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ururundo.hatenablog.com
有機栽培の人参 綺麗な色だと思い 雪の上に並べた人参。 集落で有機無農薬野菜を作っている アメリカ人のチャック。 今は京都の北部で畑仕事に精を出している。 理由は猿の獣害で 頑丈なネットを張り巡らしても 次々と食べられてしまう。 京都北部の畑では 猿に悩まされる事もなく 本人曰く「全部チャックのもの」と嬉しそうだ。 そのチャックから 京都の畑で採れた野菜を沢山貰った。 人参 蕪 大根 白菜 小松菜 青梗菜。 生で齧ってみる。 美味しい! 新鮮で甘く 茎は柔らかい 葉も全部食べよう。 白菜と豚 人参(スーパーの)を 味噌と酒と砂糖でぐつぐつ炊いて チャックの人参の葉を刻んで散らした。 人参も焼いたりした。 人参の色に心を打たれ 写真を撮った。 絵本に出てくるような 人参だ。
遅れて舞い降りた 紅葉の枯れ葉。 夜の間に降った雪の上に 静かに陽の光を受けている ブローチの様だ。 歩くとじゃりじゃりと音がしそうな 粗いざらめ砂糖のような雪。 眩しい。 手のひらを目の上にかざし 木の枝に載った雪が 溶けて落ちるのを見る。 青い空の下 何もかも輝いている。 青い羽のルリビタキ(瑠璃びたき)が死んでいた。 雪の上に横たわり 静かに目を閉じている。 飛んでいる姿は小さくて 青い羽の下が黄色なんて 知らなかった。 ふっくらと丸く じっと見つめてしまったよ。
暮れに 20余年使ったプリンターが壊れた。 取説を読むと 致命的な故障だとか。 若い知人にその話をすると 「20年も使えば もう十分ですよ」と言われた。 なるほど そうだ。 Amazonからやってきた新しいプリンターは 設定に手こずったが よく働く。 年賀はがきを印刷し 住所を書き 1日でも早く届いて欲しいと 車で40分山を下り 日曜でも開いている大きな郵便局で投函した。 帰りにスーパーで少しの買い物と ミスタードーナツでドーナツを買い帰宅した。 帰路の車から見た 雪の比良山系が美しい。 「トンネルを抜けるとそこは雪国」の我が「小屋」 冷えた「小屋」で ストーブに薪をどんどんくべた。 熱いコーヒーの湯気と ドーナツの軽い甘さ。 ほっこりとした。
赤蕪の酢漬け 紅色の蕪を刻む。 水をたっぷりと含んだ 白い中身。 塩をさっと振り 水気を絞り 甘酢を絡ませると 紅色はより鮮やかになる。 美しい色だ。 韓国ソウルから 高速バスで1半ほど走り 行った民族村。 そこで 買ったマッコリを飲む素朴な民陶の器。 紅色の赤蕪は「白磁の方が似合うかな?」とも思ったが 出会った人懐こく親切な人達を思い出すには 暖かみを感じる赤土のこの器がいい。 10年以上も前の旅を思い出し ほっこりとする。 美しい色を見ると 写真を撮りたくなる。 今日の一枚は赤蕪の紅色だ。
「あけまして おめでとうございます」 暮れに雪が降った。 道路脇の枯れた松の木が 雪の重みで電線に倒れ 夕方に5分 深夜に3時間の停電に見舞われた。 スノーダンプとスコップで除雪に精を出し 見上げた空には 淡い空色の空に白い雲が 西から東へ。 そして 2025年から2026年へと 年が移行した。 がんばろうと思う。
今月末まで ブログをお休みいたします。 来年 お会いするのを楽しみにしています。 心身ともに ご自愛ください。
