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森山加代子 曲の検索結果1 - 12 件 / 12件

  • 現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した | “東京”はどのように歌われてきたのか(前編) - 音楽ナタリー

    “東京”はどのように歌われてきたのか (前編) [バックナンバー] 現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した タイトルに“東京”が含まれる曲から見る東京のイメージの変遷 2020年7月1日 19:10 495 43 都知事選の投開票日を直前に控えた東京。日本の首都として政治・経済の中心を担い、多様な文化を発信する一大都市でもあります。 日本の大衆音楽の歴史を紐解くと、過去から現在に至るまで、実に多くの東京について歌う楽曲があることがわかります。“東京”“TOKYO”などをタイトルに冠した曲だけでも確認できた限りで1500曲以上。“銀座”“六本木”“麻布”など東京の中の地名や、タイトルにはなくても歌詞に歌われている曲まで含めるとさらに膨大な数に上ります。 それらの楽曲の中で歌われる“東京”像は千差万別。曲によっては夢のような街であり、別の曲では非情な冷たい街であり、複雑な愛憎入

      現在のJ-POPに至る“ネガな東京”はこのとき誕生した | “東京”はどのように歌われてきたのか(前編) - 音楽ナタリー
    • 日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM

      批評.COM Welcome to Hi-hyou.com  時事批評・音楽批評などを掲載するサイトです。2015年4月18日新装開店。Operated by SHINOHARA Akira 1.「進駐軍ポップ」からロカビリーへ 1956-1959年 第二次世界大戦後における日本のポップ・ミュージックの出発点は「進駐軍ポップ」であった。1945年から1950年代前半にかけて、米軍がもちこんだポップの影響を受け、ブルース、ブギウギ、マンボなどの要素が流行歌のなかに入り込み、ハワイアン、カントリー&ウエスタン(C&W)、ジャズなどがちょっとしたブームになった。こうしたポップのうち、“日本ロック”の生い立ちにもっとも深い関係をもったのはC&Wであった。 50年代半ばのアメリカでは、ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツ「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒット(55年)、翌56年にはプレスリーが登場

        日本ロック通史 (1956 年-1990 年代)WEB版 | 批評.COM
      • 第5回 「流行歌」の誕生――浪曲からロカビリーまで | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

        録音と実演の分裂――「はやり唄」から「はやらせ唄」へ 今回は、昭和初期における外資系レコード産業の日本市場参入と、「声はすれども姿は見えず」を特徴とする「流行歌」の成立について概観したうえで、そこから逸脱する雑多な実演に由来する要素が、戦後、部分的に取り入れられてゆく過程についてみてゆく。そのうえで、1962年の北島三郎のデビューを、そうした巷の芸態の流入と、レコード会社専属制度の動揺という文脈のなかに位置づけてみたい。つまり、サブちゃんの個人史ではなく、文化史および産業史に注目して、北島三郎登場の背景とその意義を探る、ということになる。 北島三郎の代表曲のレコードジャケット(著者私物、撮影・新潮社) 大正時代、関東大震災前後には、異種混淆的な実演に基づく音と声の表現の文化が形成されていた。浪花節、安来節(やすきぶし)、女剣劇、書生節、映画説明と和洋合奏、小唄映画、といった、在来の芸態に近

          第5回 「流行歌」の誕生――浪曲からロカビリーまで | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
        • 第7回 分裂――機械屋vs.レコード屋 | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社

          1963年、日本クラウンへ移籍 前回から間が空いてしまった。前回は、デビューから1963年の紅白初出場までを駆け足で辿ってきた。勢いがつきすぎて、きわめて重要なトピックに言及していなかったことに後から気づいた。 1963年の紅白初出場時には、北島三郎はすでに日本コロムビアの専属歌手から、新たに設立されたばかりの新会社・日本クラウンに移籍していたのだ。その経緯は後に詳述するが、レコード事業部長として常務取締役だった社歴40年の伊藤正憲(1900-1992)が、元大蔵事務次官の著名な財界人で、株主の意向でコロムビアに送り込まれた会長・長沼弘毅(1906-1977)と対立し、「勇退」させられたことにはじまる。伊藤を慕う有力な社員ディレクターたちは、彼の辞職を不服とし、彼らが担当する専属作家・歌手を引き連れて新会社・日本クラウンを設立した。そのなかに、五月みどりや守屋浩と並んで北島も含まれていた、

            第7回 分裂――機械屋vs.レコード屋 | 北島三郎論 艶歌を生きた男 | 輪島裕介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
          • 「白い蝶のサンバ」 - きひみの音楽大好き!

