ふくやまけいこ @fukuyama321 唐突に思い出しました たぶん上野の美術館に 子供の時に行って買った絵葉書 こんな絵柄でロシアの風俗で 大好きで飾ってたのですが 今は亡き兄が帰省の折りに気に入って 欲しいとかで渡してしまい それきり絵も作者も名がわからず もしご存知のかたがいらしたら 良かったら教えてください(*´-`)🌸 pic.twitter.com/cIEgsaqYRr 2021-02-19 07:45:38
おはよう~。ハマクラシー君! 昨日はすごい雨だったぞ。 オイラの働いている大分県中津市もすごいことになっていて、車が水没したり土砂崩れで道が封鎖されたりして、すごかったぞ~。 高速道路も通行止めになっちゃったものだから、仕事帰りの道も大渋滞でな~! 家に帰るだけで2時間以上かかっちまったよ! もう雨はごめんだぜ~。 さて、今日は久しぶり4コマ漫画なぞどうでしょうか? けっこう久しぶりに書いたからいまいち調子が乗らなくていかんな~。 まあとりあえず書いてみたんでいってみよう! うらあ!! うむうむ。よ~し!ウムウム。 つぎ~~~!! うらあ!! ハッハッハ! もうスランプだよ。あたしゃ。 ほっといとくれよ。 以上で終わりなんだが、ちょっと短すぎるかのう? では、うちにある猫ちゃんの絵葉書なんぞ最後に見せておくとしよう。 うらうら~! もちろんオイラが書いたわけじゃないぞ。 買ってきたのだ。
晩年、統合失調症を患いながらも、 それでも猫を描き続けたイギリスの画家、ルイス・ウェイン( 1860年 – 1939年、享年78歳)。 彼はインターネットを介して広く知られるようになったのです。 ルイス・ウェイン、猫画家としての物語 かつて海外では、猫好きたちは少々変わり者であると思われていました。 ひとに従順な犬と違い、どこかミステリアスで つかみどころのない存在。 神でもあり、魔女の使徒とも呼ばれる二面性。 太陽が「生」の象徴であるのならば、 闇夜は「死」の象徴。 その闇夜を好んで活動する猫は神秘的な存在でもありました。 それを象徴するのがルイス・ウェインだと言われています。 生前のルイス・ウェインは穏やかとは言えない人生を送りました。 晩年は精神病棟施設の中で暮らしながらも、猫を描き続けたのです。 最愛の妻と子猫。 そもそもルイスが猫の絵を描くきっかけとなったのには、 家族の反対を押
9月16日(木) 北野町へ散歩にでます。 風見鶏の館を外から眺めているのも飽きたし、 久しぶりに中へ入ってみようと思います。 萌黄の館の西隣にある異人館には普通に人が住んでいたはずなのに、 荒れた様相に今日初めて気がつきました。 私が知らなかっただけで、前から空き家になっていたのでしょうか。 胸が少しチクッとなります。 風見鶏の館の前、北野町広場のネコさん、おはよう。 きょうは曇り空やね。 1階にある書斎の窓からセミの鳴き声が入ってきて、 学生の頃、夏休みになると、涼みに通った学校の図書館の窓を思い起こします。 蔵書が少ないので評判は良くない図書館でしたが、 お金が無かったので、夏休みの避暑地代わりに使っていました。 踊り場に、明り取りの窓がある狭い階段は、私には洋画の世界。 きょう見たかったのは2階からの景色。 窓ガラスがところどころグニャッといびつになっていて、 ゆがんで見える所も有り
『絵葉書から分析する近世城郭の建築と空間』髙田徹著 戎光祥出版・7480円 令和の世に姿を現すであろう、首里城正殿をはじめとする周辺の建物であるが、復元の際には近世期の文献史料や絵画資料、そして近代の写真資料が基礎資料となる。これらのうち、戦前に撮影された首里城の写真は絵葉書として、衆目に触れられてきた。絵葉書は安価な土産物としてではなく、後世においては失われた首里城の姿を偲ぶ上で貴重な資料としての価値が付与されている。 戦災によって失われた文化財の中で、絵葉書にてその姿を留めているものは数多くある。それらは主に建物復元時の資料として活用されてきたと同時に、最も多くの人に流布していた重要資料であると言える。今日、SNSなどで訪れた観光地をアップしたり、デジタル画像で保存するなどして、旅の思い出として記録していくことが一般的になっている。一方で、土産物としての絵葉書は次第に姿を消している現状
