ブックマーク / tkido.blog43.fc2.com (8)

  • ガイア教の天使クジラ33 神は細部に宿り給う

    前回でリリー博士に関しては最大の山場を越えたが、まだいくつか興味深い部分が残っているので『イルカと話す日』から抜き書き風に進めよう。 第一章 イルカに関する新学説の展開 イルカに関する学説を最初に記録したのはアリストテレスである。その著作『動物誌』の中で、アリストテレスはイルカに関して鋭い観察を数多く書き記しており、イルカが胎生であること、授乳すること、呼吸をすること、水中で音をやりとりしてコミュニケーションを交わすことなどを述べている。 これは当。さすがは万学の祖と言おうか、一般の学者たちがアリストテレスの観察に追いつくには、その後1800年ぐらいかかっている。第17回で少し言ったが、知識が時間を追うごとにどんどん進歩するという常識は、近代以前に関してはあまり通用ない。 アリストテレスはさらに「少年たちとイルカとはおたがいに愛情を抱いている」とまで述べており、背中に少年を乗せて

  • ガイア教の天使クジラ32 神は細部に宿り給う

    歴史上存在した生物の由来に関する理論は、創造論と進化論の2つにスパッと綺麗に分けられるわけではない。もちろんその2つは最も重要な区別には間違いないが、『種の起原』が出版されたと同時に、スイッチが切り替わるように前者が後者に置き換えられたかのような印象を抱いているなら誤りだ。 それはあくまで第28回で少し触れたような、我々が歴史を理解しやすくするために必要な簡便法に過ぎない。実際には、生物学が聖書を捨て去ってから現代の進化論にたどり着くまでには様々な紆余曲折があった。その中で今回の話は、進化論の歴史に常につきまとってきた、今日でも完全に消え去ってはいない根深い一つの誤りに関係がある。 なんだか大げさな話になってきたように聞こえるだろうが、そんなに身構えることはない。実はそのことに関する話はすでに大部分終わっているからだ。 その間違いとは、第2回からずっと注目してきた2番目の存在の大いな

  • ガイア教の天使クジラ31 神は細部に宿り給う

    ではまた『イルカと話す日』の続きから始めよう。次の部分はちょうど第29回の引用部分の直後に続くものである。ガイア教徒の鯨類に関する中心信条とでも言うべきものなので、憶えておくと今後様々な機会に役に立ってくれるだろう。機会があれば後で実例をお目にかけるが、驚くべきことに――そろそろ驚かなくなってきていてもらえると嬉しいのだが――今日時点ですら、これをほぼそのまま信じている人は大勢いる。 このような考察を推し進めていけば、イルカとクジラについての新しい学説が生まれる。 クジラ類の脳の大きさは大小さまざまだが、最も小型の脳を持つクジラでも類人猿と同程度の思考力を持っている。 人間と同じ大きさの脳を持つクジラ類(ハンドウイルカなど)は、人間と同じ思考力を持ち、人間と同じ程度に過去と未来に思考をめぐらせて現状を判断することができる。 人間よりも大きな脳を持つクジラ類(シャチ、マッコウクジラな

  • ガイア教の天使クジラ 目次 神は細部に宿り給う

    木戸孝紀 ゲーム・Web・情報通信・プログラミング・政治・経済・社会・科学・哲学・ひぐロワ・ひぐ狼・UIE Japanその他諸々なんでも思いつくままに書いていきます。

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    schtark
    schtark 2008/03/09
    シャチかわいそうです
  • ガイア教の天使クジラ9 神は細部に宿り給う

    前回までのように、反捕鯨運動を真の意味で宗教として捉えなければならないことを一度強調した上で、宗教としてのガイア教についてもうちょっと慣れ親しんで理解を深めてもらおう。 これから主に3人の文章を紹介するが、そのうち二人までは白人でもキリスト教徒でもない。日人である。後でもっと詳しく言うがガイア教を単なる人種差別とかキリスト教原理主義と考えるのは完全に間違っている。まだそんな偏見を抱いているならできるだけ早く頭から追い出してもらいたい。 まず私の蒐集物の中から一番強烈な一冊を紹介しよう。最初に断っておくが、私はもちろん、これが最も極端なバカげた一例に過ぎないことを承知している。これから先このの記述を引き合いに出して、反捕鯨運動一般について何か言うことはしないつもりである。それは批判の対象からは卑怯であると反発を招くだけの(そして自分は疲れるだけの)無意味なサンドバッグ叩きである。

    schtark
    schtark 2008/02/09
    ムーとか水伝とか中2病とか
  • ガイア教の天使クジラ17 神は細部に宿り給う

    第一章 序論 奇妙な世界 中世からルネサンス期までのキリスト教は驚くほど広範囲に行き渡っており、長い伝統を持つものだった。R・W・サザーンの言葉を借りれば、中世の教会は「世界が知り得る限り最も複雑で、完璧なまでに統合された宗教的思想と儀式の組織体系」を支配していた。この組織体系は十一世紀以降に異端が人気を集めたことや、一五〇〇年代にカトリックとプロテスタントが激しく対立したりしたことで途絶えた、だが、あまねく知られているように、その中核の考え方は、十八世紀初頭に科学的合理主義が見場するまで、そのまま残ったのである。西欧のキリスト教の概念において、中世には独特で大きな特徴がふたつある。ひとつは日々の事柄の裏付けを得るために、権威ある「尊ぶべき書物」を進んで信じたことである。実験によって仮説を試すという科学的手段は、一六〇〇年代になって初めて一般的になった。それまでは数多くの問題が――たいて

    schtark
    schtark 2008/02/09
    ミノタウロスの皿は捕鯨騒動の原著として必読
  • ガイア教の天使クジラ 神は細部に宿り給う

    前回に続き『イルカと話す日』を読み進めよう。今回はいよいよ我々がリリー博士から学ばなければならないことの核心に迫っていく。 ここで現在、人間が論争しているクジラとイルカに関する二通りの考え方を比べてみたい。 最初の考え方は十九世紀の生物学から生まれたものだが、これは脳の構造と脳のはたらきについて多くの発見がなされる前の考え方である。脳の重さや体重が測定され、体長が測られ、クジラ類(そして陸生の哺乳類)の脳の重さや体重、体長からさまざまな計算が行なわれる。(中略)特定の動物においては脳のサイズが大きくなるにつれ、単純に比例して体のサイズも大きくなることが明らかになった。 しかし、このプロット作業には、妥当性の証明されていない単純な仮定が紛れ込んでいる。つまり大きな体は大きな脳を必要とするという仮定である。したがって、脳のサイズがそのままその生物の知性や思考力の大きさをあらわすわけではな

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