-沖田林太郎・・・は留守の間に妻子や一族まで世話になり、京都に残るのは恐縮しているので、早々に引き払います。取り計らいを希望します- 幕末に活動した新選組の局長となる近藤勇が書いた手紙を写したとみられる史料が群馬県立文書館に残されています。その中に上の文が記載されています。それは沖田総司の義兄として知られる林太郎が、妻子たちへの思いから新選組に加わらず、江戸へ帰還したとうかがわせるものです。 手紙は、現在の群馬県伊勢崎市で旗本の家臣だった萩原信之家文書のうちの「梧桐叢書」と題した冊子に収められています。日付は、新選組の前身となる壬生浪士隊が誕生した時期と重なる1863年(文久3年)3月13日で、林太郎について触れている部分は4行あります。 「妻子共各々様世話二相成候」「沖田氏一族等迄皆々様之世話二相成候」という状況の中で京都に残ることを甚だ恐縮しているとし、「早々引払候」とつづっています。
![妻子を思い江戸へ帰る・・・沖田林太郎 - そして男は時計を捨てた・・・](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/8e8b8a9c24c5cb38e46adcbaf1a3aa0ea5b06128/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcdn-ak.f.st-hatena.com%2Fimages%2Ffotolife%2FC%2FCupidpsyche%2F20200606%2F20200606174628.jpg)