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辻政信 失踪の検索結果1 - 8 件 / 8件

  • 憲法学者、国会で「あなた戦前と、主張が違うね?」と詰められる。質問者はあの…【憲法記念日】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

    憲法記念日ということで、ふたたびXのポストを引用。 辻政信「天皇制のもとで、可能な範囲において、あなたは学者的な発言をなさったとおっしゃるが、しからば、将来共産主義政権ができたら、共産主義政権のもとにおいて、可能な範囲であなたの言論を学者の良心としてお述べになるつもりか。」 憲法といえば国会のやり取りすきhttps://t.co/TYVv4JLWNQ pic.twitter.com/C8fr3BMPTo— ヴォルヴィーノ@読書垢 (@dokushoa) May 2, 2024 067・辻政信 ○辻委員 私は眞崎委員の質疑に関連をいたしまして、中村先生にちょっとお尋ねいたしたいと思います。 中村先生け、戦争中約十年にわたって台湾の大学で憲法の講義をなさっていらっしゃったそうでございますが、そのときに、旧憲法というものはあなたの学者的良心に一致したというお考えのもとに学生に講義をなさいましたか

      憲法学者、国会で「あなた戦前と、主張が違うね?」と詰められる。質問者はあの…【憲法記念日】 - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
    • 辻政信は戦後日本で、こんなふうに「人気者」だったという資料(1952年、朝日新聞。画像からテキスト化) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

      以前、こんな記事を書いた。 戦後裏面史〜元陸軍参謀・辻政信の参院全国区3位当選を描く「1959年の辻政信」を読んでみたい。【敗将列伝】 m-dojo.hatenadiary.com wikipedia:辻政信 政治家として 追放解除後の1952年に旧石川1区から衆議院議員に初当選。自由党を経て自由民主党鳩山一郎派、石橋派に所属。石橋内閣時代に外遊をし、エジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル、ユーゴスラビアのヨシップ・ブロズ・チトー、中国の周恩来、インドのジャワハルラール・ネルーと会談している。 政治家になった辻は1955年(昭和30年)にソ連に視察旅行に出かける。このとき辻はソ連のさまざまな人と会話をして、ソ連の実情を看破した。また、ノモンハン事件で対決したジューコフと辻は極秘に会談し「アメリカが日本に小笠原列島と沖縄を返還したら、ソ連は千島と樺太を返すだろう」などの内容を話し合った。辻

        辻政信は戦後日本で、こんなふうに「人気者」だったという資料(1952年、朝日新聞。画像からテキスト化) - INVISIBLE D. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
      • “神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」 FNSドキュメンタリー大賞2019|FNNプライムオンライン

        東南アジア屈指の大都市、タイの首都・バンコク。 仏教への信仰が厚いこの地には、日本とゆかりの深い施設も点在している。 この記事の画像(15枚) 80年以上の歴史がある、日本人納骨堂もそのひとつで、堂内の一角にいつ誰が描いたのかもわからない肖像画がある。 肖像画に描かれる男性の正体は、バンコクで終戦を迎えた元日本陸軍参謀・辻政信氏。 戦時中、幾多の激戦地で活躍し、“作戦の神様”と評される一方で悪評も絶えない。「無謀な作戦で多くの犠牲を出した」「現場の指揮官に自殺を強要した」などと、耳を疑うものばかりだ。 さらにシンガポールでは反日ゲリラ活動を防ぐためとして、数千人の虐殺を指揮したとされている。 昭和の歴史を綴った作家たちは、「地獄からの使者」「絶対悪」などと辻氏をこき下ろした。 その辻氏は戦後に突然行方をくらませ、アジア各国に潜伏し、戦犯としての追及を逃れる。 再び世に出た辻氏は国会議員にな

          “神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」 FNSドキュメンタリー大賞2019|FNNプライムオンライン
        • 日本におけるCIAの活動(自民党とアメリカによる日本支配の確立)|ブースカちゃん

          このエントリについてこのエントリは、Wikipedia(英語)の「CIA activities in Japan」(日本におけるCIAの活動)を、ほぼそのまま翻訳したものです。アメリカの諜報工作機関であるCIAが、戦後の日本でどのような活動をしてきたか、公開された外交文書や、それらに基づく著作などからまとめられています。 Wikipediaの一項目としてはかなり長いのですが、幅広い内容が比較的まとまっているので、日本語で読めるようにするべきだと考え、手間をかけてこのエントリを設けました。 個々の事件や事実はよく知られていることが多いですが、このWikiを通して読むと、自民党という政党がよく理解できると同時に、どうやってアメリカと自民党が日本を支配する構造ができたのかも、わかってきます。 そんなわけで、勝手に翻訳してみたので、ぜひ読んでほしいです。 できるだけ多くの人に読んでほしいので、ぜん