殆ど毎日の夕方に焚き火をする。 夫がチェーンソーで切った木の屑や 腐りかけた木 汚れた新聞など。 火の後始末の為に 古いトタン板を被せる。 次の日の朝 夜露が溜まったトタン板に 紅葉の 黄や赤の葉が載っている。 錆びたトタン板と 舞い落ちた紅葉の葉を 「綺麗だな」と思った。 スマホをズボンのポケットから取り出し 写真を一枚。 外出からの帰り道のローソンでカップ麺を買った。 醤油ラーメン。 新米の冷凍ご飯を電子レンジでチンし カップ麺と赤蕪の酢漬け 木耳入りの塩昆布 金時豆の甘煮で昼ごはんとした。 卵焼きでもすればいいが 今日は面倒な気がした。 久しぶりのカップ麺が美味しい。 数日前 友達の来訪のお土産は 「バイカル」のアップルパイだった。 林檎の甘煮がたっぷりと入ったパイは ちゃんとした 懐かしい味がした。 やるべき仕事が溜まっているのが気忙しく 心がザワザワする。 久しぶりに観たいと思っ
ラ フランス 到来物の ラ フランス。 数十年前 果物の中では高価なものだった。 そして 今でもそれは変わらない。 軽く抑えて 柔らかくなっていたら食べ頃だ。 まな板に載せ 包丁で切る。 転がらないように抑えた痕が残る 半身の洋梨。 甘い香りが立つのかと思えば そうでもない。 櫛形に切り 皿に並べ フォークを刺して食べた。 アメリカのスーパーで 赤 黄などの色の 丸かったり 細長かったりした洋梨が ラップも掛からずそのままで 山盛りに売られていた。 日本では 網状のクッションに収まりラップに包まれ 箱に綺麗に並べられ 贈り物にもされたりする。 一雨降るごとに 周りの山 「小屋」の周りの 木々の紅葉の色が濃くなる。 うちに訪ねて来てくれた人は 煙突から立ち昇る煙を まるで愛でるように眺めてくれる。
我が家は 「小屋」の割には窓が多い。 そこに掛かっていた薄い木綿のカーテンから 冬用の二枚重ねに やっと変えた。 長い夏 短い初秋と晩秋に 窓を覆った白いカーテンは ぐったりと疲れた様子だった。 朝と夕方には ストーブに景気よく薪を燃やす。 「小屋」の中が むっくりと暖かくなる。 煙突から立ち上がる白い煙は 穏やかで暖かい平和な炉端の証だ。 紅葉を愛でに 写真を撮りに いつになく車が走る。 夜にも車の音がするのは 雲海の峠へ行くのだろう。 暗い空に星が輝く。 狭い谷筋の小さな空に カシオペア。 横切る点滅する光は 飛行機の小さな跡だ。
栃の木 クロモジの木 一雨ごとに 秋が深まっていく。 赤や 黄色の木々に埋まった山が 深い靄に包まれたり 曇ったりする。 私は傘をさし 「小屋」のそばから見上げている。 しっとりとした 深い美しさだ。 「小屋」のそばに立つ 栃 クロモジの黄色の葉 深い赤のヤマボウシ(山法師)の葉。 春の萌える緑の葉より 心に響く。 新聞書評欄の小さな紹介記事に興味を持ち 図書館から借りた。 『「これは私の物語」橙書店の本棚から 田尻尚子著』 著者の田尻尚子さんは 熊本で小さな本屋を営み その橙書店には 喫茶店も併設されている。 それを聞くだけで 一度訪ねてみたいと思う。 80近い本の読後の感想は 日本の作家 詩人 韓国の女性作家 アメリカ カナダ ヨーロッパの作家 写真集など 多岐に渡る。 ジェンダー フェミニズムも語る。 心が沈んだり 落ち込んだりした時に本を読めば 知らない広い世界に導かれる。 そして
地に落ちた葉は朽ちていたり 朽ちかけていたりする。 降る雨に濡れて艶やかな栃の葉 朽ちかけている黄色の葉は クロモジ エゴ どこかから飛んで来た葉は何の葉だ? それらを拾い 輪切りの杉の上に並べ 青森からやって来た林檎 「信濃スイート」を 葉の横に置いた。 今までもよくやった私の遊びだ。 友が送ってくれた「信濃スイート」は 感動的な美味しさで 迸るような果汁 爽やかな酸味と軽い甘さ。 皮は剥かずに 櫛形に切って食べる。 冷たい雨の日が続き 木枯らし1号が吹き 山や「小屋」の周りの木々は いよいよ秋の風情。 何日も雨が降り そして止んで 雲の間から 透明でセピアがかった陽の光が 落ち葉の上に射している。 この季節に 時々思い出す写真がある。 新聞か雑誌の写真で 原田康子の書斎だ。 狭い部屋に ダルマストーブと机 そこに おかっぱ頭の原田康子がいる。 半世紀以上も前の記憶で 正しいかどうかは不
