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今年の「かわいい」
ururundo.hatenablog.com
柿ケーキ 富有柿をもらった。 少し柔らかいのを二つ。 それをゴロンゴロンと三角に切り ケーキ生地に混ぜ込むだけの 簡単なものを焼いた。 シナモンとナツメグをたっぷり 塩をひとつまみ加えると 味が深くなる。 生地の中で 果汁が沁みだすせいか 焼き時間が長くなった。 焼き上がりに スコッチを刷毛でさっと塗った。 いい香り。 かつての田舎娘のような 焼き色と柿の甘さ。 ケーキは焼き上がりより 次の日が美味しい。 分かってはいるが 熱々を切りほうじ茶と共に。 皿と茶碗は白を選んだ。
昨日 夫がストーブの煙突掃除をした。 うちは 二週間毎に煙突掃除をする。 薪が気持ちよく燃える為の 労を厭わない。 1日の寝ている間を除けば ずっと火を絶やさない。 大きなやかんを1個 普通のやかん2個が湯気を上げたり 煮物 シチューの鍋が コトコトと音を立てていたり 朝のトーストを焼いたりと うちのストーブは働き者。 機嫌よく働いてもらう為の煙突掃除なのだ。 今日も 心を動かされた事は幾つかあった。 空の青さ 流れる雲 鳥の鳴き声はいつもの事 耐熱皿に魚を載せ 生姜のスライスと麺つゆをかけて 電子レンジでチンしたのが 非常によく出来た。 湯がいた大根葉を付け合わせ 煮汁をかけた。 忙しくしている時に 簡単に美味しく出来たおかず。 これも嬉しいことだ。 そして 晩秋の木の葉の色。 うちの薪小屋の木の壁と 蔦の蔓に淡く色づいた葉の 相性の良さ。 私の周りの なんと小さな驚きだろう。
冬野菜をたくさん貰った。 軽トラで運ぶほどだ。 今回は 白菜 大根 赤蕪 白蕪 ピーマン 小芋 葱。 黒い畑の土がついたままの冬野菜。 洗ったり 切ったり 新聞紙でくるんだり 冷蔵庫にと 使うまでに 面倒な処理が続く。 夏の酷暑にもめげず 沢山の実をつけ ついに 最後になったピーマン。 皮は少し硬くなったが 艶々とした深い緑色。 40年ほど前に買った ホーローの皿に 6個のピーマンを積む。 窓から差し込む淡い晩秋の光が 緑色に影をつける。 テーブルにその皿を置き 素朴な美しさに 満足顔の私だ。
朝方に 寒くて震えた夏布団から 冬仕様の布団になり 心地良く朝ま眠る。 スマホのアラームが鳴るのは午前7時25分。 朝寝坊の私は 夜明けを知らない。 目覚めて 窓のカーテンを開けると 山も 「小屋」の外も白い霧に覆われ 太陽が山の向こうから顔を出すと 霧は慌てて 姿を消してしまう。 キリリとした冷たい空気が良い。 周りの木々の色付きは そろそろ終わり 雨に濡れ 下に落ちた葉の色は渋みが増し まさに晩秋の趣きだ。 今日から又雨が降ると 天気予報が言った。 山や原っぱの姿が変わる。 いよいよ 冬に突入かと思う。 おやつに コーヒーとココアケーキを食べた。
アスファルトの道の上に 散らばった落葉の楽しさ。 紅葉 松 そして 細長い菩提樹のような葉っぱ。 写真を今見て 菩提樹の様な葉っぱに気がついた。 明日 この葉っぱの上を見上げよう 何の木か分かるだろう。 やっと 夏布団から 冬の羽毛布団に変えた。 白の布団カバーをかける。 白木綿のカーテンを 冬用に掛け変える。 これで 暖房した「小屋」の暖気を 内に止める事が出来るだろう。 まだ 夏終いは続く。 扇風機を洗って直す。 少ない服の入れ替え。 暖かいセーターも出そう。 何もかもが遅れた。 気がつけば 冷たい風が吹き 黄色や赤い葉っぱが空を舞って落ちていく。 深夜に雨が降っている。 ラジオを消すと 静かな雨の音がする。
