フリーレン読んでるけどエルフって人類なの?
僕が総合演出と共同脚本を務めました「舞妓さんちのまかないさん」は2023年1月12日に配信がスタートしました。ご覧頂いた皆様、ありがとうございます。ドラマ制作に向けて本格的に取材を開始したのが2020年の夏でしたからもう2年半が経ちました。簡単ではありますが、その制作のプロセスで考えたことを少しまとめてみたいと思います。 ドラマ化を川村元気さんから依頼されるまでの僕の花街についての知識は、微々たるものでした。映画でいえば溝口健二の『祇園の姉妹』『祇園囃子』成瀬巳喜男の『流れる』程度。書籍も何冊か読んで準備はしていましたが、初めて祇園に足を踏み入れた時の僕のスタンスはドラマの4話に登場するすみれの父と大差の無い、否定的、懐疑的なものでした。ただ、取材を始めてわかったのは、この「伝統」を歌舞伎のような文化として次世代に継承していくために変わろうとしている人たちが花街の内外にいるということでした
履歴書に趣味欄とか特技欄とかあるじゃん。 あれを軽い気持ちで書くのは絶対にやめた方がいいぞ。 何なら資格欄とか職歴とかより全然大事だぞ。 俺は登山が好きで、一人で気ままに山を攻めるのが趣味なんだ。 当時就活中だった俺は、履歴書の趣味欄にも当然「登山」って書いて、面接もそのネタでうまく乗り切った。 まあそこまでは良かったんだよ。 晴れてそこに入社したら、それを覚えてた上司が俺を会社の登山部に誘ってきた。 「キミ、履歴書に登山が趣味って書いててくれたよね?人事のヤツが覚えててくれててさ。 ウチには登山部があるから、キミも是非入ってくれよ。経験者がいなくて困ってるんだ。」 俺は断れなかったよ。 俺は自分一人で登るのが好きで、会社の奴らと仲良し山登りがしたいわけじゃない、なんて新入社員が上司に言えるわけないじゃん。 結局登山部に入ることになった。迂闊に履歴書に「趣味:登山」って書いてしまったせいで
自衛隊に入ってから、漫画やアニメなどの創作物における軍人の階級によく注目するようになった。 少年漫画なんかでよく大佐とか少佐とか出てくるけど、実際の自衛隊の1佐とか本当にごく稀にしかいない。 そしてほとんどの1佐がおじさん(おじいさんと言っても過言ではない)である。ハガレンのロイ・マスタング大佐は29歳らしいが、あんなイケメンの青年1佐とかはまずもって自衛隊には存在しない。まぁフィクションは嘘が無きゃ面白くないし、ファンタジー要素強めな漫画とリアルを比べても仕方ないけども。 もしもパッと見で青年に見える1佐なんて人がいたとしたら、防衛大学校を主席に近い成績で卒業してその後の数度にわたる教育課程も全てトップでクリアした超人だろう。残念ながらそんな神様のような人にお目にかかったことは未だない。もしかしたら日本のどこかに数人かいるかもしれない。 リアルとフィクションのギリギリの境目で階級に説得力
「眼を瞑(つむ)って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ」 辛いときお袋に相談すると、いつもそう言われて育った。成績が悪かったとき、友達から嫌われたとき、ささくれだった心を治してくれた。いまでこそ、成長して大人になって、それが「集中力のゾーンに入る」とか「怒りの制御(アンガーコントロール)」といったガクモン的な言葉になって理解できるようになった。まあ、大人になったから良かったかと言われると微妙なところではある。子供のころは、単にヨガ好きのお袋がことあることに呪文のように言っていることを、素直に繰り返しているだけだった。でも、お袋が話を聞いてくれた、それだけで良かったのを思い出す。 そういう、ちょっとしたアイデアを伝えてくれたあの優しいお袋は、何も言わず、少し硬いベッドでわずかにほほ笑んだように眠っていた。 数年前、帰国したばかりの私の電話が鳴って、駆け付けたときには、お袋は別人のようになって
