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民俗学に関するschriftのブックマーク (4)

  • 中上健次と宮本常一 - 記憶の彼方へ

    中上健次の部落認識と「路地」観について調べていて、猿回し師の村崎修二が宮常一から聞かされたという中上健次の逸話を思い出した。 村崎にとって宮が話した中上健次のことも忘れがたいものだった。芥川賞をとるだいぶ以前、中上が部落問題について宮に教えを乞いにきたことがあった。宮は自分の知っている限りのことを親切に教えてやったが、後年、部落をテーマにした中上の作品を読んで、村崎に言った。 「中上は部落ちうもんをわかっておらんなあ。中上の部落認識は暗くて浅いのや」 それは裏を返せば、自分の部落認識は深くて明るいという宮の自負の言葉でもあった。 宮は村崎に向かって、よくこういった。 「一番うしろを歩け、地獄を歩け」 佐野眞一『旅する巨人 宮常一と渋沢敬三』(asin:4163523103)343頁 (文学的)想像力の限界ということに思いを巡らしていた。 参照: 村崎修二 猿まわし 周防猿まわ

    中上健次と宮本常一 - 記憶の彼方へ
  • 「ネパール周遊紀行」 田村善次郎さん : 著者来店 : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    険しい谷のわずかな土地に家を作り、信仰と土俗的な慣習に彩られて生きる人々。貧しいが顔は明るく、人なつっこい。最初の訪問で「ネパールにすっかり参っちゃった」という言葉も、このの写真の数々を見れば共感がわく。 一九六七年から何度も奥地の村に住み込み、儀礼や生活習慣などを調査した。幼かった子供たちを連れ、一家四人で行ったこともある。 戦後のネパール紀行と言えば、五〇年代に訪れた川喜田二郎氏の著書『ネパール王国探検記』『鳥葬の国』が有名だが、「多民族国家だから調査してもキリがないところがある」と語る通り、地域が違えば見聞も様変わりする。カースト制度のため、段々畑を使って婚礼の宴席を区別し、一斉に事をする光景。丸木舟を操り、漁業や砂金採りで暮らしてきた川の民――。近代化の影響も描かれ、昔のままと見える秘境も、時代と無縁でないと知れる。 中国雲南省の調査、日の民俗研究など業績は幅広く、昨年は千枚

    schrift
    schrift 2008/07/28
     「その先生とは、著名な民俗学者の宮本常一。出会いは昭和三十年代初め、大学生の時だった。山村調査で農家を回り、宿に帰ると先生は戻っていない。これではならじと、翌日は遅くまで粘るがやはり同じ。同行の折に
  • 柳田国男の会 - はかもと(無縁彷徨)は引っ越しました

    schrift
    schrift 2008/07/28
     「宮本常一について田村善次郎さんに質問ができただけでも、充分お釣りが来る会合でした。」
  • 南方熊楠顕彰館/南方熊楠邸/南方熊楠顕彰会/和歌山県田辺市/南方マンダラ/博物学・民俗学

    南方熊楠(1867.5.18~1941.12.29)は、博物学、民俗学の分野における近代日の先駆者的存在であり、同時に植物学、特に「隠花植物」と呼ばれていた菌類・変形菌類・地衣類・蘚苔類・藻類の日における初期の代表的な研究者です。 熊楠は和歌山城下に生まれ、大学予備門(現東京大学)退学後、1887年から1900年にかけて米英に遊学しました。帰国後の1904年から田辺に定住し、人生の半分、37年間を田辺で過ごしています。最晩年の25年間を過ごし、研究の場とした邸宅は登録有形文化財として今も田辺市に残っています。 南方熊楠顕彰館は、南方熊楠邸の隣に建設され、熊楠が遺した蔵書・資料等を恒久的に保存するとともに広く公開し、熊楠に関する研究を推進、情報発信しています。 ※熊楠に関する詳細はこちら(世界を駆けた博物学者 南方熊楠)をご覧ください。 イベントインフォメーション 「紀伊山地の霊場と参詣

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