            日本におけるCIAの活動(自民党とアメリカによる日本支配の確立)|ブースカちゃん
          • 「陰謀論」と「世界観なきエリート」の相性の良さ&どう見分けていくか。 - うさるの厨二病な読書日記

            www.saiusaruzzz.com www.saiusaruzzz.com 「陰謀論」について考えたことの続き。 「陰謀論」について考えているうちに、「世界観なきエリート」と陰謀論は相性がいい(?)なとふと思いついた。 「世界観なきエリート・辻政信」のような人間と、その人が招く分断をどうすればいいのか。|うさる|note 頭は抜群にいい。 ただその見える距離や範囲が圧倒的に狭い。 目の前の物事をどう利用したら、どうなるかは分かる。現時点での自分にとって何が有利かもわかる。 でもその先のことは何も見通さないし、「何十年後かの未来がどういう世界になるのか」ということは、(見えないから)興味もないので、結果的に無責任になる。そもそも自分がそういう広い世界(未来)に関与しているという実感さえない。 「いまここで巧くやる、小手先のことは巧いがその先のことや目の前にあるもの(自分の視野)以外のこと

              「陰謀論」と「世界観なきエリート」の相性の良さ&どう見分けていくか。 - うさるの厨二病な読書日記
            • 謎多き軍人・辻政信の真実に迫る書

              近現代史への関心は高く書物も多いが、首を傾げるものも少なくない。相当ひどいものが横行していると言っても過言ではない有様である。この連載はこうした状況を打破するために始められる、近現代史の正確な理解を目指す読者のためのコラムである。 辻政信は戦前の日本の軍人の中でも最も著名な人物の一人である。また最も謎の多い人物でもある。陸軍士官学校事件、ノモンハン事件、日米開戦、マレー半島作戦、ポートモレスビー攻略作戦、ガダルカナル島作戦、「潜行三千里」、選挙戦の圧勝と国会議員活動、ラオスでの失踪、など話題には事欠かない。その辻についての最新の評伝が本書である。 辻についての評伝としては、最も早いものとして古典と言ってもよい杉森久英の『辻政信』があり、続いて堀江芳孝『辻政信』、多々宮英太郎『参謀辻政信・伝奇』などが出てきた。最近もいくつか書かれているが、最近のものはこれまでのものをなぞったにすぎないものば

                謎多き軍人・辻政信の真実に迫る書
              • 終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由 FNSドキュメンタリー大賞2019|FNNプライムオンライン

                戦時中、陸軍参謀として前線に出ていた辻政信氏。 “作戦の神様”とも呼ばれ、多くの戦地で活躍したとされる辻氏だが、一方で悪評も絶えず、“悪魔”と呼ばれる面もあった。 真逆の評価をまとう男は、どんな素顔だったのか?激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男の姿は、今を生きる人々にどう映るのか。 前編では辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活に迫った。後編では、辻氏の国内での潜行生活と、国会議員となってからの歩みを追う。 【前編】“神か悪魔か…”さまざまな証言に見る元陸軍参謀・辻政信の「生への執着」 祖国でも引き続き潜伏生活を余儀なくされる この記事の画像(16枚) 1948年に日本へと帰国を決めた辻氏だが、一度は東京に戻るも、追手の多さを悟り、かつての部下に案内され兵庫県豊岡市三原地区へとやってきた。 「誰も住んでいない古い寺を貸してほしい」と訪ねてきたのは、大学教授・本田正儀を名乗る

                  終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由 FNSドキュメンタリー大賞2019|FNNプライムオンライン
                • 【読書】「辻政信の真実 ~失踪60年--伝説の作戦参謀の謎を追う~」を読んだ - みんみん投資×読書×Tech

                  太平洋戦争時の元陸軍の参謀、辻正信氏に関する評伝です。 【本書の紹介文の引用】 元陸軍参謀が最後に企てた“作戦”とは? 1961年(昭和36年)4月4日、元陸軍参謀にして参議院議員の辻政信は、羽田空港から東南アジア視察のため単身、飛び立った。実はその出発直前、数々の「異変」が確認されていた。たとえば、辻の次男・毅氏はこう証言する。 〈父はタラップに4回出てきたんです、機内に入ってから。あり得ないことです……〉 その後の足取りは杳として知れず、8年後に「死亡宣告」が出された。 伝説の作戦参謀は、いったい何をしようとしていたのか――。 その生涯は、まさに波瀾に満ちている。 苦学の末、士官学校を首席で卒業、陸大で恩賜の軍刀を下賜された。 初陣の第1次上海事変での武勇が報じられ、一躍、時の人となるが、 作戦を主導したノモンハン事件で多数の犠牲者を出し大損害を蒙る。 太平洋戦争緒戦マレー作戦で名を上

                    【読書】「辻政信の真実 ~失踪60年--伝説の作戦参謀の謎を追う~」を読んだ - みんみん投資×読書×Tech
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