昨日は風邪気味で、熱こそ出てないもののずっと調子が悪く、今日は無理かもしれないと思いつつ、ビタミンCをボリボリ食べてから床に就いた。朝起きたら思いの他よくなっていた。起きたのが少し遅かったので間に合わないかもとも思ったが、出かけることにする。9時ちょっと前に長居公園に到着。既に周囲はバリケードで囲まれていて、警備員が取り囲んでいる。人だかりもできている。以後、12時頃、テント村が完全撤去されるまでの一部始終をずっと見ていた。事の経緯などは「釜パトブログ」などを見てほしい。 【追記】 また、今回の行政代執行にあたり、野宿者と支援者たちが取った行動、その意味などについては、Arisanのノートを読んで欲しい。付け加えるべきことはほとんどない。 野宿者はわがままだ、という声もある。物を知らない人は簡単にこういうことを言う。その人が怠慢だから、ということもあるのだろうが、同時に、行政が不誠実な(ほ
ブロゴスフィアでは、権力の横暴が非難され、撤去の根拠となっている地域住民のクレームの正当性も疑問視されてやがる。アホか。大阪市に住んでる人間としていわせてもらうが、近所の公園にホームレスのテントなんてない方がいいに決まってるだろ。でもそんな意見は政治的に正しくないことはわかってるから、俺は匿名で書くだけだ。 行政の支援策が万全ではないことは認めよう。自立支援のための方策をもっと効果的にするというのだったら、カネですむなら応分の負担くらい余計に支払ってやる。正直むかつくけどな(当たり前だ)。その代わり、大阪の公共施設にあるホームレスの居住設備の全面撤去、別の地域からのホームレスのこれ以上の流入の禁止、この2つが条件だ。なんで俺がホームレスと共生なんかしなくちゃならんのだ。 べつに俺の意見が声なき大阪市民を代弁してるなんてことは思わないが、よそのバカが地域住民はホームレスの存在を許容しているな
9月9日に開幕したトロント映画祭のことは、日本語Webを見てもあちこちで言及されているのに、どうしてこれが日本に伝わっていないのだろうかと不思議に思う話題がある。 『Casuistry: The Art of Killing a Cat』と題されたドキュメンタリのことである。この題名を訳すなら「詭弁: ネコ殺しというアート」とでもなるだろう。 トロント映画祭の参加作品と上映日程を掲示しているBell - The Toronto International Film Festivalサイトには、このドキュメンタリのデータが以下のように示されている。 FILM TITLE: Casuistry: The Art of Killing a Cat Programme: Real to Reel Director: Zev Asher Country: Canada Year: 2004 Lang
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