ローズマリー ローズマリーの枝を10センチほど ポキッと手折り 持ち帰り ガラスの小瓶にしばらく挿した。 よし もうこれでいい。 枝の上 2センチほどを切った。 生ゴミを埋めて出来た 黒い腐葉土を コンビニコーヒーの紙コップに入れ そこに 小さくなったローズマリーの枝を差した。 その日から 数週間。 紙コップの中から上を向いている 小さな葉っぱたち。 「小屋」の外で 朝な夕な 日の出を見 夕焼け雲を見 木の葉が舞うように落ちるのを 見続けるローズマリーの小枝。
秋明菊 霧雨の一日。 「小屋」の周りの満開の 秋明菊の花びらは 白くて薄い。 雨露を溜めて 重そうに下を向く。 雨が続くと 私の心も下を向いてしまう。 嘗て アメリカの東北部に行った事がある。 数十年も前だ。 時は10月 どこに行ってもオレンジのかぼちゃだらけ。 ショップの窓や入り口周りに賑々しく 淡い水灰色の木の壁の家のドアの横に 大きなカボチャがドンっと。 後になって写真を見る。 余程 オレンジ色のカボチャが珍しかったのか 何枚も写真を撮っている。 田舎道を車で走っている時 カボチャを見つけると 車を止めてまで撮った。 一週間前にスーパーへ買い物に行った。 ハロウィンコーナーでは オレンジのカボチャと 黒い魔女のキャンディの袋。 日本でも「Trick or Treat」って 子供達は家を回るそうだ。
焼き栗 沢山もらった栗を どうして食べようか? 若い頃読んだ誰かのエッセイか 新聞の記事だったか パリの街角で売っている 焼き栗の話が忘れられない。 それを買い求めると 新聞紙に包んでくれ 秋の冷たい空気の中で 手のひらが温かくなった。 と 言うような文だった。 いつもの栗ご飯もいいが 焼き栗が食べたい。 厚手の鉄のフライパンに バラバラと栗を放ち 蓋をし 最初はガスの強火で 後は中火にすると 湯気が上がった。 切り目を入れた皮の間から 泡が立ち 皮が焦げると火を止め 余熱で最後の仕上げをした。 熱々も 次の日の冷たいのも どちらも美味しい焼き栗。 急に寒くなった。 朝は11度 昼間は13度。 今年初めて ストーブに薪を焚べた。 ストーブの上の大小3個のやかんから 湯気が立つ嬉しさ。 やかんに沸いた湯で 朝の紅茶を淹れ 網を乗せてパンを焼く。 ふんわりと暖かい小屋の中は まだ 夏の薄い木綿
怖いような強い雨 一日中降った雨 霧雨 そんな雨の日が続いた。 はらはらと木の葉も降り続き 土を覆い隠す程だ。 栗の木を 夫がチェーンソーでカットし サンダーで表面を磨いた。 長い間 放っていた塗料を塗ったのは 外に置いておきたいから。 栗の木は かつて汽車の枕木に 加工されたほど硬くて強い木だ。 Sさんの山の 一抱えもある大きな栗の木は 6個のシンプルな椅子になった。 その椅子に 雨がかかり 木の葉が落ち 私はそれを美しいと思う。 栗 柿 アケビが「小屋」のテーブルの上に在り いつの間にか 秋がやって来た。
福井 小浜港 私の住んでいる集落で 無農薬有機栽培の野菜を作っている チャックの農業ボランティアが 7、8年前には途切れずにやって来た。 ヨーロッパ 中東 北アフリカ インド メキシコ アメリカなどから バッグパックを背負った 若者達。 その中で 初期に長逗留したスイス人の29歳。 7年ほど前の 私のブログに度々登場した男の子だ。 36歳になり ガールフレンドと一緒に かつて自分が住んでいた チャックの小屋に2泊した。 2泊3日の滞在中 7年前に一緒に行った小浜まで 夫と私 スイス人カップルの合計4人で出かけた。 その日のお天気は 惚れ惚れする様な青空と 優しい空気と暖かさと 穏やかな海が嬉しかった。 小浜湾から外海に出ると 向かいはロシアと朝鮮半島で かつて お互いの往来は 頻繁であった事だろう。 高島市 新旭 水鳥観察センターから 新旭の湖岸沿いの 観光客に忘れ去られた様な 静かで広い