柿の葉 紅葉 長い酷暑と強風で 秋に色づく広葉樹は 全く惨めな様子だった。 紅葉の前に 強風で散ってしまったもの 強い陽の光で 焼けてしまったもの・・・ と 山の姿は色褪せた木綿の草木染め。 初秋を通り越し ストンと晩秋になった。 山や林 うちの「小屋」のそばの木々までもが 黄色や紅色で こんなに鮮やかな色を 隠していたのか?と 聞いてみたい。 諦めていた紅葉。 嬉しい誤算だ。 赤く色づいた柿の葉を そして 道の上に広がった紅葉を さっさと選び持ち帰る。 12枚の柿の葉 6枚の紅葉。 板の上に並べ 写真を撮った。 いつもの「私の遊び」だ。
小太郎とグラニースミス(Granny Smith) 二種のりんごを貰った。 それは赤いのと緑のとだ。 名前は赤いのが「小太郎」 緑のが「グラニースミス」 早速洗って「小太郎」にナイフを入れる。 4当分に割り その真ん中だけ皮を剥く。 これは私流。 単に可愛いからだけの理由。 (写真に撮るのなら もっと丁寧に向けば良かった) 「小太郎」の風貌 「ふじ」の様で 「ふじ」より果汁が多い。 緑のグラニースミスは しっかりと固く酸味が勝つ。 アップルパイにはこれだと 何かで読んだ。 貰ったりんごは手間をかけて育てられたのだろう。 大きく 立派だ。 晩秋からのりんごは 色も味も嬉しい。 少し時間の経ったのは アップルパイにする。 私はりんごを煮ずに 生をそのまま パイ生地に載せて焼く。 これはテレビで見た イギリスりんご農家のやり方。 「林檎」という漢字も美しい。 アメリカ ノースカロライナの林檎農家
昨日も今日も 天気予報通りに暖かい1日だった。 「小屋」の中に差し込む陽の光は 随分奥まで届く様になった。 夏の汚れを残した薄い白木綿のカーテンを引くと 眩しさが遮られる。 窓際に並んだ苔色のワインの瓶 ドレッシング用に50年ほど前に買ったガラスの瓶 スイス人の作った陶の狐 枯れた花を挿した 砂色の花瓶などを 「まるで絵のようだ」と 一人喜ぶ私がいる。 20年以上も 無農薬栽培の米を作っている友達。 その大事な新玄米30キロ(半俵)と 京都 浄土寺「オオマエ」の アップルケーキを持って 友達はやって来た。 どちらも 本当に嬉しい。 ここのアップルケーキを嫌いな人はいない。 まだ温かいケーキを切り コーヒーを淹れた。 4時間ほど喋り 薄暗くなる前に友達は帰った。 山奥まで本当にありがとう。 お天気が続き 濃紺の空に月が綺麗だ。 周りの木々の色は 焼けた様になったのも そうでないのも それなり
雲一つない 青空に 真っ直ぐに東から西に 西から東へと 2回の飛行機雲が渡った。 ズボンのポケットから 慌ててスマホを取り出し くっきりとした飛行機雲を撮った。 青の中の白い線。 単調な面白みのない写真。 大きな自然の中で見るのが 飛行機雲は美しい。 おやつがないと 寂しく感じるのが我が家。 気忙しい日々に ケーキを焼くには時間がない。 アメリカのヴァーモント州のインの朝食で メープルシロップを惜しげも無くかけた薄いパンケーキ そして チャックの無農薬野菜畑の ボランティアで来ていた フランス人達の焼いたクレープ/ガレット。 あれを焼いてみよう。 薄力粉 牛乳 キャノーラ油(バターの代替)。 よく混ぜて 1時間ほど寝かし さらさらとした生地を フライパンに玉杓子で丸く垂らす。 蓋をすると 早く焼ける。 10枚焼けた。 バター ジャム 蜂蜜を塗って クルクル巻いて食べる。 カフェオレを啜りな
突然に晩秋がやって来た。 朝 外に出ると 空気の冷たさを懐かしく感じた。 窓からさしてくる陽の光の暖かさ。 「小屋」の中のストーブの上では 3個のステンレスのヤカンが 湯気をたてており その中の一つで ほうじ茶と紅茶を淹れる。 ヤカンの口から ほとばしる湯。 カップに牛乳を入れ 熱々の紅茶を注ぐ。 夕方4時半になると 市の防災無線で「夕焼け小焼け」が流れる。 季節によって 5時 5時半と変わる。 長閑な曲が この季節だと忙しなく感じ しばらくすると早い日暮れが始まるのだ。 濃紺の空に 今日は三日月。 少し離れて 大きく輝く宵の明星。 まだ夏物を終わず 冬物の中から セーターを引っ張り出して着た。
