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サブカルに関するsekiryoのブックマーク (4)

  • 「沖縄発のオタクコンテンツが生まれない」と発言したら「は?読もう?」「見ないで発言するんじゃねーよ!」とオタクから袋叩きに遭う美術評論家

    土居豊 @urazumi ゲンロンカフェ沖縄出張版第1夜をTS視聴。様々な論点があったが、意外に重要なのは土屋誠一氏の言った「沖縄からサブカルが生まれてない」指摘ではないか? これがほんとだとすると日で唯一、サブカル文化を生まない土地、ということだ。 twitter.com/genroncafe/sta… 2016-05-29 16:55:06 ゲンロンカフェ @genroncafe 沖縄ゲンロンカフェもついに今週!放送あります!!→5/26東浩紀 × 津田大介 × 土屋誠一 「アートは沖縄で何を見てきたか──ゲンロンカフェ沖縄出張版1:アートの夜」 genron-cafe.jp/event/20160526/ @seiichitsuchiya @hazuma @tsuda 2016-05-23 21:16:59

    「沖縄発のオタクコンテンツが生まれない」と発言したら「は?読もう?」「見ないで発言するんじゃねーよ!」とオタクから袋叩きに遭う美術評論家
    sekiryo
    sekiryo 2016/06/04
    オタクコンテンツよりも観光地として普通に客が呼べるので地元で盛り上げる必要が無いというだけで沖縄が舞台の作品なんてマブヤーだけでご当地ヒーローの9割殺せるレベル。
  • オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子

    先制攻撃を仕掛けてきたのはサブカルだった 竹熊健太郎氏が「オタクvsサブカルはオタクの妬みから始まったもの」と言っているのは以前も見て知ってはいるのですが、違うよ、ぜんぜん違うよ!と、ここはひとつ主張しておきたいところ。 以前↑の記事で書いたように、私の認識では「オタクvsサブカル」ってのは、サブカルが優越感を得るためにオタクをダシに使い始めたことで始まった「消費センス競争」なんですよ。 サブカルってのは、「消費センスに優れたオレかっこいい」のナルシシズムを基とする文化なので*1、「センスの悪いあいつら」という外敵を構造上必要とする文化なんですよね。で、その「外敵」としてターゲットにされたのがオタクだった。 サブカル側の人間である、中森明夫氏の「おたくの研究」や宮沢章夫氏の「80年代地下文化論」を読むと、当時のサブカルがいかに壮絶にオタクを馬鹿にしていたかが分かって非常にムナクソ悪い気分

    オタクがサブカルを嫌いなのは、サブカルが「オタクを馬鹿にして優越感を搾取する文化」だから - 自意識高い系男子
    sekiryo
    sekiryo 2014/11/27
    76年製だがバッシングはあった。だが先に殴ったのがオタクなのかサブカルなのか全体の傾向なのか攻撃的な個々人なのかはギルガメスとバララント状態で本当に総括できるのは神だけだし個別事例の怨恨だけが残った。
  • 教養抜きのサブカルが日本人を致命的に馬鹿にしたとの分析

    書評】『シャーロック・ケースブック』ガイ・アダムス著 加藤祐子訳/早川書房/2310円 【評者】大塚英志(まんが原作者) イギリスBBCで放送されたTVドラマ「SHERLOCK」はコナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」の現代版。ホームズの「二次創作」はミステリーの歴史においては一種の定番だけれど、これは「ホームズ」「ワトソン」が「シャーロック」「ジョン」とファーストネームで呼ばれ、ジョンはシャーロックの「事件簿」をでなくブログに書き、シャーロックはコカイン中毒でなくニコチン中毒で、推理の時はニコチンパッチを腕に貼る。 下宿のハドソン夫人は同宿を始めた彼ら二人がゲイだと思っていて妙に理解があり、モリアーティはレクター教授を躁状態にしたサイコパス。しかし「パロディ」ではなく、きっちりとホームズが現代に置き換えられている。とにかく一つ一つの細部がきっちりと古典としての「ホームズ」を踏まえた

    教養抜きのサブカルが日本人を致命的に馬鹿にしたとの分析
    sekiryo
    sekiryo 2013/04/24
    古典をモチーフにした作品は星の如くあるし今では箔のついたその高尚な古典も出た当時は殆どが当時の世俗の極み。で、ホームズも大衆小説だと認めながら何故その引用が高尚となって社会問題に結びつけるのかイミフ。
  • え? 「サブカル」って「おたく」をカタカナで書いたものじゃないんですか? - 魔王14歳の幸福な電波

    なんかサブカルとおたくは仲が悪いという話*1をよく聞きます。気で違いが分かりません。ある要素を取り上げて「これはサブカル」「これはおたく」と判断することはまあできますけど、そこにどんな分類基準があるのか身体的に理解することができません。まあ筋肉少女帯はサブカルでしょう。多分美少女ゲームはおたくでしょう。ではジョジョやクトゥルーは? 人の目を意識していうときはまた別なんでしょうけど、私の頭の中では「サブカル=おたく」という定義で特に問題なくやっています。 この話をすると、ある人から「まあロックだってメタルとパンクがいがみ合ってるし」的な回答*2をもらいました。すごく納得したというか、これがどういう問題なのかは感覚的に理解できた気がします。感覚的理解なので成文化はしませんけど。 ある大まかな志向があるとして、それをさらに細分化して自分や他人の位置を考えるのは、それ自体は別に悪いことではないと

    え? 「サブカル」って「おたく」をカタカナで書いたものじゃないんですか? - 魔王14歳の幸福な電波
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