これは目標の喪失にもつながるが、常に最先端を意識していた永田さんはいつの間にか、登る動機が、高校時代に吉川智明さんと登ったときのような、「山の中にいる、ただそれだけの喜び」から、メディアへの評価へと変わっていった面もあったのではないだろうか。評価されない以上、登っても仕方がないと。K7から下山後、記者会見を開いても誰も来てくれなかったことを嘆いたのも、その傍証だ。 (藤原章生『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』山と渓谷社、2023) こんばんは。教員を長く続けていると、子どもにせよ大人にせよ、この人はおそらく発達障害なのだろうなぁと思うことがしばしばあります。藤原章生さんの新刊に登場する故・永田東一郎も、おそらくというか、間違いなくそうでしょう。《しつこくからんでいく割に、他人が自分をどう見ているかにはひどく鈍感なのだ》という下りなんて典型です。 しかも東大生。 ビンゴです。4人に1人が
今日は久しぶりにシンプルメッセージです♪ 余談ですが、これでも1000字ちょっとあるので、 いつもこれくらいの長さにまとめたいと思いつつ、 つい長くなってしまいます。汗 (3000字を越える日もしばしば。。) メッセージを絞って、分かりやすくシンプルに書けるように していけるといいなとゆるく思っています♪ * 私は一人旅が好きで、一人旅好き仲間が各地にいます。 その仲間とは一緒に旅行することもなく、 (みんな一人旅好きですから。笑) 普段会ったり連絡することもほとんどありませんが、 先日部屋の片づけをしていましたら、 以前そんな旅好き仲間から届いた絵葉書を見つけました。 時々珍しい旅先からこうして絵葉書が届くのです。 ちなみにいただいた絵葉書は、 本のしおりに使わせていただいたりしています。 見つけたものは旅先の樺太(サハリン)からで、 今までヨーロッパやアメリカ、南米やアフリカ、 時には
『絵葉書を読む』第7回。今回の絵葉書はこちら。 『(明治四十三年八月東京大出水之実況)本所割下水附近』 明治43年8月中旬。 梅雨前線と2つの台風の影響により、関東地方は集中豪雨にみまわれた。 この豪雨によって、関東地方全体で死者769人、行方不明者78人、家屋の全壊または流出は5000戸以上という甚大な被害が出た。東京府だけでも約150万人が被災したという。(Wikipedia参照) 上の絵葉書は、豪雨後の東京府本所の様子を伝えている。 「割下水(わりげすい)」というのは道路の中央に造られた掘割のことで、江戸時代の初期に造られた。下水といっても生活排水を流すためのものではなく、雨水を効率よく川に逃がすためのものだ。幅はおよそ一間(けん)から二間〔約1.8m〜3.6m〕ぐらい。(ちなみにこの本所の割下水があったところは、現在では「北斎通り」という道になっている) 絵葉書には「割下水附近」と
皆さまこんにちは。 いつもすてきな花の便りをありがとうございます。北の方はまだ桜なんですね。 ホウチャクソウ ところで投稿記事にホウチャクソウの写真を見かけました。宝鐸草と漢字で書くとありがたみが増しますね(笑)。 宝鐸とは「寺院の堂塔の四隅の軒などに吊して飾りとする大きな鈴」のことですから。 こちら、しろ鹿さんのホウチャクソウ shiro-shika.hateblo.jp stroll365さんのホウチャクソウ stroll365.hatenablog.com そしてうちの花壇のホウチャクソウ 4月14日と5月3日 実ができていますね。 思い出深いホウチャクソウ。ベゴニア協会に入ったばかりのころ、支部のJさんからいただいたんです。土がついたホウチャクソウを数本、ビニール袋に入れたのを私にくれました。ホウチャクソウを知らなかった私は驚きつつ、その飾り気ない態度に好感を持ち、一方でちゃんと育
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