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戦艦武蔵 沈没の検索結果1 - 15 件 / 15件

  • 旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」発見 フィリピン沖の海底で | NHKニュース

    太平洋戦争中に撃沈された旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」の船体がフィリピン沖の海底で発見されました。アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像には、船体が鮮明に写っています。 「摩耶」は、太平洋戦争末期の1944年10月、フィリピンへと迫るアメリカ軍を迎え撃つためレイテ島に向かいましたが、アメリカ海軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没し、乗員336人が死亡しました。 アメリカの調査チームの無人探査機が撮影した映像では、艦橋の構造物や主砲などの形が確認できるほか、機器に刻まれた文字もはっきりと写っています。 今回「摩耶」を発見したのは、大手IT企業マイクロソフトの共同創業者が立ち上げた調査チームで、4年前の2015年にフィリピン沖の海底で戦艦「武蔵」を見つけたことでも知られています。 旧日本海軍の歴史に詳しい広島県呉市にある大和ミュージアムの戸高一成館長は「連合艦隊の壊滅を決定づけた一連の戦いで

      旧日本海軍の重巡洋艦「摩耶」発見 フィリピン沖の海底で | NHKニュース
    • 空母「加賀」とみられる船体発見 ミッドウェー海戦で沈没 | NHKニュース

      太平洋戦争の転換点とも言われるミッドウェー海戦で沈んだ、旧日本海軍の航空母艦「加賀」とみられる船体が、北太平洋の海底で見つかり、激しい戦闘の実相を知るための貴重な発見として注目されます。 空母「加賀」とみられる船体が見つかったのは、昭和17年にミッドウェー海戦があった、北太平洋の周辺の海域の深さおよそ5400メートルの海底です。 2015年に戦艦「武蔵」を発見したことで知られるアメリカの財団の調査チームが、18日までに確認しました。 潜水艇が撮影した映像では、「加賀」に装備されていた20センチ砲や、いかりとつながっていたとみられる鎖などがとらえられています。 「加賀」は昭和17年6月のミッドウェー海戦で、アメリカ軍の攻撃を受けて沈没しました。ミッドウェー海戦は、旧日本海軍が空母4隻を失う壊滅的な打撃を受けて航空戦力の優位を失い、その後の戦況に影響を与えたことから、太平洋戦争の転換点の1つに

        空母「加賀」とみられる船体発見 ミッドウェー海戦で沈没 | NHKニュース
      • 沈没の空母・赤城も発見 水深5490M、米調査チーム:朝日新聞デジタル

        太平洋戦争の際のミッドウェー海戦で沈没した空母「赤城」を発見したと、米国の財団の調査チームが20日、発表した。先週17日には、太平洋の水深5400メートルの海底で、同じく同海戦で沈没した「加賀」を見つけている。歴史的な海戦で撃沈された日本の空母が、相次いで発見されている。 調査チームは、海底で見つけた残骸が「赤城だと確認された」とツイートした。米AP通信によると、沈没船は5490メートルの海底で見つかり、形状などから「赤城」とわかったという。 発見したのは、昨年、65歳で死去した米マイクロソフトの共同創業者、ポール・アレン氏が設立した財団。2015年には戦艦武蔵を発見するなど太平洋戦争中の沈没船の調査活動を続けている。 「赤城」は1942年6月のミッドウェー海戦で、他の主力空母だった「加賀」「蒼龍(そうりゅう)」「飛龍(ひりゅう)」とともに米軍に撃沈された。その後の日本の戦況悪化の転換点に

          沈没の空母・赤城も発見 水深5490M、米調査チーム:朝日新聞デジタル
        • 太平洋戦争ミッドウェー海戦で沈没 空母赤城を発見 米財団発表 | NHKニュース

          太平洋戦争の転換点とも言われるミッドウェー海戦で沈んだ旧日本海軍の航空母艦「赤城」が20日、北太平洋の海底で見つかったとアメリカの財団が発表しました。ミッドウェー海戦で沈没した旧日本軍の空母のうち、船体が確認されたのは「加賀」に次いで2隻目です。 2015年に戦艦「武蔵」を発見したことで知られるアメリカの財団の調査チームが20日、確認したと発表しました。 調査船が搭載したソナーには幅30メートル、全長およそ260メートルの巨大な船体が海底に横たわる映像が映し出されています。 「赤城」は昭和16年12月の真珠湾攻撃に参加しましたが、およそ半年後のミッドウェー海戦でアメリカ軍の攻撃を受けて沈没しました。 ミッドウェー海戦で、旧日本海軍は空母4隻を失う壊滅的な打撃を受けて航空戦力の優位を失い、戦況の転換点となったとされています。 同じ海戦で沈没した日本の空母「加賀」も今月18日に同じチームによっ