            メインブログの方で、とある蝶の蛹について書いてたら、 kihiminhamame.hatenablog.com ふと、森山加代子さんの「白い蝶のサンバ」が聴きたくなりましたので、みなさんもどうぞお聴きくださいませ。 youtu.be 間違えた!こっちでした!www youtu.be 白い蝶のサンバ[EPレコード 7inch] アーティスト:森山加代子 日本コロムビア Amazon 決定版 青春のメモリアルソング(2) 飛んでイスタンブール アーティスト:庄野真代,山下久美子,ダ・カーポ,ジャッキー吉川とブルー・コメッツ,平山三紀,森山加代子,因幡晃 Amazon 青春ポップスシリーズ2/真夜中のギター.白馬のルンナ.白い蝶のサンバ.フランシーヌの場合.真夏の出来事.野に咲く花のように.けんかをやめて アーティスト:千賀かほる/内藤洋子/森山加代子/新谷のり子/平山三紀/だ・カーポ/河合奈保

              「白い蝶のサンバ」 - きひみの音楽大好き!
            • 【コーヒーの歴史と音楽】みんな陽気に飲んで踊ろう、コーヒー・ルンバ!昔アラブの偉いお坊さんが何をした? - 孤独のクラシック ~私のおすすめ~

              ロンドンのコーヒーハウス 「コーヒーハウス」は時代を変えた! 前回まで、バッハのフランス風序曲や、チェンバロ協奏曲の数々を聴いてきました。 これらの曲は、ライプツィヒの、ツィンマーマンが経営する「コーヒーハウス」をコンサート会場として、大学生を中心としたアマチュア・オーケストラ、コレギウム・ムジークムによって演奏されたものです。 「コーヒーハウス」がコンサート会場?と言われても、今の喫茶店を思い浮かべると、違和感しかありません。 その疑問を解決するには、当時のコーヒーハウスがどんなものだったのか、を知る必要があります。 結論から言えば、コーヒーハウスは「貴族社会」から「近代市民社会」へと時代を変えた施設と言っても、おおげさではないのです。 このブログでは、クラシック音楽の中でも、昔の楽器と奏法をできる限り再現した「古楽器」「オリジナル楽器」「ピリオド楽器」の演奏にこだわってきましたが、その

                【コーヒーの歴史と音楽】みんな陽気に飲んで踊ろう、コーヒー・ルンバ!昔アラブの偉いお坊さんが何をした? - 孤独のクラシック ~私のおすすめ~
              • “DJ盆踊り”を実現。町内会を動かす“天才”が明かしたノウハウとは? お祭りを"アップデート”する秘訣は「イス運び」!?|FNNプライムオンライン

                “DJ盆踊り”を実現。町内会を動かす“天才”が明かしたノウハウとは? お祭りを"アップデート”する秘訣は「イス運び」!? 9月18日に渋谷で開催されたホウドウキョクのトークイベント。 「人はなぜ祭りを求めるのか?」をテーマに、スタディストを自称し、東京藝術大学で教鞭を取る音楽家の岸野雄一さんが「祭りをアップデート」した実体験を語る。 【司会】 ドミニク・チェン(情報学研究家) 市原えつこ(アーティスト) 【ゲスト】 岸野雄一(スタディスト) アフロマンス(パーティークリエイター/DJ) 和田永(アーテイスト) 日常に「祭り」を侵食させる 岸野: 僕が何をやってるかというと、ちょっとこの画像を見てください。 これは何をしてるんでしょう? この記事の画像(15枚) 岸野: これはコンビニでDJイベントをしてるんですね。 アフロマンスさんは、(祭りは)「日常と分けられた非日常」とおっしゃてたけど

                  “DJ盆踊り”を実現。町内会を動かす“天才”が明かしたノウハウとは? お祭りを"アップデート”する秘訣は「イス運び」!?|FNNプライムオンライン
                • 誰もが知る「ちょうちょう」「蛍の光」日本生まれでない外国曲カバーの歴史 - 社会 : 日刊スポーツ

                  今年も残りわずか。年末はNHK紅白歌合戦や賞レースなど、音楽が一層身近になる。ところで日本に今につながるような音楽が誕生したのは、いつだったのか。調べてみると、その源流の1つは140年前の外国曲のカバーにあるようだ。そして日本生まれと思っていた楽曲の中に、なんと外国曲のカバーが多いことか。カバー曲の歴史を紹介する。 日本人なら誰もが知る「むすんでひらいて」や「ちょうちょう」が外国曲のカバーと知っていましたか。卒業式の定番の「蛍の光」や「仰げば尊し」もそう。しかも140年前の明治時代に発表されているのだ。 カバーとは、おもに国内外の過去に発表された楽曲を、別のアーティストが歌うこと。1つのジャンルとして確立し、カバーだけの番組も人気だ。日本において雅楽、浄瑠璃、長唄などの伝統的な邦楽から、演歌やポップス、ロックにボカロなど今につながる音楽への源流の1つとなったのが、この明治時代の外国曲のカバ