数日前 雨が大きな音をたて断続的に降った。 アスファルトの道に その雨が大きく跳ねた。 年輪を数えてみれば150ほど 厚みは40センチほどの 杉の輪切りの上に置いた 白の大鉢に たっぷりと溜まった雨水。 その底に固まり 浮かんでいるのは エゴの枯れ葉だ。 水の表面が風で揺れる。 ポケットからスマホを出し 写真を撮った。 白い秋明菊が 咲き始めた。 キンポウゲ科のかわいい花。 繁殖力が強いので 「小屋」の周りに どんどん増えてくる。 その花の蜜を集めに 蜜蜂達がせっせと働く。 足や お尻に黄色の花粉を纏い それが「かわいいな」と思う。
枇杷の葉 元の証拠(ゲンノショウコ)の花 枇杷の青い葉一枚を ガラスの瓶に挿していたら いつの間にか 渋いが明るい茶色の葉になった。 「小屋」の周りには 白と赤のゲンノショウコが群れている。 その花を4本手折り 葉をちぎっていい形にした。 花器に花を生けるように そっと枇杷の葉の上に置いた。 午後の強い風が止み 軽い葉っぱとかわいい花は 夕暮れ近い陽の光の下で 静かに目を瞑っているようだ。 数日間 秋のいいお天気が続く。 空の雲は絹のようで 半月が昼間の空に浮かぶ。 おお 又 半月の時がやって来た。 銀の器に入れた 上質なバニラアイスのような姿。 それを 銀のスプーンで掬って食べるのは誰だ?
小楢の葉とどんぐり 栃の実 午前中 エゴの木の淡い緑の実を採りに キビタキがやって来る。 目の上 胸の辺りが 黄色の可愛いオスのキビタキ。 実の茎を咥えて頻繁に 忙しなく飛び立ち 又やって来る。 午後には来ない。 小楢の木は 「小屋」の周りに沢山自生している。 葉の形がとても良く 渋い緑色のどんぐり。 帽子が可愛い。 あるテレビ番組で クラフトウイスキーを知った。 小さな蒸溜所で 3人の30才前後の男の人が作っていた。 ウイスキーは琥珀色だが なぜかそこのは無色透明で 細い瓶に 小楢のような葉のラベルが貼ってあった。 それが私の好みだったが 無色透明のウイスキーは 見た事がない。 何か違うお酒だったのかも知れない。 その時すぐにメモしておけば良かった。 好きな小楢の葉とどんぐりと 濃い茶色の艶やかな栃の実。 四角の皿に 置いてみた。
JR湖西線高架の向こうは琵琶湖 JR湖西線高架の上の 実に印象的な雲。 少し淡いピンク色で その下は大きな琵琶湖だ。 ホームセンターに向かう車の中から見た景色は なんと開放的だろう。 苦しいほどの暑さの日々だった。 今 私を取り巻く景色の色は 疲れたような緑色。 強い風に吹かれたら 白い葉裏が見える。 良い本 良い映画 良い音楽 良い食べ物 良い人・・・ 良いものに出会うと 心が躍る。 NHKR1ラジオ番組「元気が出る修行論2.0」 (今こそ「修行」? 仏教の可能性とは? 心が軽くなる100分) 「変な番組だな?」と思いながら 聴き逃し番組で聴いた。 www.nhk.jp 聴き逃し※別タブで開きます 前編 今こそ修行?生きづらい時代に仏教思想の専門家、心を解放する精神科医、東洋哲学愛好家、気鋭の歌人の4人の老若男女が語り合う。元気が出る100分。案内役は大塚芳忠。
