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細川氏 大内氏の検索結果1 - 11 件 / 11件

  • 戦国武将クイズに答えるRAGを構築して評価を自動化したら爆速でした | IIJ Engineers Blog

    九州支社で技術リサーチやビジネス開発などの業務を行っています。将棋が好きで、棋力はウォーズ二段ぐらいです。 こんにちは。暖冬と言われていたのに毎日寒いのは年齢のせいでしょうか。しゅっちんです。久しぶりのエンジニアブログへの投稿となります。今回は、話題の生成AIに関連してRAGの検証を行いたいと思います。 RAGについて 昨年は生成AI元年と言ってよい年でしたが、その生成AIに関連する注目技術の一つがRAGです。RAGとは Retrieval Augmented Generationの略で、日本語で検索拡張生成となります。訳すと余計に意味が分からなくなりますが、要はGPTなどの会話応答AIに関連情報を渡して、その情報を元に質問に回答させる仕組みです。 GPTなどの言語モデルは学習した情報が古かったり、専門知識が不足していたりしますが、RAGによって新しい知識や情報を得ることができ、専門的な質

      戦国武将クイズに答えるRAGを構築して評価を自動化したら爆速でした | IIJ Engineers Blog
    • 「とにかく凶暴な日本人」が、500年前の中国で起こした「衝撃の歴史的事件」。(学術文庫&選書メチエ編集部)

      倭寇対策の使命を帯びて、戦国時代の日本を訪れた中国人がいた。鄭舜功(ていしゅんこう)という名の「在野の志士」である。その見聞録『日本一鑑』には、自然風土から日本人の習俗、精神文化までが記録されている。隣国人の新鮮な眼で観察された、約500年前のリアルな日本とは――。『戦国日本を見た中国人 海の物語『日本一鑑』を読む』(上田信著、講談社選書メチエ)から紹介していこう。 「倭人」の凶暴な性格は、火山のせい!? この時代、中国人のイメージする日本人は、とにかく「凶暴」だった。 まず、鄭舜功訪日の30年ほど前、1523年に起きた「寧波事件」(寧波の乱)の衝撃は大きかった。日本の有力大名、大内氏と細川氏がそれぞれ仕立てた遣明船の乗組員らが、中国・寧波の町で抗争を繰り広げ、一帯を騒乱に巻き込んだのである。 そして、1550年代には、倭寇が中国沿岸部を荒らし回り、「嘉靖大倭寇」と呼ばれる。実際には、倭寇

        「とにかく凶暴な日本人」が、500年前の中国で起こした「衝撃の歴史的事件」。(学術文庫&選書メチエ編集部)
      • 歴史人物語り#102 NHK大河ドラマの主人公に取り上げてほしいシリーズ第2弾は三好長慶、鍋島直茂、北条氏康、そして戦国武将総選挙をぶっ壊す(笑) - ツクモガタリ

        今回はNHK大河ドラマの主人公に取り上げてほしいシリーズ第2弾です。 ちなみに以前投稿した第1弾の記事はこちらです。 tsukumogatari.hatenablog.com 第2弾はもうしばらく後でもいいかなと思ってたんですが 先日某テレビ番組でやってた戦国武将総選挙の結果を見て なんとなく令和元年中に書く気になりました(笑) 第2弾は以下の3名をあげてみました。 三好長慶(みよしながよし) 鍋島直茂(なべしまなおしげ) 北条氏康(ほうじょううじやす) 3番目の北条氏康はどっちかっていうと 北条5代みたいな感じでやった方がいいのかな とも思いつつ、とりあえず単独にしておきました。 例によって私の個人的趣向による選抜なので その辺はご容赦くださいませ。 では今回のお品書きはこちらです。 1.NHKの大河ドラマで主役にしてほしい戦国武将たち 1.1.三好長慶(みよしながよし) 1.2.鍋島直

          歴史人物語り#102 NHK大河ドラマの主人公に取り上げてほしいシリーズ第2弾は三好長慶、鍋島直茂、北条氏康、そして戦国武将総選挙をぶっ壊す(笑) - ツクモガタリ
        • 山口、広島、岡山、兵庫、福岡を支配した戦国大名大内氏の歴史を解説

