過去記事で、奈良県桜井市にある大和国一ノ宮・大神神社の、ご神体である三輪山ご登拝の様子と、展望台の桜のことを紹介させていただきました☟ www.norikuma2.com 全国的に見れば、奈良県の神社で一番有名なのは、おそらく奈良公園の近くの「春日大社」だと思われるので、大和国一ノ宮が大神神社であることに、驚かれる方もおられるのかもしれません。 ですが、大神神社の北には、邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかと言われている「箸墓古墳(大市墓)」があり、そこからさらに北側には、弥生時代末期から古墳時代前期にかけて繁栄したと思われる集落跡である「纏向(まきむく)遺跡」が存在します。 また、大神神社の南側は、古くは「磐余(いわれ)の地」と呼ばれ、大和朝廷の中心地でした。 歴史の古さでは、春日大社は遠く及びません。 そこで今回は、大神神社の南東側のエリア、遠い古代に「海拓榴市(つばいち)」と呼ばれ、交通の