                    誰もが知る「ちょうちょう」「蛍の光」日本生まれでない外国曲カバーの歴史 - 社会 : 日刊スポーツ
                  • 悲しきインディアン(Running Bear)/ ジョニー・プレストン - 懐かしの名曲伝説

                    クリスマス・ウィズ・エルヴィス・プレスリー・アンド・ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 ホワイトクリスマス、ブルークリスマス、サンタクローソがやっ てくるなどクリスマスソング大全集。 CDア/ルバム 中学生の頃、姉達の見ていた「ザ・ヒットパレード」を何となく見ていた時、いつも1位だったのが、この「悲しきインディアン」だったのをよく覚えています。 収録レコードジャケット ジョニー・プレストン自身で作詞作曲したデビュー曲 「 悲しきインディアン (Running Bear)」 は彼の代表作です。 1959年にシングルで発表、翌1960年に入ってヒットチャートNo.1を獲得しました。 「 Umba! Umba!」 のインディアンの掛け声がバックに始まるこの曲は、部族が敵対するインディアンの若い男 「 ランニング・ベア 」と、若い娘 「 リトル・ホワイト・ダブ 」の悲しい物語です。 歌詞は分かりや

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                    • ジャズ喫茶はいつからジャズ喫茶となったのか

                      「ジャズ喫茶」という呼び名がいつから始まったのか。どうやらいまだにこの問いに対する明確な答えはないようだ。しかし、いま手持ちの資料をもとに、できうる限りこの謎の解明に近づいてみたい。 ジャズ喫茶の始まりは、1929年(昭和4年)に東京・本郷赤門前に開業した「ブラックバード」からというのがほぼ定説となっている。 おそらく、その前にも蓄音機でジャズを聴かせる喫茶店はあったと思われるし、実際、大正時代末期の横須賀に「白樺」というこの町のジャズ喫茶第1号とでも呼ぶべき店があったと書き記したものもある(『ヨコスカ・ジャズ物語』太田稔著 神奈川新聞社刊)。 横須賀に限らず、海外のモノや文化がいちはやく入ってきた都市、たとえば神戸のようなジャズの生演奏の盛んだった港町にもそういう店があったとしても不思議ではない。 だがバンドによる生演奏よりも再生装置やレコードの品揃えにこだわり、ジャズ・レコード鑑賞を目

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                      • ポケットトランジスター / アルマ・コーガン - 懐かしの名曲伝説

                        ドメイン取るならお名前.com あなたのサイトのURL、そろそろスリムにしませんか? 世界にたった一つ、あなただけのドメインを登録しよう! ドメインバックオーダー 急げ!新ドメインは早いもの勝ち! 「ポケット・トランジスター」は196060年、英国女性歌手アルマ・コーガンのヒット曲で、日本でも森山加代子のうたでヒットしました。 ▲収録レコードジャケット 真空管式のラジオがまだ主流の時代に登場しトランジスタラジオは、今で言えばiPadのようなものdesyou か。 当時ラジオは家の中で聞くものだったがトランジスターラジオが出現して、それを外に持って出る事が可能となった。 つまり何時でも何処でもヒットパレードが流れてきてトランジスターラジオが若者の必需品となった。 [ 若者 = 音楽 = トランジスターラジオ ] の方程式が成り立った時代だった。 「ポケット・トランジスター」 は、数少ない英国

                          ポケットトランジスター / アルマ・コーガン - 懐かしの名曲伝説
                        • Tintarella Di Luna(月影のナポリ) / ミーナ - 懐かしの名曲伝説

                          フェイクニュースの見分け方(新潮新書) もっともらしいニュースや論評には、フェイクが大量に含まれている。真偽を見抜くには何をすべきか。「オピニオンは捨てよ」「主語のない文章は疑え」など――新聞、雑誌、ネットとあらゆるフィールドの第一線で記者として活躍してきた著者が、具体的かつ実践的なノウハウを伝授する。 「月影のナポリ」と言えば、日本では森山加代子が1960年に、この歌でレコードデビューし大ヒットしました。 ▲収納アルバム 実は、この曲はイタリアの人気歌手ミーナが1959年に発表したカンツォーネがオリジナル盤です。 日本のカンツォーネ・ブームは ミーナ のこの 「 Tintarella Di Luna(月影のナポ類) 」 のヒットから始まったと言われています。 ミーナ自身も、この歌のヒットからイタリアのポピュラー界に頭角を現し、イタリアを代表する歌手になりました。 「 Un Buco Ne

                            Tintarella Di Luna(月影のナポリ) / ミーナ - 懐かしの名曲伝説
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