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ブックマーク / fox-moon.hatenablog.com (406)

  • 山梨の自動販売機 ―ワンハンド高級アイスクリーム― - 書痴の廻廊

    まだ生きているとは思わなかった。 先日山梨に帰省した折、撮影したものである。 レトロデザインなアイスクリームの自動販売機。電源は入っていないから、「生きている」という表現には語弊があるか。 まだ撤去されずにいたとは驚きだ、と書くべきだろう。少なくとも二十年は昔から、この機械が稼働しているのを見たことがない。 「ワンハンド高級アイスクリーム」を謳いながらも、値段表示は一律百円。PariPariだのチョコモナカだの、どことなく見覚えのある商品が並ぶ。 矢印が集中する真ん中は「当り」ランプになっていて、これがうまいこと点灯すれば、もう一個おまけで手に入るとか。こういうギミック付きの自販機はよく見掛けるし、買いもするが、一度たりとて当りを引けた例がない。この不ヅキが、これからの人生で償われるとよいのだが。 もののついでにこちらの写真も上げておく。山梨で自販機といえばコレ、ハッピードリンクショップだ

    山梨の自動販売機 ―ワンハンド高級アイスクリーム― - 書痴の廻廊
  • ハーゲンベックの慈悲深さ ―Human zooの内と外― - 書痴の廻廊

    黒川義太郎の現役時代。上野動物園の運営は、専らカール・ハーゲンベックの手法に拠るところが大だった。 以前記した大型ネコ類の分娩環境整備など、まさにその好例だろう。 大正十五年の講演で、 ――園内のものは皆んな私の子のやうな感じがする。 と発言するほど慈悲深かった黒川だ。「愛と親しみ」を第一とするハーゲンベックの順育法に共鳴するのは蓋し自然な流れと言えた。 (獅子の子を抱く黒川義太郎) 実際問題、ハーゲンベックは動物に対し、溢れんばかりのいたわりの心で接したらしい。 こんな話が伝わっている。 その昔、ドイツのとある雑誌社により、南米パタゴニアへのツアー旅行が営まれた際のこと。 参加者の一人が道に迷った。 仲間の姿を見失い、孤立の事実に動顛し、救いを求めて遮二無二そこらを走った結果、救助どころかどんどん奥地へ迷い込み、ふと気が付けば己の踏み跡さえも定かではない。 (なんということだ) 故郷を遥

    ハーゲンベックの慈悲深さ ―Human zooの内と外― - 書痴の廻廊
  • 江戸時代の強制執行 ―「身代限り」にまつわる法令― - 書痴の廻廊

    江戸時代の法令というのは発布と実行の間にかなり大きな懸隔があり、これを考慮に入れないと、物事の実像をとんでもなく読み違う。 なにせ、「三日法度」なんて用語までもが罷り通っていたほどだ。 寛政年間の奇談集、『梅翁随筆』にちょうどこの言葉が使われている。江戸が繁盛するにつれ、道路事情にもいろいろ問題が起きてきた。牛車、小荷駄馬、大八車に代表される、「乗り物」による衝突事故の激増である。 交通量の増加が導く、必然の結果といっていい。 新たな統制の必要性を感じた幕府は、さっそくこのような触書を出した。曰く、「各車は十間づゝも間を置き、小荷駄馬は二疋続引に致すべし」と。 発想自体は当を得ている。車間距離の十分な確保が事故防止に繋がるというのは万古不易の哲理であろう。 が、エンジンも積んでいないのに、十間――二十メートル弱というのは少しばかり広すぎた。せっかちな江戸っ子気質も手伝い、不満悪口の類が続出

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  • 運命からの贈り物 ―「栄螺ト蛤」― - 書痴の廻廊

