面接で一番の特技を訊かれて「丸踏みです」と答えたことがある。丸踏みを知らない世代にむけて補足すると、それはほとんど缶蹴りと同じだ。ぼくの答えはどこか場違いな異国の言葉のように響き、時間はしばし進むのをためらったみたいだった。あたりまえだ。子供の遊びほど社会の中で役に立たないものはないのだから。 スポーツが得意な子は中高にあがっても力を発揮する機会を持つことができる。勉強が得意な子にもまたそれぞれに活躍の場がある。けれど、遊びは行き止まりだ。遊びが得意なだけの子は、何にもなれない。 遊びはどこへ消えていくのだろう。それは、本当に失っていいものなのだろうか。 子供の遊びは大人のそれとは決定的に違う。大人の遊びには休息だとか気晴らしだとか、そうでなくても「楽しもう」という目的があって、頭の片隅には仕事や生活のことがいつもこびりついて残っている。けれど子供は目的もなくひたすらに、生きることが遊ぶこ