イヌコウジュ(犬香需) 車の中からでは見つからない 自転車で走っていても気がつかない 歩いていても 空を見上げていては通り過ぎる。 私は 歩きながら見つけてしまった 本当に小さな野の花。 消え入りそうな薄紫の花と 鮮やかな緑の葉を持つ イヌコウジュという シソ科の山野草だと AIが答えた。 「ほう 草の中から顔を出している こんな小さな花にも ちゃんと名前をつけた人がいるなんて!」 青い毬栗が 「小屋」の前の栗の木に 沢山なっている。 食べる事も面倒な 小さな柴栗だ。 青い色の優しさを愛でるのも良い。 雨が降るたびに 朝と晩が秋になっていく。 半袖のTシャツに 長袖を重ね 夜にはフリースを羽織った。 足の先までがホカホカとする。
夕焼けの前 図書館のカウンター横に 今月の新刊コーナーがある。 今月から出来たのだろうか? それとも 今まで気がつかなかったのか? さっと流して見る。 暖かい感じのイラストの表紙に目が行き手にとった。 「工房の季節」ヨン・ソンミ著。 韓国の20代の小説家の本で 世界29ヵ国に 版権が売れたとか。 ストーリーを一言で言えば(あくまで私の感想だが) 舞台になる陶芸工房ソヨに集う人たちの群像劇だ。 それぞれが 悩みを持ちながら 土を捏ね 形を作り 焼く作業で この教室は 彼らにとってはオアシスになっていく。 表紙のイラストを見ながら 「こんな綺麗な陶芸の工房はないよなあ」と思った。 舞台になる町は韓国のイルサン。 あとがきで知ったが 半分がフィクション 半分がノンフィクション。 どうだろう 面白いだろうか? 映画評論家 淀川長治氏が言っていた。 「どんな映画にも必ずひとついいところがある」 本も
小楢のどんぐり 何の木だろう? そう思って数年見続けていたら 小楢(コナラ)だった。 細い幹も枝も成長して 艶々と光るドングリまでつけて。 濃い緑の実に ベージュのベレー帽を被ったドングリ。 いつの間にか秋が来た。 ベニバナボロギク。 今が盛りと 白い綿毛が空を舞っている。 それはまるで 強い風に吹かれる雪の様に美しい。 藤原章生の本「ふらっとアフリカ」 著者は毎日新聞の記者として 南アフリカ メキシコ イタリアに 海外特派員として駐在し 72カ国を取材した。 60歳の定年退職の数日前に新コロナに罹り 回復後に「あとはやりたいことだけをやろう」と決めた。 それが アフリカを再び訪ねる事だった。 毎日新聞「25年後のアフリカ」の (2024年〜2025年)連載を本にした。 2023年11月 スペインからジブラルタル海峡を渡り ローカルバス バイクタクシーを乗り継ぎ 西アフリカを南下。 現地の
タカサゴユリ(野の百合) 数日前まで 「小屋」の周り 原っぱ 道路脇 あちらこちらに咲いていた 白い百合。 今年は 「小屋」の周りに沢山咲いた。 太い茎に 数個の花をつけるのもある。 鹿はこの花が大好き。 だから私はネットを被せたり 袋をかけたりする。 夕方にネットをかけ 朝に取り外す。 面倒なことだ。 原産国は台湾。 台湾を意味する古称である 高砂国に由来する。 wikipediaで仕入れた知識だ。 花びらが散り 莢の中に沢山の種が出来る。 それをパラパラと あちらこちらに撒こう。 来年はもっと沢山の芽が出るかもしれない。 台風が過ぎ 涼しい風と空気の朝だった。 外に置いてある大きなバケツに いっぱいの雨水が溜まり それをたっぷりと使って 「小屋」の三和土(たたき)をモップで拭いた。 贅沢は言わない。 こんな小さな幸せで充分だ。
吾亦紅(ワレモコウ) 「強い主張をしない庭」のKさんから 白い野の百合が咲いたので 見に来ませんかと お知らせをもらった。 夕方の西陽が山陰に落ちる頃 夫と二人で訪ねた。 数日前の強い夕立に打たれて 盛りは過ぎていたが それでも大きな群れの塊となって 咲く百合達。 吾亦紅の 深い赤 蕾のホトトギス達 白い仙人草は 蔓で塊となった大きなブーケ アメリカ楓の濃い赤の葉っぱ 見上げた大きな楢の木。 それぞれにKさんの思い出があった。 熱帯低気圧が 台風となってやって来る。 嵐の前の静けさ。 コオロギがあちらこちらで鳴いている。
