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ガダルカナル島の検索結果1 - 10 件 / 10件

  • 太平洋戦争中のガダルカナル島と、コンビニ前の洞窟が繋がってしまった。現れる飢えた日本兵。彼等に水や食糧を補給しても良いのだろうか→「なろうで1番好き」

    前原 @dai59_sidann 日本軍について調べることが好きな人です。日本軍関係の中でも特に「治安戦」に興味を持っています。他に戦跡めぐり、読書が趣味。ときどき防衛研究所、国立国会図書館、偕行文庫、神保町に出没。最近は独立混成第十旅団と第五十九師団について調べています。よろしくお願いします。

      太平洋戦争中のガダルカナル島と、コンビニ前の洞窟が繋がってしまった。現れる飢えた日本兵。彼等に水や食糧を補給しても良いのだろうか→「なろうで1番好き」
    • ソロモン諸島で自衛官襲われる ガダルカナル島慰霊式に出席中

      ソロモン諸島の首都ホニアラ近郊で、第2次世界大戦中の「ガダルカナル島の戦い」の慰霊式に出席中の海上自衛隊員をはさみで襲撃し、取り押さえられた男。 Mannar Levo氏撮影の動画より(2022年8月8日撮影)。(c)AFP PHOTO /MANNAR LEVO 【8月8日 AFP】南太平洋の島国ソロモン諸島で8日、第2次世界大戦(World War II)の「ガダルカナル島の戦い(Battle of Guadalcanal)」から80年の慰霊式に出席していた海上自衛隊員1人が、ソロモン人の男にはさみで襲われ、負傷した。地元警察によると、容疑者は精神的な問題があったとされる。 現場を捉えた動画からは、黄色いTシャツを着た男を米軍人や地元当局者らが数人がかりで取り押さえる様子が確認できる。もみ合う中で軍人が転倒するなど、混乱した状況がうかがえる。 首都ホニアラ近郊にある旧日本軍と米軍の激戦地

        ソロモン諸島で自衛官襲われる ガダルカナル島慰霊式に出席中
      • 米代表団、ソロモン諸島訪問へ ガダルカナル島の戦いから80年

        ガダルカナル島の戦いの残骸が残るソロモン諸島の首都ホニアラ近郊のレッド・ビーチ(2003年7月23日撮影、資料写真)。(c)TORSTEN BLACKWOOD / AFP 【7月26日 AFP】米国務省は25日、ウェンディ・シャーマン(Wendy Sherman)国務副長官率いる代表団が南太平洋の島国ソロモン諸島の首都ホニアラを訪問し、第2次世界大戦(World War II)のガダルカナル島の戦い(Battle of Guadalcanal)から80年を記念する式典に出席すると発表した。 代表団には故ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)元大統領の長女、キャロライン・ケネディ(Caroline Kennedy)駐豪大使ら外交関係者、軍幹部も加わる。 ガダルカナル島の戦いは1942~43年、太平洋戦争で同島をめぐって半年間にわたって行われた旧日本軍と米軍の戦い。激戦の結果、

          米代表団、ソロモン諸島訪問へ ガダルカナル島の戦いから80年
        • 「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後” | 77年、運命の夏 | 文春オンライン

          北海道旭川市を本拠とする歩兵第二八連隊から抽出された一木清直大佐率いる一木支隊は、1931年の満州事変や1939年のノモンハン事件などに出動し、歴戦の精鋭部隊として知られていた。しかし、1942年の8月21日、激戦となったガダルカナル島で916人中777人が戦死するという全滅状態に陥ってしまう。 まさに、その8月21日の夜。部隊が出発した旭川第七師団では、無表情のどす黒い顔をした部隊が帰還する姿を見たという目撃談が相次いでいた――。 ◆◆◆ 「伝統的戦法である白兵威力」に絶大な自信をもっていた一木支隊の“予想できなかった運命” 「一木支隊全滅」によると、幽霊部隊の帰還を否定した留守部隊将校もいた。しかし、師団の兵士たち、宿営していた中学生、さらには兵士の家族たちまでと、怪異譚はかなり広範に広がっている。死者たちはそれほどまでに、この世に強い思いを残していたのだろうか。 確かに、一木支隊の運

            「日本人はね、1人も助からんよ。そういう戦いだもん」惨敗、マラリア、餓死…ガダルカナル島で散ったある精鋭部隊と“その後” | 77年、運命の夏 | 文春オンライン
          • ガダルカナル島で中国企業が旧日本軍慰霊碑の土地買収 将来の慰霊に不安も

            【台北=田中靖人】先の大戦で日本側に2万人近くの死者を出した南太平洋ソロモン諸島のガダルカナル島で、旧日本軍の慰霊碑が設置された土地が中国企業に買収されたことが5日までに分かった。水産物の養殖場が建設される可能性があるといい、関係者や遺族は将来の慰霊に影響が出ないか不安に感じている。 慰霊碑は、ソロモン諸島の首都ホニアラ東部にある国際空港脇の川「アリゲーター・クリーク」の河口近くに置かれている。当時はイル川と呼ばれ、同地では1942(昭和17)年8月、米軍に奪われた飛行場を奪還するために上陸した一木清直大佐率いる一木支隊の先遣隊916人が米軍と激しい戦闘になり、一木大佐を含む777人が死亡した。碑には「一木支隊奮戦之地」と刻まれている。