          大内一族は山口県から発祥した 大内というのは、元々深く入り込んだ地形や盆地の意味があり、そのためこの地名が日本各地にあります。その地名の豪族は自然と大内を名乗るため、実は全国にいろんな大内氏が存在しました。 その中でも周防国(すおうのくに)(山口県)に中世から戦国にかけて勢力を持っていた周防大内氏がとくに有名で、今回も周防大内(以下大内)を取り上げます。大内氏は古代朝鮮半島の国家、百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)の第三王子だった琳聖太子(りんしょうたいし)の子孫とされます。彼は百済から周防国の多々良(たたら)浜に上陸。 聖徳太子(しょうとくたいし)から領地と多々良姓を賜ったとか。ただし伝承の域を出ていません。系図では琳聖太子七世の孫とされる正恒(まさつね)から多々良の姓を使ったとか。平安時代(へいあんじだい)末期には初代正垣から9代目にあたる多々良盛房(たたらもりふさ)が初めて大内を

            山口、広島、岡山、兵庫、福岡を支配した戦国大名大内氏の歴史を解説
          • 復刻されて読みやすくなっているGHQ焚書リスト

            最近GHQ焚書の復刻が相次いでおり、原文の表記を尊重しつつ読みやすいように現代仮名遣いに改められたり、旧字体の漢字を新字体に改められて出版されているものも多いので、「国立国会図書館デジタルコレクション」で、戦前・戦中の本が読みづらい方は復刻本の購入をお勧めします。また最近は復刻された本が電子書籍化されているケースが多くなっています。 復刻された本については、このブログで何度か紹介させていただきました。このブログで記事を書いたのちに復刻された本がいくつかあるようです。 倭寇はなぜ元寇のあとから頻発するようになったのか~~倭寇19世紀から11世紀にかけて、九州沿岸地方には外国の海賊による襲撃・略奪を何度も受けた記録が残されている。特に有名な事件が刀伊の入寇であり、13世紀に元寇があって、多くの住民が虐殺され拉致された。倭寇は元寇の復讐との見方があるが、南朝勢力が倭寇に関わっていたという記録もあ

              復刻されて読みやすくなっているGHQ焚書リスト
            • 応仁の乱・激戦地の大和~大和武士の興亡(5) - 大和徒然草子

              1454(享徳3)年以来、管領家・畠山氏の家督を巡る畠山義就と政長の争い収まることなく続き、大和でも義就支持派の越智家栄を中心とする勢力と、政長を擁立支持する筒井氏出身の成身院光宣、筒井順永の一派に分かれて、混乱は深まるばかりでした。 畠山氏の内訌は幕府の主導権を巡る細川勝元と山名宗全の対立と結びつき、1467(文正2)年正月には室町御所を中心に、細川方と山名方の軍勢が睨み合う事態となります。 ここで将軍・足利義政は、畠山氏の内訌に他家の加勢を禁じ、義就軍と政長軍だけで合戦を行わせ、その勝者に家督を認めるという無定見極まりない姿勢を見せました。 細川勝元は将軍の命を守って政長に加勢しない一方、山名宗全は将軍・義政の命を無視して義就に加勢。 御霊合戦は義就が大勝して、宗全が一気に幕政を主導するようになります。 一方、政長を支援していた勝元は、「味方を見殺しにした大将」という不名誉を、宗全の命

                応仁の乱・激戦地の大和~大和武士の興亡(5) - 大和徒然草子
              • 「国人とは?」国人一揆や国人と地侍、守護大名、戦国大名との違いを解説! - 元予備校講師の受験対策ブログ

                このページを訪れた人は「国人とは何か」、「国人と守護大名、地侍などとの違いは?」といった疑問を持っているかもしれません。 国人とは、南北朝時代から戦国時代にかけて各地の村落を支配した領主のことです。 荘園領主のもとで土地を管理していた荘官や鎌倉時代に多く設置された地頭などから国人に成長することが多かったとされます。 今回は国人について、元予備校講師がわかりやすく解説します。 室町時代や戦国時代の記事興味がある方はこちらもどうぞ! kiboriguma.hatenadiary.jpkiboriguma.hatenadiary.jpkiboriguma.hatenadiary.jp kiboriguma.hatenadiary.jp kiboriguma.hatenadiary.jp 国人の意味とは? 室町時代の国人 国人の成長と国人一揆 国人と守護大名の関係 国人と地侍の違いとは? 戦国時代

                  「国人とは?」国人一揆や国人と地侍、守護大名、戦国大名との違いを解説! - 元予備校講師の受験対策ブログ
                • 永禄の変とは (エイロクノヘンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