            太平洋戦争ミッドウェー海戦で沈没 空母赤城を発見 米財団発表 | NHKニュース
          • 【前編】『火垂るの墓』を冷酷に時代考証してみる

            『火垂るの墓』の矛盾-清太と巡洋艦『摩耶』映画では、こんなシーンがあります。 清太「兄ちゃんな、節子の生まれる前、観艦式見たことあったんや」 節子「かんかんしき?」 清太「せや。お父ちゃん、巡洋艦『摩耶』に乗ってな。連合艦隊勢揃いやで」 ■観艦式(かんかんしき) 観艦式とは、軍事パレードのひとつで、軍艦を並べて壮行する式のことである。 ■『摩耶』(まや) 摩耶は、日本海軍の重巡洋艦。高雄型の3番艦である。川崎造船所(現在の川崎重工業)神戸造船所にて起工。艦名は兵庫県神戸市の摩耶山にちなんで命名された。 レイテ沖海戦で米潜水艦の雷撃により沈没、戦艦武蔵に救助された乗組員が翌日の武蔵の沈没を体験したことで知られている。 考察しながら書くのが面倒くさいのでどちらもWikipediaより抜粋 その後、軍艦マーチをバックに敬礼をした兄妹の父が登場します。ちなみに、原作では「『摩耶』と父の姿を探したが

            • CIWS(近接防御火器システム)ファランクスとSeaRAM 護衛艦いずもペーパークラフト - わかくさモノ造り工房

              MAIN CONTENTS はこちら 現在、市販の書籍の付録 「水に浮く! 1/350ペーパークラフト 最新護衛艦いずも」 これを製作中です wakajibi2.hatenablog.com 何度も言うようですが、今のところ水に浮かせる予定はありません、悪しからず まずはちょいと昔話 近代以降(日本でいうと明治時代以降)一般的に「戦艦」と名が付く軍艦は、その時代における最大火力を持ち、それと同レベルの攻撃を受けても耐えられる重装甲を備え、かつ機動力も必要であるという条件を求められました スペック上は世界最大・最強であった戦艦大和・武蔵 <広告> 全長263m、全幅39m 三連装砲塔3基合計9門の46cm45口径砲主砲を持ち、その最大射程は42,026m、高さは10,000mを超えたとか いわば「エベレストを超える高さを飛翔し、フルマラソンと同程度の距離まで届く」大砲を持っていたのです さら

                CIWS(近接防御火器システム)ファランクスとSeaRAM 護衛艦いずもペーパークラフト - わかくさモノ造り工房
              • 重巡「摩耶」発見 その城郭のように巨大な艦橋に迫る

                故ポール・アレン氏が設立した沈船捜索チーム(関連記事)が、沈んでいる日本海軍軍艦「摩耶」の姿を公開しました。これらは、2019年4月19日にフィリピンにあるパラワン島中部西岸沖の水深1850メートルの海底で発見したときの状況を撮影したものです。 摩耶の同型艦「鳥海」の姿。巨大な艦橋が特徴で多くの日本国民に愛された(画像:Naval History and Heritage Command) 摩耶は、1932年6月30日に就役した日本海軍の重巡洋艦です。太平洋戦争では、アリューシャン列島侵攻作戦、二度にわたるガダルカナル島飛行場砲撃作戦、南太平洋海戦、アッツ島沖海戦、レイテ沖海戦などに参加しました。レイテ沖海戦では進撃途上の1944年10月23日早朝、米潜水艦の雷撃を受けて被雷(4本の魚雷が左舷に命中)。わずか8分後に沈没します。戦死者は艦長を含めて336人。生存者769人は戦艦「武蔵」に収

                  重巡「摩耶」発見 その城郭のように巨大な艦橋に迫る
                • 空母「加賀」を故ポール・アレン氏の調査チームが発見 ミッドウェー海戦で沈没した一航戦(2019年10月18日)|BIGLOBEニュース