              ガダルカナル島で中国企業が旧日本軍慰霊碑の土地買収 将来の慰霊に不安も
            • 零戦の里帰り 日本航空史語る「産業遺産」後世に ガダルカナル島で発見の残骸を自宅資料館で公開 計器板復元も 中村泰三 - 日本経済新聞

              日本のはるか南、太平洋に位置するソロモン諸島のガダルカナル島。第2次世界大戦の激戦地となったこの島のジャングルには、旧日本軍の戦闘機が眠り、近年も森林伐採に伴い見つかることがある。私は「零戦」の機体残骸を2017年に保護のため里帰りさせ、千葉県松戸市内の自宅庭に設けた8畳ほどの私設資料館で公開している。展示するのは零戦の後部胴体や右主翼などだ。胴体側面を見ると「報国―515」と書かれたオリジナ

                零戦の里帰り 日本航空史語る「産業遺産」後世に ガダルカナル島で発見の残骸を自宅資料館で公開 計器板復元も 中村泰三 - 日本経済新聞
              • 2022年(令和4年)4月17日(日)福岡縣護国神社で行われたガダルカナル島慰霊祭に参列し玉串を奉納してきました。 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                がだるかなる 南太平洋に浮かぶイギリス領ソロモン諸島の1つで太平洋戦争の激戦地の1つ、 ガダルカナル島。 ガダルカナル島では1942年(昭和17年)8月から翌年の2月まで日本軍とアメリカ軍の激しい戦いが繰り広げられました。 ガダルカナル島は短縮してガ島とも呼ばれますが、食糧難で飢餓に苦しんだため 飢餓の「餓」から餓島とも呼ばれました。 日本軍は、ガダルカナル島での戦闘や食糧難から多くの兵士が玉砕し戦死・餓死者は 約2万5千人に上りました。 このうち、福岡歩兵第124連隊の将兵3,179名が犠牲になっています。 (ガダルカナル島慰霊祭が行われた福岡縣護国神社) ガダルカナルの戦いが始まって80年目の2022年(令和4年)4月17日(日)、福岡県福岡市にある福岡縣護国神社で、11時半から ガダルカナル島慰霊祭があったので参加してきました。 この福岡縣護国神社は、1943年(昭和18年)4月に、

                  2022年(令和4年)4月17日(日)福岡縣護国神社で行われたガダルカナル島慰霊祭に参列し玉串を奉納してきました。 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
                • Hironobu SUZUKI on Twitter: "食事もトイレもシャワーもない野戦病院なんかねぇよ。お前、野戦病院ってガダルカナル島か何かだと思ってんのか? https://t.co/yvxy1WJQJI"

                  食事もトイレもシャワーもない野戦病院なんかねぇよ。お前、野戦病院ってガダルカナル島か何かだと思ってんのか? https://t.co/yvxy1WJQJI

                    Hironobu SUZUKI on Twitter: "食事もトイレもシャワーもない野戦病院なんかねぇよ。お前、野戦病院ってガダルカナル島か何かだと思ってんのか? https://t.co/yvxy1WJQJI"
                  • ガダルカナル島で爆発、2人死亡 太平洋戦争の不発弾か:時事ドットコム

                    ガダルカナル島で爆発、2人死亡 太平洋戦争の不発弾か 2020年09月21日14時45分 【シドニー時事】南太平洋の島国ソロモン諸島のガダルカナル島で20日、爆発があり、不発弾などの調査を行っていた外国人2人が巻き込まれて死亡した。詳しい状況は不明だが、何らかの原因で不発弾が爆発した可能性がある。 現地警察などによれば、死亡したのはノルウェーに拠点を置くNGO「ノルウェージャン・ピープルズ・エイド(NPA)」の英国人とオーストラリア人のスタッフ。太平洋戦争の激戦地となったソロモン諸島で、不発弾などの位置を特定して記録に残す作業に取り組んでいた。警察は首都ホニアラの現場付近の立ち入りを禁止し、原因を調べている。 国際 ミャンマー政変 日韓関係 ウイグル問題

                      ガダルカナル島で爆発、2人死亡 太平洋戦争の不発弾か:時事ドットコム
                    • 2月7日 ガダルカナル島からの転進・ケ号作戦完了 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)

                      ガダルカナル島。。 南太平洋に浮かぶイギリス領ソロモン諸島の1つで太平洋戦争の激戦地の1つです。 【ガダルカナル島:グーグルマップより】 (日米激戦の地・ガダルカナル島) ガダルカナル島では1942年(昭和17年)8月から翌年の2月まで日本軍とアメリカ軍との激しい戦いが繰り広げられました。 圧倒的な物量に勝るアメリカ軍に対し日本軍は、補給不足から困難をきわめ、弾薬や 医療は底を付き、多くの兵士が玉砕し戦死・餓死者は約2万5千人に上りました。 ガダルカナル島は、短縮してガ島と呼ばれますが、 日本兵が、この島で食糧不足になり飢餓に苦しんだために飢餓の「餓」を取って 餓島とも呼ばれました。 (2月1日ケ号作戦開始) 戦局が不利になった日本は、ガダルカナル島からの撤退を計画します。 そうなると島にいる兵隊さんを無事撤収する必要があります。 このガダルカナル島撤収作戦は「ケ号作戦」と呼ばれ、これは、

                        2月7日 ガダルカナル島からの転進・ケ号作戦完了 - 日刊  おっさんの人生これから大逆転だぜえ!(日本史+史跡+旅情報)
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