    予期せぬ出逢いがまた増えた。 例によって例の如く、古書のページの合間から、はらりと舞い落ちて来たのである。 題名は「栄螺ト蛤」で、左下は「第三学年 木リツ」と書いてあるように読めないか。 学生の美術の課題だろうか? それにしては完成度がやたらと高い。迷いのないすっきりした筆遣いは優美の極みで、書き手の心をよく反映したものだろう。 紙質は、その薄さといい滑らかさといい、ほとんどパラフィンを思わせる。慎重に保管しなければ。 半券二種。栞がわりに用いていたと思われる。 裏面。 大正三年、上野公園を会場として開催された東京大正博覧会は、四ヶ月でのべ七百五十万人もの入場者を迎えたビッグイベントに他ならず、右はそのうちの一枚だろう。 第一会場と第二会場の間には、日で初めてエスカレーターが設置されていたそうだ。 新聞の切り抜き。ノースクリフ卿の支那国際管理案につき報じられているあたり、これも大正時代

    運命からの贈り物 ―「栄螺ト蛤」― - 書痴の廻廊
  • 「紙漉唄」私的撰集 - 書痴の廻廊

    令和三年の太陽が、二回昇って二度落ちた。 冷たく冴え徹った蒼天に、鮮やかな軌跡を描いていった。 新年の感慨、意気込みの表し方は人それぞれだ。清新の気を筆にふくませ、書初めを嗜む方とて少なからず居るだろう。 故に私も趣向を凝らす。和紙に纏わる詩の数々。私が知り及ぶ限りのそれを、ひとまとめにして紹介したく思うのだ。 (越前奉書紙) まずは吉野川上流、国栖の里に伝わる唄から。昭和十二年、詩人木水弥三郎によって採録。 同地域では遥か遠く壬申の乱、大海人皇子の時代から紙漉きが始まったとされており、その意味に於いて日屈指の「紙の里」といっていい。 見てや楽そな入っては地獄 お寺奉公か紙漉か 国栖の紙すき三年したら 髪は辛苦でみな抜けた 何の因果で紙漉習(な)ろた 花のさかりに籠の鳥 たて(・・)をこなして上紙漉いて 問屋々々で名を残す わたしゃ紙漉紙屋の娘 ひるは暇ない夜おいで わたしゃ紙漉き主ゃ筏

    「紙漉唄」私的撰集 - 書痴の廻廊
  • 生命力のえげつなさ ―久方ぶりの山梨で― - 書痴の廻廊

    山梨は田舎だ。 変化に乏しい。 時間は駘蕩としてゆるゆる流れる。 が、停滞までには至らない。あくまで「乏しい」のであって、絶無といっては言い過ぎになる。 差異を求めてそこらを歩き、直面しては切なさに心慄わせるのも、私にとっては帰省の際の趣味の一つだ。 今回はこんなものを見付けた。 石垣の隙間から垂れ下がり伸びる房状の「何か」。 一瞬、キノコかと思ったがそうではない。棘がある。丸薬めいた黒粒が、一定間隔で表面に配置されている。 (おいおい、まさか、嘘だろう。――) のけぞるほどに驚いた。これはサボテンではないか。 (Wikipediaより、ウチワサボテン) 瘡蓋みたく赤茶けているのは、山梨の気候に適わない所為か? どうも衰弱を思わせる色合いだろう。 しかし植物には諦めるという機能がない。 妥協を知らず、調和を思わず。ただ自己の種を、遺伝子を存続させるため、なりふり構わず足掻いてのける。当に

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  • ノンパレール号の挑戦 ―明治初年の海外知識― - 書痴の廻廊

    明治維新は漢学を、ひいてはその背景をなす漢文明の価値そのものを叩き落とした。 地の底までといっていい。まるで瘧の落ちるが如き容易さで、日人は「中華」の魅力に不感症になったのだ。 それを象徴する顕著な例が、漢学書籍の投げ売りである。 牧師にして文筆家、何故かよく岩野泡明と混同される、「軽井沢の聖者」こと沖野岩三郎の記述に依れば、「四書が四銭、五経が五銭、唐宗八家文が八銭、十八史略が十八銭といふやうな値のつけ方」であったらしい(昭和九年『話題手帖』100頁)。 代わりに持て囃されたのが、『西洋事情』に代表される、欧米圏の消息に触れただった。 興味の対象が移っただけで、人々の読書欲自体には些かの翳りも見られていない。皆、先を争い、貪るようにして読んだ。 ここに掲げる『萬国新話』も、そうしたいわゆる「流行りに乗った」書籍のうちの一冊だろう。 明治元年冬印刷、翌二年春期発行。 編者の名は柳河春三