紅百日紅の葉 土曜日の夜に 強い風が吹いた。 風速7mの風でも 杉の人工林は唸る様な音で大きく揺れた。 川の水はいつもは歩いて渡れるのに 叩きつける雨が長時間降り 黄土色の濁流になり その様は 川の中の魚が大暴れしている様だった。 4日月曜日。 大暴れした川は いつもの様に透明な翡翠色。 白い泡を立てて 気持ちのいい軽やかな音で下って行く。 青空に白い雲が 南から北へとゆっくりと流れ 川の傍の芒の原から飛び立った 名前の知らない小さな野鳥。 こんな日が続けばいい。 雨水をたっぷりと吸った苔の緑。 舞い降りた紅百日紅の赤い葉は 緑のセーターに付けた ブローチの様だ。
柿の葉を見ていた。 土の上に広がり 散らばった何色もの葉っぱ。 大きいのやら 小さいのやら もうすぐ 土に還るのやら 赤 黄 茶 緑。 それを 私は昨日拾った。 そして 長い松ぼっくりも。 栃の木の くり抜いたのがあったはず。 埃をはらい そこに重ねた柿の葉を納め 枠の上に 長い松ぼっくりが長閑に空を見る。 こんな遊びが面白く ウォーキングの時に 何かないかと探している。 道の駅の建物の前に 大きなユリの木があった。 アメリカ楓に似た葉を持つ 秋には黄色の葉が美しい落葉樹。 アメリカ北東部原産の とてもいい雰囲気を持つ木。 いつの間にか 下からバッサリと切られているのに 気が付いたのが今日だ。 ユリの木の後ろのレストランが 見えなくなる程大きくなったから 切られたのか?
道で摘んで持ち帰った花を 長皿に置き 楽しんだ後 それを麻糸でまとめ 柱に吊るした。 よく乾いた花の茎は しっかりとして 言う事を聞かない。 姿よく整えようと思っても あっちを向いたままだ。 「まあ いいや」と 花瓶に挿した。 先日 図書館から受け取った本「マイケル・K」。 「切手にされた少年」藤原章生の本に書かれていた。 著者 J.M.クッツェーは南アフリカ生まれ イギリスのブッカー賞を2度受賞し 2003年にノーベル賞を受賞した。 毎日新聞を読まなければ藤原章生を知らず 「切手にされた少年」を読まなければ クッツェーを知らず「マイケル・K」に出会わなかった。 新聞の連載から始まり 次々と南アフリカが舞台の本に出会った。
枯れた花(トウバナ・秋明菊・男郎花(オトコエシ)・西洋フジバカマ) 今年の夏の酷暑のせいか 「小屋」の周りの木の葉は 色づく前に散っている。 扇風機も 夏の間窓に吊るした白木綿のカーテンも 夏のシャツも まだそのままで 朝晩には ストーブに薪をくべている。 そんな毎日ではあるが 40分ほどのウォーキングは休まない。 雀より小さな野鳥の群れ 子猿の集団に出会う。 どれも 大袈裟に驚いた風をして バタバタと飛びたったり 川を渡って逃げたりする。 道を歩きながら 小さな野草の可愛い姿に足を止める。 どこにでも咲いている花だが 紫蘇の様な形の花と 黄色くなった葉が 私の好みに合った。 「トウバナ」と言う名前。 花びらの散ってしまった「秋明菊」 蝋細工のような感触の緑の花の塊は 「男郎花」 淡い紫色の花の寿命が終わり 今は黒い粒々になった「西洋フジバカマ」 数本を手折り 長ざらに横むきに並べた。 「
飛竜頭(ひりゅうず) 20日 日曜日 夫の古い友達二人がやって来た。 高校時代の女子と男子。 女子は毎回 沢山のお土産と共に 男子は毎回 スコッチとバーボンと共に。 それをここに列挙するのは 女子に失礼かとは思うが あまりにも 私の好みに合い嬉しいので書いてみよう。 *京都大徳寺そばの 小川豆腐「飛竜頭(がんもどき)」 *大原の「おぼろ豆腐」 *ジュピターの「コーヒー豆」 *ヒガシマルの「カレーうどんの素」 *バケットとサワドゥの胡桃パン *ペルーの岩塩とお菓子 *阿闍梨餅 (忘れているのがあるかもしれない) お昼ご飯も四人分持参である。 「大原里の駅」で買い求めたもの。 *菜食「弁当」 *野菜の巻き寿司 *草餅 *土井の漬物「しば漬け」「刻みすぐき」 私はココアのケーキと 味噌汁を用意した。 女子からの「飛竜頭」ひろうす がんもどきとも言うが それを 今日の昼ご飯の一品とした。 いつもは