ジャム:ブルーベリー 赤いスモモ 黒すぐり 赤いスモモは よく熟したのと まだ半分青いのが入り混じっていた。 熟したのは冷蔵庫に 半分青いのはテーブルの上にと 加減を見ながら全部赤くなるのを待った。 琺瑯の鍋に果実とたっぷりの砂糖。 しばらくすると 砂糖が溶け果汁が溜まる。 中火で炊き 灰汁を取りながら 煮詰まる前に火を止める。 酸味の強い 甘酸っぱいジャム。 ガラス瓶から透ける 紅色が美しい。 ブルーベリーも 黒すぐりも同じ様にして炊いた。 ブルーベリーは砂糖を少なく 癖のある黒すぐりには砂糖をたっぷりと使う。 いくつもの瓶に納まった3種の果実ジャム。 朝のトーストに おやつのクラッカーに。 これも私の小さな幸せだ。 昼間の蒸し暑さは変わらず 今日も汗びっしょりで過ごした。 夜は換気扇も 扇風機も止めた。
赤のすもも 今年はブルーベリーも スモモも豊作のようだ。 スモモの木にも 枝が折れんばかりの実が付き 「好きなだけ持って帰って」と声がかかった。 スモモの皮の食感が苦手な私は 全部ジャムにしようと思う。 炊いたスモモは 紅色の美しいジャムになる。 出来あがれば ここに写真を載せよう。 白い野の百合が沢山蕾をつけ 咲き始めた。 シンプルで清楚な雰囲気が とても良い。 今年は甲虫 黄金虫が沢山発生している。 網戸を開けると 大きな羽音を立て中に飛び込んで来る。 毎日 数匹 軍手をはめて表に返す。 そして やっとコオロギが鳴き始めた。 日暮れも早くなっている。
ブルーベリー ブルーベリーを 大きなボウルに一杯貰った。 フレッシュな 濃い青の曇った様な色合い。 パイ ジャム どれを作るにしても こんなに沢山の粒々は 私にとってはとても贅沢だ。 まずは 甘そうなのを選り分け 朝のヨーグルトにたっぷりと。 司馬遼太郎「街道をゆく2」韓(から)のくに紀行 10年ほど前に読んだのを再読した。 「グッときた」というのではない。 ただ 面白さに感動した。 司馬遼太郎の人物表現の愉快さ 日本と対馬と朝鮮半島が 共に歴史が始まって以来 お互いの地から 人が行ったり来たり。 図書館で借りたのではなく 珍しく買った本だ。 この本の前に 藤原新也の「メメント・ヴィータ」を読んだ。 藤原新也が 若い時に朝鮮半島を旅した時 列車の窓から見えた風景に 「こんな所で死にたい」と思った。 そして何年か後 その村まで出かけた話が 「メメント・ヴィータ」に書かれている。 上代から行っ
白い花びらの様なキノコ。 盛りを過ぎて枯れてしまい 私に抜かれてしまった花の跡に 顔を出していた。 川が茶色の濁流になるほど 雨が降った後は 顔馴染みに小さな薄茶色の スーパーで売っているしめじの様なの。 探さなくても 私の目に飛び込んでくる。 夫は90歳で亡くなられたTさんの自転車をもらった。 京都の岡崎から五条まで 毎日通勤で乗っていた自転車は よく手入れされていた 12段の変速機付きだった。 現役でまだまだ乗れる。 京都に住んでいた時は 2台の自転車を持っていた。 モスグリーンと茶色の イギリスのラーレー(RALEIGH)というメーカーのもの。 買い物や 図書館や 最寄りの駅やらと 実によく乗った。 懐かしい。 淡いピンクのオダマキの花が終わり 薄茶色に枯れて 花の莢にタネが見えた。 数本手折り コバルト色の花器に挿す。 第二の生を生き始めたオダマキ。
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