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  • 読売新聞命名奇譚 ―日就社の苦闘― - 書痴の廻廊

    日就社が東京芝の琴平町に拠点を移し、新聞事業に手を染めたのは、明治七年十一月二日付けのことだった。 いわゆる読売新聞である。 (Wikipediaより、読売新聞創刊号) いま、私はさりげなく「読売」と書いたが、さてこそこの題字こそ、数多の事前準備の中で解決が最も遅れた課題。新進気鋭な日就社の面々をして、最後まで悩みに悩ませ続けた至難の極みに他ならなかった。 「いったいどんな銘を打つ」 幾度協議を重ねたことか。 「『通俗新聞』はどうでしょう」 そう発言する者も居た。 堅っ苦しさをなるたけ排し、俗談平話を心がけるという趣旨を、そのまま反映しようというのだ。 「傍点を施す工夫こそ、在来の新聞と一線を画し、紙を大いに特徴づけるものであります。そこからとって、『よみがな新聞』という案は」 内容がより平易になれば、これまで新聞に縁遠かった女性や子供を顧客化することも可能であろう。そんな展望に基いて、

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  • 「言い訳」撰集 ―末廣鉄腸、明治八年「曙新聞」社告篇― - 書痴の廻廊

    人間の智慧がいちばん輝かしく発動するのはひょっとして、言い訳を考えているときかも知れない。 涙を流し、情に訴え、もっともらしい理屈を捏ね上げ。 自分が如何に憐れむべきいきものかを分かってもらい、少しでも頽勢を挽回しようと。 平常時なら思いもよらぬ牽強付会、破廉恥極まる責任転嫁も平気の平左でこなしてのける。 古今東西、筆に会話に展開された、秀逸かつ個性的な言い訳を掻き集めたなら、さぞがし興味深い書籍が誕生することだろう。 その一頁に、ぜひともコレを加えて欲しい。明治の論客、讒謗律でぶち込まれた最初の男、自由民権派の巨魁、鉄腸末廣重恭が、明治八年「東京曙新聞」の論説欄に掲載した文章だ。 〇 社 告 昨日は観客も御存じの通りの烈風にて折角認(したた)め終りたる論説の原稿を窓外に吹き飛ばされ候故夫(それ)より更に認むべきの処斯くては印刷の間に合ひ兼ね候間止むを得ず今日だけ論説相休み申候若し吹飛ばさ

    「言い訳」撰集 ―末廣鉄腸、明治八年「曙新聞」社告篇― - 書痴の廻廊
  • 夢路紀行抄 ―脱衣ロッカー大迷路― - 書痴の廻廊

    夢を見た。 転換激しい夢である。 最初は確か、工場だった。 私は灰色がかった作業服を着てベルトコンベアの前に立ち、延々と運ばれてくるプラ容器にハンバーグを詰める作業に没頭していた。 このあたり、背景を探るに難はない。 間違いなく夕飯の献立の影響だろう。セブンイレブンのレンチン惣菜。ハンバーグの品目内でも、鉄板焼より和風の方が私の好みだ。昨日もそれを、米に乗せてかっ込んだ。 作業の合間、ふと隣に視線を移すと、テレビが点いて、天気予報をやっていた。 それがなんと、24日のクリスマス・イヴは過去例のない高温で、28℃になるという。 耳を疑い、目を疑い、画面に穴が開くほど見詰めてみたが、結果は変わらず。異常気象もここまで来たかと空恐ろしい気分になった。 と、次の瞬間。 一切の前触れなく、私の視界は熱気濛々たる銭湯のそれに塗り替えられた。 あんまりにもなその唐突さは、さしずめ転移とでも表現するより外