                  昨年10月に亡くなったマイクロソフト共同創業者の故ポール・アレン氏の調査チームは18日、太平洋戦争中に沈んだ旧日本海軍の航空母艦「加賀」を発見したことを明らかにした。 調査チームは、「加賀」をアメリカ・北西ハワイ諸島の海洋保護区内で発見。水深約5400メートルの海底で直立した状態だという。「加賀」は沈没の際、魚雷や爆弾、艦載機などが次々と誘爆して大炎上したとされており、公開された動画では、ひどく破損した飛行甲板などを見て取ることができる。 「加賀」は、戦艦から改装された多段式の飛行甲板を持つ航空母艦で1928年に竣工。太平洋戦争では、「赤城」とともに第一航空戦隊として真珠湾攻撃などに参加し、1942年6月5日にミッドウェー海戦で沈没した。艦名は、海上自衛隊のいずも型護衛艦「かが」として引き継がれている。 ポール・アレン氏の調査チームは、これまでにも太平洋戦争で沈んだ艦船を相次いで発見。日本

                    空母「加賀」を故ポール・アレン氏の調査チームが発見 ミッドウェー海戦で沈没した一航戦(2019年10月18日)|BIGLOBEニュース
                  • 常夏通信:番外編 戦艦「大和」沈没から75年 元乗員の人生を戦後も左右した「不沈艦」 | 毎日新聞

                    今日、4月7日は戦艦「大和」が沈んでから75年。乗員3332人のうち、生き残ったのは1割に満たない276人だった。常夏記者こと一年中「8月ジャーナリズム」=戦争報道をしている私は、このうち23人に取材している。そのうちの一人、八杉康夫さんが今年1月、92歳で亡くなった。今回はその八杉さんたちの証言から「大和」を振り返ってみたい。 1945年4月6日。「大和」は沖縄に上陸していた米軍を撃退すべく、軽巡洋艦「矢矧」と、駆逐艦「雪風」「冬月」「涼月」「初霜」「磯風」「霞」「濱風」「朝霜」の8隻、計10隻で山口県の徳山(現周南市)から出撃した。 大日本帝国海軍は開戦時、艦船の保有量で米英に次ぐ世界3位の地位にあった。近代戦の主役である航空母艦を基幹とする機動部隊の実力では、世界一であったとみていい。ところが41年12月8日の開戦以来、3年半足らずで悲惨な状況となった。 たとえば、同日のハワイ・真珠

                      常夏通信:番外編 戦艦「大和」沈没から75年 元乗員の人生を戦後も左右した「不沈艦」 | 毎日新聞
                    • 死者4300人 史上最悪の海難事故の沈没船を発見 フィリピン海域 | NHKニュース

                      フィリピン中部の海域でおよそ30年前、4300人の死者を出して「史上最悪」とも言われている海難事故で、アメリカの調査チームが、事故を起こしたフェリーと小型タンカーとみられる船体を発見したと発表しました。 この事故について、アメリカの大手IT企業マイクロソフトの共同創業者、故ポール・アレン氏の財団の調査チームは19日、事故が起きた付近の海域のおよそ500メートルの深さの海底で、フェリーと小型タンカーとみられる船体を発見したと発表しました。 公開された映像では、2隻ともに船体の形を残した状態で沈没していて、フェリーとみられる船体では手すりのような構造物が壊れている様子を確認できます。 船体を発見した調査チームは太平洋戦争で沈んだ戦艦「武蔵」を発見したことで知られ、責任者は「われわれが太平洋戦争で沈んだ軍艦を探している時、多くの遺族からフェリーも探してほしいと頼まれた。この発見が遺族の心の安らぎ

                        死者4300人 史上最悪の海難事故の沈没船を発見 フィリピン海域 | NHKニュース
                      • 米海底調査チーム、2隻目の空母「赤城」発見

                        【ワシントン=黒瀬悦成】1942年のミッドウェー海戦で北太平洋に沈んだ旧日本海軍の大型空母「加賀」の船体を発見した米調査チームは20日、同海戦で沈んだ別の日本の空母で、南雲忠一中将率いる機動部隊の旗艦だった「赤城」を発見したと発表した。付近の海域では他にも中型空母「蒼龍(そうりゅう)」と「飛龍」が沈没しており、調査チームは探査を進める。 赤城の船体が発見されたのは、米ハワイ州真珠湾の北西約2090キロに位置する水深約5490メートルの海底。米IT大手マイクロソフト共同創業者のポール・アレン氏(故人)が設立した財団のチームが海底調査を進めていた。 調査チームはこれまでに、44年10月にフィリピンのレイテ沖海戦で沈んだ戦艦「武蔵」や、42年11月の第3次ソロモン海戦で沈没した戦艦「比叡」、同年5月の珊瑚海海戦で撃沈された米空母「レキシントン」など30隻以上の船体を発見し、話題を呼んでいる。