スイス人男子からのギフト 5年間 なんの音沙汰も無かったスイス人男子。 チャックの野菜作りのボランティアとして 4ヶ月ほど 私の住んでいる集落に滞在した。 当時30歳だから 今は35歳だろう。 そのスイス人男子から 突然の小包。 「本物」のチョコレートが4個 「職人的な」ミルクキャンディ スイス人男子が作った陶の狐。 そして 長い手紙が入っていた。 スイスに帰ってから 深刻な病気と闘いながら 羊飼いをし 今は庭師として働いているとか。 手紙を書くまでに5年かかった事を詫びてはいるが 「会うは別れの始めなり」「さよならだけが人生だ」 の私は 手紙をもらうだけで嬉しい。 4ヶ月の山間の生活が楽しく 小浜に行ったのが 忘れられない? 又 日本に来るのなら 小浜(福井 若狭湾)に行き 海を眺めながら お寿司を食べ カフェに行って コーヒーを飲もう と 私は返事を書いた。 来るだろうか? 私も夫もそ
オーブンで焼いたパン ホームベーカリーが壊れた。 他の家電に比べて 耐久性がない様に思う。 友達が使わなくなったもの 自分で買ったもの 知人が使わなくなったもの。 10年間に3台のホームベーカリーが壊れた。 シンプルな構造だと思うが 使う頻度が多いのか? と 色々考えた。 安くはないホームベーカリーを買うかどうか 検討中だ。 レシピは同じで 今はオーブンで焼いている。 強力粉 塩 砂糖 イースト 水だけのパン。 これがないと うちの朝は始まらない。 外側がパリパリ 中はもっちり。 オーブンで焼けば この特徴がもっと顕著に現れる。 発酵はオーブンか 電子レンジでできる事もわかった。 しばらくは これでやってみよう。 今日 突然 スイスから小包が届いた。 5年前に 有機栽培無農薬農業をしているチャックの 農業ボランティアとして 4ヶ月 うちのすぐ近くに滞在していたスイス人からだ。 当時30歳の
ベニバナボロギク ボロギクが散々綿毛を振り撒いて去って行った。 今は ベニバナボロギクが 空き地 原っぱ 家の周り どこにでも根を張り 地面を覆っている。 そして ボロギクに負けじと 綿毛を風に飛ばす。 白い綿毛は 「小屋」の窓 扉の網戸に引っ掛かかったり 綿毛で薄いフェルトの様になった 蜘蛛の巣の上に 女郎蜘蛛が手を大きく広げ 身じろぎもしない。 夕方になると 十三夜の月が山から顔をだす。 暗くなると 群青の空に白く輝き その光が地上を照らしているのを感じる。 いよいよ 雲海の季節がやってきた。 朝8時過ぎまで 深い霧で窓の外は白い景色だ。 まだ 深夜に雲海の峠まで行く車は走らず 静かな夜を過ごしている。
(右端の半ばの空に浮かぶ 小さな半月。見えるだろうか?) ベニバナボロギクの地味なオレンジの花 その綿毛 芒の綿毛。 それが飛ばない日は 物足りない。 そんな風の吹かない 3時過ぎには 太陽が山陰に入る秋の日。 私が見上げた空は どこまでも高い青い空。 止まっているような 白い雲が浮かび そして 南西の空には 半月の昼の月。 近くの山で 木を伐採するチェーンソーの唸り声 足元で 儚いコオロギの鳴き声 川面を低空で渡る カワガラスの飛行。 パソコンで 慣れない作業をした後 疲れた目に 優しく映った色と音だ。