    夢路紀行抄 ―脱衣ロッカー大迷路― - 書痴の廻廊
  • 北門の鎖鑰をして皇威を北彊に宣揚せよ ―第二期北海道拓殖計画― - 書痴の廻廊

    福島県の復興に、政府が意欲を示したそうだ。 第一原発周辺の十二市町村へ移住する者に対しては、最大二百万円の支援金を与えるということである。 更に移住後五年以内に起業するなら、必要経費の四分の三――最大四百万円まで――を、向うが持って(・・・)くれるとか。 一連の報せを受けたとき、記憶の一部がしとどに疼いた。 よく似た話を知っている。 なんだったか、そうだ、昭和二年から始まった、第二期北海道拓殖計画だ。 (北海道の景色) 大日帝国が北海道の開拓に着手したのはよほど早く、五稜郭を攻め落としてから三日後の、明治元年五月二十一日にはもう、 蝦夷地の儀は皇国北門直に山丹満洲に接し、経済粗定といへども北部に至りては中外雑居致し候処是迄官吏の土人を使役する甚だ苛酷を極め、外国人は頗る愛恤を施候より土人往々我邦人を怨離し彼を尊信するに至る、一旦苦を救ふを名とし土人を煽動する者有之(これある)ときは其禍忽

    北門の鎖鑰をして皇威を北彊に宣揚せよ ―第二期北海道拓殖計画― - 書痴の廻廊
  • 「砂利食い事件」の覚え書き ―大正九年の東京疑獄― - 書痴の廻廊

    失態である。 前々から予定されていた明治神宮の鎮座祭――竣工したての御社(みやしろ)に、明治大帝の御霊を招く何より大事な神道儀式――の当日に、よりにもよって表参道の地面の一部が陥没したのだ。 五十万もの参拝客が文字通り殺到した所為でもあろうが、これほど不面目なことはない。 大正九年十一月一日のことだった。 (Wikipediaより、明治神宮・社殿全景) 当時に於いて明治大帝が如何に崇敬の的だったかは、これはちょっと筆にも舌にも尽くせない。崩御のその日、二重橋に駆けつけた楚人冠の記録から、わずかにその一端を窺い知れる。 嗚呼其の時の光景、悲惨といはんも足らず、凄愴と評せんも古きを覚ゆ。あの広い石原に集ったあの大勢の人々が左ながら言ひ合せたやうに急においおいと泣き出した。男は流石に多く啜り泣き咽び泣きに過ぎなかったが、女に至っては老若共にわいわいと聲を放って泣き立てる。其の聲は彼処にも此処にも

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  • 闇黒の霧の都より ―イギリス人の保守気質― - 書痴の廻廊

    産業革命が実を結び、英国工業が黄金期を迎えつつあったあの時代。輝きが強ければ強いほど、影もより濃くなってゆく――そんな調子の俗説を、態々証明するかのように。 彼の地に蔓延る煤煙ときたら尋常一様の域でなく、ロンドンをして文字通り、暗黒の霧に鎖しきった観すらあった。 「口腔と、咽喉の粘膜を荒らし、金属を錆びしめ、美人の面だらうが、馬の面だらうが、皆これを黒の一色に塗りつぶして終ふ。一日に二度カラーを取換へ、手の甲の毛が擦切れる程度に、繰返し手を洗はなければならず、聖ポール寺院にせよ、ウエストミンスター寺院にせよ、白い石の素地は疾くの昔に消え失せて、今は真っ黒な、光沢(つや)消しの漆塗りのやうになって居る」 大阪朝日の特派員としてロンドンに赴任し、大正八年にはその体験から帰納して、名著『闇黒の倫敦より』を書き上げた稲原勝治の言である。 米田実と相並び、明晰な外交評論を発射し続けた三寸不爛の舌刀も

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  • ジョージ5世の前線視察 ―英国王と世界大戦― - 書痴の廻廊