                          米海底調査チーム、2隻目の空母「赤城」発見
                        • 米調査チーム ソロモン諸島沖で戦艦「比叡」を発見

                          太平洋戦争で沈没した旧日本海軍の戦艦「比叡」が、南太平洋のソロモン諸島沖で、アメリカの調査チームによって発見されました。 ソロモン諸島沖の深さ約1000メートルの海底です。スクリューや舵(かじ)など、船体の一部が確認できます。戦艦「比叡」は、全長が200メートル以上、約1200人が乗り込み、真珠湾攻撃やミッドウェー海戦にも参加しましたが、1942年11月に沈没しました。発見したのは、アメリカのIT大手「マイクロソフト」の共同創業者、ポール・アレン氏の調査チームで、2015年にはフィリピン沖で戦艦「武蔵」を発見しています。

                            米調査チーム ソロモン諸島沖で戦艦「比叡」を発見
                          • ラバウル将軍・今井均の太平洋戦争

                            **************************************** HOME ミッドウェイ ガダルカナル ニューギニア インパール ビルマ シッタン河 ラバウル タラワ サイパン フィリッピン 硫黄島 沖縄 ラバウル将軍・今井均の太平洋戦争 (『責任 ラバウル将軍今井均』三章 角田房子著) 私には、法律で罰せられない罪がある。戦犯として服役を済ませた後も、ラバウルの軍司令官に“終戦”はなかった。釈放後も、庭先の三畳の小屋に自らを幽閉して戦没者を弔い、困窮の遺族や辛くも生還した部下への行脚が続いた。敗軍の将・今村均の自責の旅路を辿りつつ、戦場の実態を冷徹に叙す、太平洋戦争に逝った兵士たちの鎮魂歌。 今村均・略歴 明治19年、仙台に生れる。 高等学校へ進学の析、父を喪い進路を変更、陸軍士官学校、陸大を経て軍人の道を歩む。 昭和13年陸軍中将となり、昭和17年11月、第八方面軍司令

                            • 架空の日本

                              架空の日本(かくうのにほん、かくうのにっぽん)では、架空の国土の状態・政治体制・社会体制・その他の国情になっている日本について述べる。 これらはフィクションの小説、特に第二次世界大戦後の冷戦初期を題材とした作品に多く登場し、日本列島・樺太・千島列島等、戦前の大日本帝国の領土を実効支配し、日本全体を領有主張する分断国家が多い。史実の朝鮮半島における米ソの対立による分断国家(朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と大韓民国(韓国))の成立と、代理戦争としての朝鮮戦争のイメージが念頭に作られるため、北(東)日本が共産主義、南(西)日本が資本主義を標榜するのが特徴で、朝鮮戦争と同時期に日本においても戦争が行われたとすることが多い。また同様に、ドイツのベルリンを念頭に置いた都市(東京や札幌が多い)の分割統治もしばしば描かれる。 しかしながら、最近ではこうした型にはまらない架空の日本が描かれる作品も多く、政

                              • 船長の最後退船 - Wikipedia

                                客船「タイタニック」沈没時の船長エドワード・スミス 船長の最後退船(せんちょうのさいごたいせん)とは、海事における伝統の一つで、船長が自分の船とその船に乗っている全ての人に対して最終的な責任を持ち、緊急時には船上の人を全て助けてから最後に退船するか、さもなくば死を覚悟するというものである[注釈 1]。船長は船と運命を共にする(The captain goes down with the ship)とも言う。 1912年に沈没した客船「タイタニック」とその船長エドワード・スミスに関連して言及されることが多いが、この伝統は「タイタニック」沈没よりも少なくとも11年前には行われている[1]。船の遭難時、ほとんどの場合において、船長は自分の避難を後回しにして、他の人々を救うことに集中する。その結果、最後まで船に残ることになる船長は、船と共に沈んで死ぬか、最後に救出されることが多い。 歴史[編集]

                                  船長の最後退船 - Wikipedia
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