(第10話 歩きスマホにご用心|もっとマンガで分かる!Fate/Grand Order) 前回転生トラックについてまとめたが、調べているうちにフィクションでのトラックの描かれ方が気になった。というのもweb小説に限らず、フィクションの世界ではトラック事故が非常に多いからだ。 例えば今期のアニメだと『亜人』と『僕だけがいない街』は、トラックの事故がきっかけで物語が動いていく。他にもなかったかと調べたら結構あったので、全てを網羅するのは不可能だが、最近のものを中心に印象的だった事故を幾つかに分類していく。 web小説以外のトラック事故 能力発動系 悲劇系 キャラ退場系 ギャグ・コメディ系 いつから衝突事故が描かれ始めたのか なぜ漫画やアニメのキャラクターはトラックに轢かれるのか まとめ web小説以外のトラック事故 能力発動系 キャラクターが特殊能力を発揮、顕現、あるいは能力説明する際にトラッ
アイマスやラブライブがアイドル業界の影をあまりにも描かなさすぎたせいでSMAPがリアルでその役回りをやってしまうことになったじゃないか これまで考えていたのとは全く別の意味で、やっぱり9.18は転換点だったな あそこで765プロとプロデューサーとジュピターと黒井社長のセックスありドラッグありのドロドロの抗争が公式に始まっていたらラブライブもいまみたいな方向には向かわなかっただろうし、リアルアイドルは光であり続けることができたはずだ 下半身がだらしないのも薬でおかしくなるのも死人が出るのも札束で頬を叩いて土下座させるのも、いつもリアルアイドルの仕事だ こういう危険なのはフィクションというサンドボックス内だけでやってくれないと現実世界の関係者にはいい迷惑だ ということは結果的にフィクションはキラキラかがやく夢のようなステージという、現実に目が曇った我々に見えていない世界を見せてくれていることに
少年漫画に見られる女体化すれば馬鹿になる表現と女性キャラの性的消費 - Togetterまとめ 娯楽なんだから消費して当たり前だろ。自分らのことだと思うから敏感なんだろうけど他のはあんま聞かんな。暴力行為の消費!身体障害の消費!紙資源の消費! 2014/12/31 06:44 いい悪いの話をすると、法的な面と個々人の倫理観のものさしがある(他にもあるが)。 上の話が前者をもくろんだものではないことは承知だが、「編集が止めるべきだった」みたいな意見を聞くとやはり抑圧というか自粛して当然の雰囲気作りがなされてていると感じる。白眼視する側も単に「嫌い」を超えた批判を行っている印象だ。表現者側はセンシティブにならざるをえない。 フィクションの中で「このような犯罪やPCに反する行為、見方が現実において許容されますよ~」と受け止めることのできる描かれ方がされていると物議をかもしやすい(その受け止めがど
その真田十勇士の中で、最も有名なのは猿飛佐助だろう。現代では小さく素早く猿っぽい、それでいて最強の忍者といったイメージが流通している。しかし人気があるにもかかわらず「猿飛佐助」というキャラクターを誰が成立させたのかということすら、詳しいことは分かっていない。 これは分からないのが当然で、現代知られている猿飛佐助像が確立するまでの過程に限っても、後述するように講談速記本や初期の大衆小説、千里眼や怪力嬢まで登場するくらいに交錯している。明治大正時代というのは近世と近代がドロドロと混ざった時代で、当然ながら娯楽物語の世界もやはり混沌(こんとん)としている。そんな文化を一人の人間が全て把握するのは、まず不可能じゃないかと私は思っている。 現代の創作物の中で猿飛佐助は空を飛ぶが、明治の猿飛佐助は空を飛ぶことはない。前編でも書いたように、明治人は合理性を求めた代償に、フィクションを楽しむ技術を失ってし