    以下はほとんど信ずべからざるエピソードだが、発信者のフィリップ・アーマンド・ギブス卿はあくまでも、「真実」と主張して譲らない。 第一次世界大戦の真っ最中に、英国国王ジョージ5世がドーバー海峡をひょいと跨いで、フランス首脳部と心温まるご交流を営まれたのみならず、将官連の制止を振り切り、砲弾乱れ飛ぶ最前線にその身を曝したという話を、だ。 (Wikipediaより、ジョージ5世) 士気は目に見えて上向いた。 あたりまえのことである。 いと高き御方の視界の中で臆病なふるまいを演ずるようでは、それこそ末代までの恥、英国男子の名折れであろう。兵士は勇猛心を奮い起こした。 王もまた、権威の源泉たるに相応しい態度をお示しになられた。 爆風が頬をなぶるほどの至近弾があった際にも、ジョージ5世は泰然として、少しも恐怖の色合いを面上に差し上らせなかったという。 が、生憎と、馬(・)は平静でいられなかった。 慣れ

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  • 半世紀後の大都会 ―『サイバーパンク2077』をプレイして― - 書痴の廻廊

    『サイバーパンク2077』が面白い。熱中し過ぎて、ブログに廻す気力さえ、ともすれば残らなくなりそうだ。 陰謀、暴力、裏切り、堕落――物語の舞台となるナイトシティは混沌たるエネルギーに満たされきった都市であり、その点極めて魅力的な場所である。 街を牛耳る大企業――「アラサカ社」が日企業であるところにもグッと来た。それによって醸し出される雰囲気は一種独特なものであり、探索していて飽きるということがない。 摩天楼の足下に広がる闇溜まりから、成り上がりを夢見て跳梁するのが人体を機械の部品に置き換えたサイボーグ達とあってはもう堪らない。激しく浪漫をくすぐられる設定だろう。私がゲームに期待する第一義――その世界観にどれだけ違和感なく浸れるかという命題に、作は十分以上に応えてくれた。 アーサー・C・クラークの中編小説「メドゥーサとの出会い」に啓蒙されてからというもの、人体の機械化に対する拒否感は、私

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  • アジア主義者の肝試し ―京橋区の幽霊旅館― - 書痴の廻廊

    毒が残っているやも知れない、素人捌きのフグ鍋を、好んで囲んだ江戸っ子のように。 あるいは狭い室内で、無数の兎を撃ちまくり、点数を競った仏人のように。 男というのは度胸試しが好きでたまらぬいきものだ。 (長谷川哲也『ナポレオン ―覇道進撃―』1巻) これもまた、その一例に数え入れていいかもしれない。 ――関東大震災以前。アジア主義の理想に燃える血気盛んな青年諸君、所謂「大陸浪人」どもが、殊更贔屓にした宿が、京橋区の一角に存在していた。 格別眺めがいいのでも、舌を蕩かす料理が出るでも、美人女将が帳場に立って居るのでもない。彼らの興味をガッチリ掴んで離さぬ要素は、まるきり別の場所にある。 この旅館は、怪奇現象のメッカであった。 二階の、特定の部屋で休んだ者は、必ず恐怖体験を味わわされる。彼らは自分がいつ眠ったのか気付かない。この部屋で見る夢は決まって一つ、寝る前と寸分違わぬ室内で、布団に仰向けの

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  • 室戸岬讃美曲 - 書痴の廻廊

    詩(うた)がある。 ここ幾日か触れて来た、室戸岬にまつわる詩だ。 折角なので紹介したい。 こゝは四国の南端の 日八景随一の 黒潮高鳴る室戸岬 豪宕(ごうゆう)雄大たぐひなき 奇岩乱立狂ひ獅子 波はくだけて花と散る 霊気遍満東寺(あづまでら) 千古の法燈影ながく 繞(めぐ)る緑樹の香ぐはしや 前は渺茫太平洋 潮ふく鯨の浮き沈み 船歌うれしなつかしや 燈台燭光二百萬 照らす海原はて知らず 便りに船やる人や誰れ (室戸岬水産青年学校) 昭和二年、室戸岬は上高地や華厳滝、雲仙岳などと同様、日を代表する景勝地――「日新八景」の一つとして選ばれた。 そのことが、よほど嬉しかったらしい。ついこういうお国自慢の詩が編まれる。 可憐であろう。その無邪気さは愛するに足る。なんとなれば褒められて素直に喜べる人間性こそ、愛嬌の原型であるからだ。 (Wikipediaより、室戸岬) 室戸岬の燈台は、今日でもな