                  永禄の変単語 7件 エイロクノヘン 13万文字の記事 12 0pt ほめる 掲示板へ 記事編集 概要5秒で分かる(ryここまでのあらすじ運命の日経過変の原因被害者一覧変そのもの主な登場人物事件の鎮静化足利義昭の脱出足利義昭陣営の形成松永久秀の失脚二人の将軍再び幻の上洛計画とその頓挫三好義継らの参入足利義栄と足利義昭の対立足利義昭の上洛前夜足利義昭の上洛足利義昭幕府誕生その後の伏線変以後の主な登場人物イエズス会士の証言足利義維流のその後松永久秀の関与について足利義輝の奮戦について近代の永禄の変関連項目掲示板永禄の変 / 永禄の政変とは、永禄8年(1565年)5月19日に起きた室町幕府13代将軍足利義輝が三好義継、松永久通率いる三好軍に殺害された事件である。 概要 室町時代の一転換点となる足利義輝の殺害された政変。ニコニコ大百科でもセイバーのごとく刀をとって戦った彼の姿が有名だが、実は21世紀

                    永禄の変とは (エイロクノヘンとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
                  • 福津市上西郷 大森神社(大森宮) - 松村かえるの「かえるのねどこ」

                    大きい地図・ルート検索  ( powered by ゼンリン地図 いつもNAVI ) なまずで有名な神社さんです。福岡県神社誌では大森神社とありますが、現地社号標は「大森宮」です。 蓑生郷宗社 大森宮御由緒 筑前国宗像郡蓑生郷 上西郷、下西郷、久末、津丸、手光、五ヶ村の産神也。 往時、飯盛山の麓大森に鎮座、大森宮、大守宮、大守六宮と奉称せり。 御祭神 (右)伊弉諾命 伊弉冊命 事代主命 (左)水象女命 大山祇命 石長姫命 右、主祭神六柱の神の内 右記御祭神は、往時よりの御鎮座、飯盛社、小盛社、西塔田若宮社の御祭神也。左記御祭神は、嘉元二年甲辰三月社職の河津駿河守藤原重房、本国産神、伊豆権現、箱根権現、三島明神の三社の御祭神を合斎せしと伝たり、此の六柱の大神を合斎せしを以て俗に大守六社宮と称号し、郷民の鎮守様と尊崇する皇神是なりと云う。 飯盛、小盛、西塔田若宮三社は宗像神社七拾五社の一也とあ

                      福津市上西郷 大森神社(大森宮) - 松村かえるの「かえるのねどこ」
                    • 琉球の朝貢と冊封の歴史 - Wikipedia

                      琉球の朝貢と冊封の歴史(りゅうきゅうのちょうこうとさくほうのれきし)では、三山時代の1372年、明の洪武帝の招諭を受けて行われた中山王察度の入貢、1402年の武寧の冊封から、1866年の尚泰の冊封、そして1875年に明治政府によって清への進貢が禁止されるまでの歴史を中心に記述する。なお明治天皇による尚泰の琉球藩王冊封、そして進貢禁止後の琉球と清の朝貢、冊封復活への動きについても同記事内で紹介する。 文中の年代については、14世紀の和暦が南朝年号と北朝年号、17世紀の中国が清と南明諸勢力の年号等、3つ以上の元号の併記となる部分があり、煩瑣であると判断して西暦のみで統一した。 概要[編集] 略歴[編集] 14世紀後半、元をモンゴル高原に追って中国の統一を成し遂げた明は、成立直後から周辺諸国に対して積極的に朝貢を呼びかけた。明の呼びかけに応じた国のひとつに琉球があった。14世紀後半、沖縄本島には

                      • 村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』

                        発売されるとわかった時から話題騒然だった本です。何せ、六角氏は室町時代・戦国時代に侮れない勢力を誇りながら、この手の比較的一般向けの評伝を欠いていたからですね。タイトルは六角定頼ですが、実際には章を割いて、前2代の高頼・氏綱、後2代の義賢・義弼までフォローしています。言わば「戦国六角氏五代」が読めるわけで豪華な一冊と言えましょう。 六角定頼:武門の棟梁、天下を平定す (ミネルヴァ日本評伝選) 作者:村井祐樹発売日: 2019/05/22メディア: 単行本 さて、私にとってはこの本が出たことで得るものは単に戦国六角氏の伝記が読めるということに留まりません。これまでこのブログを読んできた方にはおわかりかと思いますが、私は三好氏を贔屓にしておりまして、特に近年の三好長慶再評価とその徐々な定着ぶりには感激するところ大なわけです。ただ、一方で三好長慶、あるいはその家臣として有名な松永久秀のみ称揚され

                          村井祐樹『六角定頼 武門の棟梁、天下を平定す』(ミネルヴァ書房)の感想 - 志末与志著『怪獣宇宙MONSTER SPACE』
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