1967年4月下旬、私は徳山ソーダの依頼を受け、同社が米国のガルフ・オイルから技術を導入する契約の交渉のため同社の担当者と共にテキサス州ヒューストンのガルフ・オイル本社に出張していました。交渉は順調に進んで主要な事項については悉く合意に達し、僅かに残ったいくつかの事項については翌朝の会議で片付けようということになり、ホテルに戻ったその夕刻、ニューヨークの未知の人物から電話がかかってきました。Hilton InternationalのGeneral Counselのシドニー・ウィルナーと名乗ったその人物は、差し迫った口ぶりですぐに東京へ戻って欲しいと言いましたので、驚いた私が訳を尋ねると、千代田区永田町の東京ヒルトンホテル(現在のキャピトル東急)はその所有者東急電鉄とのマネージメント契約に基づきHilton Internationalがマネージしてきたが、その契約を東急が一方的に解除してホテ