韓国のモンスター映画「グエムル」を堪能。 去年のうちにスクリーンで見ておけばよかった。あまりにも一方的で、アンフェアで、強すぎる主張に少しばかり辟易させられるものの、小橋の豪腕ラリアットみたいにねじ伏せる強烈なパワーと新鮮な演出と、「殺人の追憶」でも見せたポン・ジュノ監督らしい美しい映像にうっとりしてしまった。 米軍がうっかり生物兵器をソウルの川に流してしまったために、のどかな川べりで大殺戮大会。「政府もアメ公も信用ならねえ。ふざけるな」と売店を営む下流一家が一致団結して怪物退治という話で、韓国ではウルトラヒットを飛ばした大作である。この間まではまっていたゲーム「デッドライジング」に続き、またもや「米軍うっかり大混乱もの」である。たしかに米軍はいつもうっかりしている。 実際02年に米軍が200リットルものホルムアルデヒドを漢江に流してしまったマクファーランド事件などもあって、本国ではアメリ
閑話休題。 忙しいので雑記。TBSの「ブロードキャスター」じゃないが最近のキーワードは「何をいまさら」だ。 テレビの捏造や政治家の問題発言で、毎日お祭りのようでおもしろいなあと思ってはいるが、「裏切られた。信じられない」という、かまととな態度、イノセンスぶる発言には問題発言や捏造よりもむかむかさせられる。ニュースでよくやる「町の反応」とか「視聴者は」「市民は」「消費者は」というインタビューは本当にやめてほしい。「いや、別になんとも思いません」とか「問題発言とか捏造大好きです」という町の声(というか私の声)が放映されることはないし、「あたし達、機械なんだって! クール! 銀河鉄道999みたいね! テツロー!」という声だってあるだろうに反映されることはない。阪神が優勝すれば、大阪の市井の人々は「やあ、うれしいわあ」という声をあげ、政治家や企業がヘマや不正をやれば「許せない」という反応。パブロフ
おいおいたまにしか更新しないのにまた同じネタかよとクソが死ねやと思っている方も多いかと存じますが、プロボウラーズカードの2007年バージョンが発表されましたのでご報告させていただきます。昨年末に2006年のカードが話題になったことを知ってか知らずか前作以上にハジケてます(←褒めてません)。http://www.round1.co.jp/probowlerscard/2007/2007top.html 今年もこんなに美しいカードがいっぱい!!!!!これはヌケる(腰が)!!! 波動拳でピンを倒すのは反則ですよ!たぶん! いけない!ウララ先生つうかこのAV女優みたいな名前は本名なんだろうか。 なにもそんな無理矢理ピン持たなくてもいいのに。 よくわからんけどすげえ。なんだこの白鳥。 2007年にあえてHG。一周して新鮮。 「ナニワの商人はガメツイ?商人がガメツイのは当たり前や!」 右手、怪我してる
2日前から怒りが鎮まらない。それどころか、事実を調べていくほどに、やりきれなさと憤りが高まり、頭に血が上ってくる。「怒り心頭に発する」とは、こういうことをいうのかと思い知った。一昨日、「イラン人一家を退去処分 法相の在留許可下りず」(12/8、朝日)という記事を読んで、まず引っかかったのは、「最高裁で家族全員の国外退去処分が確定した群馬県高崎市のイラン人、アミネ・カリルさん(43)一家」が「在留特別許可(在特)」を求める理由として、「長女と次女は日本語しか話せず、2歳で来日して現在18歳の長女マリアムさんは、大学進学も決まったことを理由に挙げた」という事情が述べられている箇所だった。日本で生まれ/育ち、「日本語しか話せ」ない子供たちが、なぜ国外への退去を強制されなければならないのか。 後で思い出したのだが、今年の夏(7/15)、NHKの『ETV特集』で、「難民をどう受け入れるのか」という番
ああ、昔はよかったなあ! まったく、今はなってないよ。とになくなってない。 と思っている。さんざん、そう語る人を馬鹿にしてきたのだが。いや、何がって言えばおっぱいの話ですよ。もう消費尽くした感ばりばりのOZMA問題だが、女の裸が出てきただけで抗議がんがん。しかもそれはボディースーツなのだから、どこまでも果てしなくしょっぱい話である。 しかしまあ確かに紅白は、一応歴史と品格のあるプログラム(アメリカのスーパーボウルに匹敵する……というか、あっちはジャネットの黒乳首がポロっといって大騒動になったものだが)という幻想が世間の間にはあるので、ある程度の騒動になるのは必然だとは思う。くだらないけどね。 で、腹が立つのは民放である。また例によって「いかがなものか」調でNHK叩きをしているが、「何言ってやがる。こねやろ」って感じだ。ついこの間まで、あんたらはリアルおっぱいをがんがん人様のお茶の間に届けて
http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20061215/p1僕はこのエントリを見ていていろいろと思い出した。僕は一時期魯迅論を書こうとしていた。今でも魯迅論は書きたいな、と思いつつもなかなかできずに困っている。魯迅の『阿Q正伝』にはさまざまな書き込みが行われていた。そして、たぶん重要なのは、Arisan氏が引用している「ノラは家出してからどうなったか」という文章である。しかし、ものの道理から考えてみますれば、ノラは実際にふたつの道しかなかった。堕落するか、そうでなければ家に帰る、それより仕方がなかったかもしれないのであります。と申しますのは、かりに一羽の小鳥がいる。籠のなかでは、むろん、不自由である。だが、ひとたび籠から外へ出ると、そこにはまだ鷹やら、猫やら、そのほか、さまざまなものがおりまして、籠で育って羽の力も抜けているし、飛ぶことも忘れているとすれば、何とも行くべ
先週の土曜日のことです。夜九時半ごろ、駒場東大前駅のホームでいかにもホームレスらしき風体をした老婆に金を貸しました。まずはそのいきさつから説明します。 僕がホームに立っていると、いきなりベンチに座っている老婆から「あなた東大生?」と聞かれました。「うん」と答えると、「私に千円貸してちょうだい」と云ってきました。どうせ返せないだろう、と思って「どうやって返す気なんや」とたずねると、私の身分証の番号と住所を控えてくれ、と云ってきます。家があるのかと聞くと、「ある」と老婆は答えました。どこにあるのか、と聞くと「USAエアフォース」と英語で答えます。老婆の言葉には、不自然に英語が混じっていました。 老婆の外見はピンクのフリースを着て、半ズボンにサンダルを履いていました。大きなビニール袋を三つ持ち、そこには荷物がたくさん入っていました。髪の毛はずいぶん薄くなっていて、ボサボサです。顔は日焼けで茶色く
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く