ワイン Saint-Amour 2019 (サン・タムール) お酒を殆ど飲まないのは 眠くなるから。 その私が 久しぶりに美味しいなと感じたのは ブルターニュ人が 2019年に送ってきてくれたワイン 名前はサン・タムールだ。 知人が作った 手のひらに載るほどの 小さなガラスの盃で飲む。 濃くて 深くて 葡萄の香りと味がする。 「これはいい!」 コルクの栓を抜き 毎日少しずつ。 母が毎日飲んでいた養命酒を 思い出したのには 自分でも笑った。 霧の様な雨が 降ったり止んだりの日だった。 夕方に ストーブに薪をくべた。 一度 ぼーっと薪が燃えるだけで 「小屋」の中がほっこりと暖かくなった。 集落の人から貰った新米の玄米を炊いた。 電気釜の「玄米」を選び 2時間かかって炊けた。 驚いたが 食感もよく美味しく食べた。 私が毎日 その成長を見ていた米だ。 www.apogee-wine.com
山や集落の木々が 色づくのにはまだ早いが 「小屋」の周りや アスファルト道路の上の 風に吹かれて舞い落ちた 少し錆びたような 紅や黄の葉っぱが美しい。 柿の葉 桜の葉 黄色の葉 小楢のどんぐりを拾い 水引草を手折って 大事に持ち帰る。 長方形の砂色の器に 三種の葉を並べ どんぐりを置く。 紅色の水引草を斜めに。 京の落雁 干菓子のようだ。 日暮れが早くなった。 朝晩は重ね着をし 昼間は半袖のTシャツを着る。 ブルターニュ人が5年前に送ってきてくれた ブルターニュワインを飲む。 小さなグラスに注がれた 赤ワインは 濃厚で 葡萄の味がしっかり残る。 初めて ワインの旨さを感じた。
左1990年 右2024年 TRADER JOE'S まるで メルカリに出品する様な写真になった・・・ (仕方ない 今回はこれで良しとしよう) 前回のブログ「京都 嵯峨野 祇王寺」に書いた アメリカの若い友人からのお土産。 アメリカでオーガニックの農産物 ワインなどを売る 食品雑貨店 TRADER JOE'Sの エコバッグだ。 プライベートブランドのオイルサーディンを真ん中に 缶の周りに それを使って出来る料理の名前がある。 明るい青 取っ手の赤。 大事に使っていきたい。 今から34年前 1990年。 ロサンジェルスに行った時 知人が「いいグロサリーがある」と 案内してくれたのが TRADER JOE'Sだ。 白木の板壁と床の明るい店内に 木の箱に入った有機栽培の穀物 ワインなどが並ぶ。 キャッシャーの近くに売っていた 生成りの帆布に 緑のTRADER JOE'Sのマークのバッグを買い求め
京都 嵯峨野 祇王寺 アメリカに住んでいる 若い友達(と私は思っている)が 帰国し 29日に会った。 京都 嵯峨野鳥居本の祇王寺に行くと言うと 誰もが 「ラッシュアワーの様な人混みの観光地に 行くなんて」と驚いた。 行ってみると 確かにJR嵯峨嵐山駅は 次々と 外国人観光客が降りてくるが 祇王寺の辺りは ひっそりと たまに外国人観光客にすれ違うほどだった。 やはり 人気スポットは「竹林」エリアだと思う。 紅葉にはまだ遠い 緑の紅葉(もみじ)の中に ひっそりと上品に祇王寺は在った。 低い山の姿を残した地に よく手入れされた苔の庭が しっとりと美しい。 「平清盛に愛された白拍子の祇王。 清盛の心変わりでこの地にやってきた。 母 妹と共に出家し 入寺した悲恋の尼寺」 清盛の像があり 祇王の墓がある。 平安時代には さぞや寂しい地であった事は 容易に想像が出来る。 木々に囲まれた 気持ちのいい寺だ
コレクションしている 木の実達を バラバラと 鉢に落とす。 去年の秋のどんぐり 栃の実 櫟のかくと 松ぼっくり。 砂色の器との相性の良さに 目を細める。 夏の真ん中に 小楢のどんぐりを 50個ほど苗ポットに埋めた。 未だに 芽が出ない。 出てくるのは 何かの草の芽ばかり。 冬の雪の季節を終えて 春になれば 芽が出るのだろうか? ふと気がつけば 芽が出ている そんな時を 気長に待とう。 深夜に窓のガラス越しに 空を見る。 大きな月が 山の上に輝いている時 夜空が ぼんやりと明るいのは 半月が 視界の端に現れている時。 それを期待して 今夜も空を見上げた。
