年の朝を迎えた。激しい揺れが起きた午前5時46分に合わせ、各地で追悼行事が営まれた。風化を危ぶむ声がある一方、東日本大震災や熊本地震など大きな災害が各地で相次ぎ、その爪痕は生々しく残っている。南海トラフ巨大地震の危険性も直視しなければならない。震災の経験と記憶を語り継ぎ、教訓を生かす必要性が揺らぐことはない。 神戸市中央区の東遊園地では、市民団体など実行委による「阪神淡路大震災1・17のつどい」が開かれた。昨年に続き公募で決めた竹灯籠(とうろう)の文字は「1995 光 1・17」。約7000本に明かりがともされ、遺族や市民が午前5時46分の時報に合わせて黙とうし
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