※この漫画はフィクションです。 ※人命とかそういうのにかかわらない、軽微な何かだと思ってください。 ヒヤリ・ハット - Wikipedia 一つの重大事故の陰には、小さい事故が29、そして事故未満の危ない!と思うような事例が300隠れているといいます。 引用元:ハインリッヒの法則 - Wikipedia 小さいなにかが起こった時にそれに対して有効な手段で対策を練ることが、大きな事故(事象)を防ぐことになります。 クリティカルチェーン―なぜ、プロジェクトは予定どおりに進まないのか? 作者: エリヤフゴールドラット,三本木亮出版社/メーカー: ダイヤモンド社発売日: 2003/10/31メディア: 単行本(ソフトカバー)購入: 12人 クリック: 142回この商品を含むブログ (117件) を見る 合わせてこちらもどうぞ 子猫を殺す仕事 - orangestarの雑記 大人になるのが怖い、また
否。それが意味するのは容姿至上主義に対する敗北。 「俺物語」に対する違和感 http://anond.hatelabo.jp/20150411133326 美男美女達の上から目線を感じる。 「貴方は心美しいから、特別に名誉白人ならぬ名誉イケメンとして恋愛クラスタに迎え入れてあげますよ」みたいな。 「違うって、主人公は何でも出来るし正確もめっちゃ良い奴なんだって」って? 容姿以外は超人的な能力の持ち主にしないと、ブサイクはフィクション上ですら美少女と付き合う説得力を持たせられないのか。 益々絶望が加速されるだけだ。 じゃあどうすれば? 元増田はヒロインを不細工にと提案しているが 元増田の想像通り「お似合いの不細工カップルwww」とか言って馬鹿にされるのがオチだろう。 トラバやブコメには設定やストーリーの詳細を語ったものもあるが、そうではなく物語の大枠としての構造に 元増田は違和感を感じたので
午後三時あたりになると見かける参拝者層。 中年男と、派手な女という組み合わせ。この組み合わせだけはこの時間帯に来る事が多い。 参拝者自体が少なくなる時間帯だけに余計に目立つのだが、当初はなぜこの組み合わせが多いのか理解できなかった。 不倫にしては人目を忍ぶ風でもなければ雰囲気に纏う後ろめたさもなく、あっけらかんとした軽さとノリはまるで若者のよう。厚い化粧。高いコート。 しばらく相当な人数を観察し続けた結果、ようやくこいつらは「同伴出勤前」なのだという事に気付いた。 で。こういう水商売風の女と中年男という組み合わせはまず神社来てもおみくじ引いて年甲斐もなくはしゃいだり境内フラついて帰るだけでこの時間帯に祈願なんて頼みに来ないのだが、珍しく祈願申し込みに来る事があった。 おや珍しい、どういう風の吹き回しだ、出勤時間は大丈夫なのかね、と思いつつ受付。 中年男「御祈願をお願いしたいのですが」 神主
百田尚樹氏の『永遠の0』が映画に引き続き、テレビドラマ化されるそうな。 原作については、立ち読みでも、特攻への賛美や、戦後社会への嫌悪が目立っていたのと、作者の言動に好感が持てずに身銭を切っての購入をためらっていたのだが、この度、本を入手して読むことができた。 読んでみたのだが、この本、戦争観がどう、というより、太平洋戦争の歴史や、軍事について誤りがいくつもあるのだ。 『永遠の0』は孫たちが旧日本海軍のパイロットであった祖父の宮部久蔵のことを彼の祖父から聞くというかたちで物語が進行するのだが、その語り部たちは宮部のことだけではなく、太平洋戦争の歴史まで語るのだ。その語り部たちの語る太平洋戦争についての説明が、なんともおかしなものが混じっているのだ。 『永遠の0』は、フィクションであり、史実であるかは問題でない、という見解もあるだろう。例えば、この意見のように 「暴れん坊将軍をみて「徳川吉宗
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