朝と夜には 一番上にフリースを着る様になった。 蒸し暑くて 苦しいような一週間前が遠い日のようだ。 百日草は 気がつくと枯れている。 私はそれらを何本も引き抜いた。 その後に 綺麗な赤やピンクの鳳仙花が 去年の零れ種から 花を咲かせている。 今日のおやつ。 ブルターニュ人のお土産の 帆立貝のパテを クラッカーに塗った。 割けた貝柱が クリームの中に豊かに入り クラッカーのサクッとした食感も 旨みの内だと感じる。 ワインと共に食べるのが フランス風だとか。 藤原章生の「絵葉書にされた少年」も後少し。 ヨーロッパの宗主国から独立した アフリカ大陸の国々。 その後の 内戦 差別 貧困 暴力 偏見。 アフリカを大きな大陸と 一括りに考えていた私の 想像を遥かに超えた 知らないアフリカの現実。 筆者の 読者に語りかけるような筆力で その場にいるような臨場感を感じる。
秋明菊 夜の間に強い雨が 午前中はシャワーの様な 午後は霧雨が降った。 窓やドアを開けていると 南風が カーテンを大きくなびかせて入ってくる。 長袖を一枚羽織った。 秋かな? 前日は「蒸し風呂」の様な日。 山間でも 髪の毛から汗が滴り落ち 冷たい水で割った しそジュースを飲んだら 「生き返った!」と思う程の暑さだった。 「小屋」の周りの 秋明菊が咲き始めた。 今年は沢山の蕾が付き 花は小さい。 繁殖力が強く 時々抜いているが その根は 枯れた枝の様でもあり 葛の花の根の様でもある。 水引草。 茶花で 竹籠か焼き締めの花瓶に 生けたのに出会うとしっくりと心に残る。 その花が「小屋」のそばに 蓼の花と一緒に 惜しげもなく咲いている。 明るい紅色の小さな粒の様な花。 しばらくすると 知らない間に散っている。
5年前 新コロナの前に 私の集落で 無農薬有機栽培の野菜を作っている チャックの畑ボランティアとして しばらく滞在していた フランス・ブルターニュの40代の男の子(私から見れば) そのブルターニュ人が 昨日フランスからやって来た。 北海道から沖縄までのあちらこちらを3ヶ月間の滞在。 5年前に別れる時 「次に来る時に天ぷらが食べたい」 と言っていた。 その約束通り 私は天ぷらを揚げた。 沢山の野菜と 鶏と海老と竹輪も。 沢山沢山揚げた。 しんどいな 面倒だな と思うもてなしはなしだ。 キャベツのコールスローに 大葉と大葉の花を加える。 美味しい冷奴に擦り胡麻とおろし生姜。 ジョークでブルターニュ風ケーキも焼いた。 ブルターニュ人は 気持ちいいくらい 天汁をつけて 喜んで食べた。 5年前の帰国後 ブルターニュワイン ブルターニュケーキ パテを 送って来てくれたのには 驚いた。 私たち夫婦は 何
暑い昼間の名残り。 太陽が山陰に入っても ムッとする熱気と湿度は 「小屋」の中と外に籠ったままだ。 周りの木々は 確かにもう夏の終わりの風情。 小楢の濃緑の葉を ハサミで数枚切り取り持ち帰る。 杉の大きな年輪の上に それを並べ 目を瞑り 何かを夢見るような陶の鈴の馬 手のひらに載る程の 小さな壺を載せる。 私のちょっとした遊び。 馬の ポッカポッカ 蹄の音が聞こえるかどうかは その日の 私の気分しだいだ。
加賀野薊(カガノアザミ) 暑い夏は居座っているが。 晩夏の花たちは 律儀にちゃんと咲き始めた。 「小屋」のそばに 初めて一輪だけ 淡いピンクの「蔓穂(ツルボ)」が咲いた。 これは嬉しい事だ。 濃いピンクの本当に可愛い 「現の証拠(ゲンノショウコ)」 これは有名な漢方薬。 刈るほど繁茂しているが 薬草にしようとは思わない。 「加賀野薊(カガノアザミ)」の花は 淡いピンクで いつも下を向いている。 内気そうに見えるが しっかりした茎に 細い枝を伸ばし 棘を持った葉をわんさと付けている。 この花も あちらこちらに咲いて逞しい。 そんな事を見ながら 思いながら 葉を摘み 裏返したり 空にかざしてみたりしている。 一週間ほど前から 電線にいつも止まっている猛禽類の鳥「サシバ」 そろそろ 南に帰るのか?
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