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  • 室戸岬の鯨組 ―とある羽刺の追想― - 書痴の廻廊

    マグロ漁が盛んになる前、室戸岬は捕鯨で鳴らした土地だった。 幕末四賢侯が一、「土佐の老公」山内容堂が鯨海酔侯を号したように。 土佐の海には鯨が泳ぎ、ときに多過ぎるほど出没し、集団座礁(マス・ストランディング)を起こしては、臭気と悪疫の源と化して近隣住民を辟易させたものである。 (Wikipediaより、座礁鯨) 当然、捕鯨が発達しなければならない。 現に栄えた。 土佐に於ける捕鯨集団――「鯨組」は他国のそれに比べても、とりわけ峻烈な掟によって厳格な統制を確立した組織であって、有事の際にはたちまち海兵に早変わりして働くことを期待されていたというから、だいたいの雰囲気は察せよう。 当時の仮想敵国はむろん支那の明朝であり、京坂の地を衝かんとする彼らの船を室戸岬で喰い止めるのが土佐鯨組の密やかなる使命であった。 軍事組織である以上、「階級」は何にもまして重要問題でなければならない。 その内訳を大ま

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  • 太平洋上の遭遇 ―「しにかまんでゆく」漢たち― - 書痴の廻廊

    千葉県銚子の港から、東に1700マイル。 太平洋のど真ん中で、二隻は出逢った。 方や日の木造漁船、方やアメリカの石油タンカー。四十トン級がせいぜいな前者に対し、後者は圧巻の一万六千トン級だから、目方の隔絶ぶりたるや、大人と子供以上のものがあったろう。 ――難破船か。 と、アメリカ人らが思い込んだのも無理はない。 無線でいくら呼びかけようと前方に浮ぶ「笹船」はうんともすんとも言わないし、第一船体のみすぼらしさときたらどうだろう。アラスカ辺の漁夫でさえ、あんなものには乗りたがるまい。ましてや遠洋漁業を試みるなど沙汰の限りだ。 ところが彼らは室戸岬の漁師どもの肝っ玉に無知だった。 室戸では、遠洋漁船が出て行くのを見ると、 「ああ、また後家船が出るな」 といふほどだ。この船が再び港にもどる時には、何人かの後家が出るといふ意味である。しかし、海で生れた者が海で死ぬるのは望だと、おかみさん達はいち

    太平洋上の遭遇 ―「しにかまんでゆく」漢たち― - 書痴の廻廊
  • 北門小話 - 書痴の廻廊

    北海道では馬乗りでなければ選挙に勝てない。内山吉太が屡々勝利を博し得たのも、馬術に長じていたのが第一だ」 北海道の特殊性を表現するに、楚人冠はこのような論法を以ってした。 彼の地は広い。東北六県に新潟県を併せてもなお幾許(いくばく)か及ばないというだだっ広さだ。おまけにその大半は、なお手つかずの森林原野。道なき道を行かない限り、有権者に呼びかけることすら満足にやれない。 だから馬の出番となるのだ。 悪路突破の性能に於いて、この四足獣の右に出るモノはまずいない。少なくとも楚人冠が稿を起した、大正三年の時点に於いてはそうだった。巧みな手綱さばきによって北の大地を縦横無尽に駆け巡り、有権者との接触を繁くした者が結局は勝つ――。 八幡平で落馬して、腕の骨をポッキリ折った楚人冠が書いたと思うと、また格別な面白味が湧き出そう。 (楚人冠の落馬地点に建った句碑) とまれかくまれ、北海道はそういう土地だ

    北門小話 - 書痴の廻廊